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そして友ではなくなった。

大学生になり、大学生活に順応することに必死だった私は、旧友との間に生まれた関係性の変化に、気づかないふりをしていた。

でも、その変化を目の当たりにする日は確かにやって来て。

今までよりも彼女が遠く感じて、戸惑いを感じた、ちょうどそのとき。
「彼」が現れてこう言ったんだ。

「僕は人間関係は、掛け算であるべきだと思うんだ。」


私は尋ねた。掛け算?どうして足し算じゃダメなの?


幼い子供をあやすように
彼は優しく説明した。

「いい?2+2は4で、
2×2も4。
でも、2+3=5で、2×3=6。
ここから次元が変わって、
2+100=102で、
2×100=200になるんだよ。
左側の数字が君で、右側の数字が君が関わっていく相手。誰と、どう付き合うかで、=以降の数が変わるんだ。」

まだ腑に落ちない私に、彼は続けた。

「掛け算は、自分を確立させた上で、他の人の力を掛けるから数が大きくなるんだよ。

でも、足し算は違う。足し算は自分に足りないものを、誰かで埋めようとすることなんだ。
言うなれば、僕たちは未完成のパズルで。誰しも必ず、どこかピースが欠けている。そして、欠けているピースを必死に埋めようとする。もしも、その空白に、ピッタリと当てはまる人が現れたら、一時的には幸せかもしれない。でも、その人が離れて、ピースが再び欠けたとき。
その時、僕たちは欠けた部分がどうしても許せなくなってしまうんだ。欠けている場所があっての自分なのに、いつの間にか、誰かの力を借りて、弱い部分を覆い隠した自分が、本来の姿であると錯覚してしまうんだよね。
そして、穴を埋めてくれる人に依存してしまう。
でも、どんなに大切な人であっても、その人たちは欠けた穴を埋めるためにいるわけじゃない。未完成の僕たちを支えてくれるためにいるんだ。自分の穴埋めに、大切な人たちを使うのはすごく失礼なことだと僕は思う。」


あぁ、そうだった。
私は幾度となく自分の弱さを彼女に補ってもらっていた。そして私も、彼女の足りない部分を補っているつもりでいた。
でも、補完し合う関係性には限界があって。そうやって自分の弱さから目を背けたって、その弱さが無くなるわけじゃないのに。

すっかり黙り込んでしまった私に対して、彼は丁寧に言葉を紡いでいった。

「大切なことは、美しい自分になろうとするのではなく、欠けている自分を受け入れることなんだ。そして、自分の弱さを知ったうえで、そこを補ってくれる人よりも、弱さを受け入れてくれる人と関係を深めていく。それがお互いに、成長できる関係性だと思うんだよね。」

彼の言葉は、真っ直ぐに私の心に入ってきて、大切なことを気づかせてくれた。
私と彼女は、それぞれお互いの人生を生きている。だから、時には、お互いの変化に戸惑うこともあるかもしれない。でも、その時は相手の変化を許容して、尊重しあうことを大切にしなくちゃいけないんだ。
同時に、必要以上に相手に頼ることは避けるべきで。あくまで私たちは、お互いが成長するために、刺激を送り合う関係性だっていうことを忘れちゃいけない。
自分がいるから相手がいる。見失いかけていた、人間関係の根幹だ。


よしっ。もう一度、彼女と話してみよう。今までのような友としてではなく、共に未来を切り拓いていく、一人の仲間として。


ふと、見上げた先には、屈託のない青空がどこまでも、どこまでも、広がっていた。

文・写真:氏原陽菜(山梨県立大学国際政策学部1年)