胃袋、土壌_20240313

・私はまあまあいつも食べもののことを考えている。それにしてもなにが食べたいのかものすごく意識的に考えているときはだいたい調子が悪い。食べたいものが思いつかないことに危機を感じる。なのでものすごく確認する。

「食べることは受容の極み」と自分のメモにあった。受容、なにを?なんとも言えんが、この世とこの心身を、という感じだ。
毎食そんな大それたことは考えちゃいない。

死ぬまではこの心身で生きていくほかないのでおのれの胃袋はおのれでぎゅっと掴んでおきたい。それはイメージとして気球を繋いでおくロープみたいなもんだ。見たことないけど。離したらするっとどこかへ行ってしまうだろう。最後の砦だ。
考えているうちに、そんなとこまで追い詰めてやるなよ……とふと思ったので閉店ギリギリのコメダで小倉トーストを食べたりした。まあ、大丈夫だ。なんとかなる。なるようにしかならん。命綱とはそうそう簡単に切れないようにできているから命綱なわけだし、握力はまあまあ強い。

・今夜はニホンカモシカのことを考える。地元にいる今にも喋り出しそうな美しいあれだ。近所の畑に降りてきて野菜を食われた、みたいな話はよく聞いたがそのへんでばったり出くわしたことはほぼなかった。高いところからこちらをじっと見つめてくるときのあの顔がいい。記憶の中のあの眼差しや毛並み、しなやかで強そうな脚、そういうのをなぞると安心する。連れて行ってほしい。しかし今の体では余計なものが多すぎて到底ついていけそうにない。カモシカはウシ科。胃袋が4つあるってどんな感じなんだろうな。4倍食べられる……とかそういう話ではなさそう。なんだよ、そんな目で見るな。


・「前例がない」という常套句、ほかにもうちょっとなんかなかったのかと思う。私がしてきたこと/させられてきたことに前例があっただろうか。まあ、いいか。あっそこになにか植えるつもりですか。そうですかそうですか。


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