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山根沖
2021年6月30日 18:39
みどり児のねむるつり籠つりかけし庭木の上を烏の飛びぬ 岡麓、歌集『宿墨詠草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p365)。 「夏日永し」中の一首。「みどり児」とは作者の孫。前の歌に「木のかげにつり籠(かご)つるし幼児(をさなご)の眠(ねむり)をまもる母はわが子ぞ」とあることから知れる。わが娘がその子、つまり孫を見守っているのを、父/祖父である自分が見守っているという、幸せな光景である
2021年6月23日 20:48
雨乞の寺の鐘鳴りひびくなり白昼の如く月てりわたる岡麓、歌集『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻 p330』)。 次女茂子の夫の郷家のある備後地方の、「湯田村」と題された一連中の歌で、詞書に「今年の旱魃は三十年来の事といへり」とある。「雨乞」が新鮮。大正14年には寺で雨ごいがされていたわけだ。 東京生まれの作者にとっては、備後湯田村は異国の地である。旱魃に苦しむ村で、月夜に響く雨乞の鐘を聞い
2021年6月16日 18:39
外に行くと病み臥す母に告げにけり春の雨夜の宵しづかなる岡麓歌集、『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p322)。 何の用事の外出なのかは分からないが、分からないままであることがいい。この時の様子をただ述べている。事実をそのまま述べるだけで、そこから悲しみや不安、愛情などがにじみ出てくるということが、写生文学の素晴らしさではないだろうか。背景を完全に説明しないことで、読者それぞれ