見出し画像

「占星術×ファッションお話会」に参加したよの記録。思考を飛ばす。

先日、あすみさんのお話会(オンライン)に参加することができたので遅まきながら記録しておくよ。

自問自答ファッションつながりのあすみさんが占い師として活動をはじめられたということで、お話会参加のチャンスをうかがっていました。たまたまタイミングよく応募できて日程もなんとかなって、とてもラッキー。
Twitter(X…)で募集されていました。


わたしと「占い」の距離感

占星術。どうですか、みなさんお好きですか。
あやしいですか。信じるか信じないかはあなた次第、それはだいたいのことがそうだとは思いませんか。
私、占いってのはちょっとあやしいところが魅力のひとつだと思っています。
「現実的」な考え方で解決策が浮かばないとき、「ふつう」の視点で行き詰まったとき、ちょっと違う見方を教えてくれるのが占いでもある。西洋占星術、統計とはちょっと違う不思議な積み上げ、おもしろいよ。

ほかのものごとがそうであるように、占いも占い好きもいろいろだと思います。
ニュアンスが伝わるかどうかわからんですが、私は考えるヒントはほしいけど自分のことを誰かに決めてもらいたいわけではない。でも西洋占星術もタロットも自分でやるぐらい好き。そういう人間です。
今回のお話会では、まさに考えるヒントをたくさんもらえたのでした。

視点の話。光をあててもらうということ

できる限り単独行動を好み、なんとなくはみ出し者、ひとりで突き進む私が自分だけで得られないのはいつだって「自分以外の視点」なので、これはとても貴重な体験。
自分自身に対しては「なにかしらのタネや答えは自分のなかにあるもの、自分で選びとるもの」だと考えています。そして、気づきやきっかけというのはだいたいいつも外からやってくるもの。誰かと話すことで考えていることの輪郭がくっきりすることってあるよね。自分とは違う個の人を知ることで相対的に自分がどういう人間なのか見えてきたりとか。それがいいとか悪いとかじゃなくて、そういう違いを知って気づいていく。そうして自分のことも他人のこともなんとなく受けとめたり尊重したりできるようになっていく、気がしているよ。
自分のことを知りたいとき、安心安全な場でテーマをもって他人と話をするというのはとてもよい効果があるのではないでしょうか。

西洋占星術でいうネイタルチャート、つまり自分の生まれた瞬間のホロスコープ=天体の配置、それを読みとるという行為は、「自分のもっている星に光をあてること」のように感じます。これはやろうと思えばひとりでもできることで、私にとっては「自分との対話」の方法のひとつ、のようなものです。余談、あすみさんからは「星読みをすることが癒しにもつながりそう」と言ってもらえてなんだかほっとしました。

同じネイタルを読むにしても、やはり誰かから光をあててもらうこと、自分以外の人を通した表現にふれることというのは純粋にうれしく、気づきも多い。

今回のテーマは「占星術×ファッション」ということで、あすみさんは私の「太陽・金星・水星」「太陽・金星・月」の星座と同じ組み合わせをもつ4名のファッションデザイナーをピックアップしてまとめてくださっていました(ブランドのクリエイティブディレクターだったりしますが、便宜上デザイナーと表記します)。
これまでブランドのアイテムやスタイリングをみて「なんとなく○○座っぽいな」と思うことはあっても、そういう視点でみてみようと思ったことはなかったので新鮮でじつに興味深い。そしてこれ、調べるの、けっこうたいへんそう。
教えてもらったデザイナーさんの言葉やものづくりの姿勢を見ていると「自問自答の過程でなんか似たようなこと私も言ってるぞ」「目指したい方向性が似ている」と感じることが多く、デザイナーさん自身やつくられたもの、そのブランドにますます興味が湧いてくるのでした。好きなもの、気持ちに似合うものが新たに見つかるかも。
1時間があっという間!まだまだ話したい!そんなひとときでした。
お話会のあとから、さっそくおすすめブランドのコレクション動画を観て気になるスタイリングを探したり、自分のファッションに取り入れるなら?を考えたり、あらためてネイタルチャートと向き合ってみたりと、現在進行形で自問自答が捗っています。
今回、このタイミングで参加できてほんとうによかったです。
あすみさん、あらためてありがとうございました!
またお話しできますように。


・・・

さて。ここからはお話会で印象に残ったこと、どんな気づきがあったかなど、私の星に絡めて自問自答しながらだらだら綴っていくよ。いつも通り、自分のための内容です。いつも通り、あちこちに飛びます。

Asc(アセンダント)のファッション

私のAscは蟹座。「母性」「居心地のよい」「家庭的」そういったキーワードや、コーラルピンクやパールなどやわらかなカラーが挙げられる。これらは私が意識的に避け続けてきたものである。そのへんの理由はいったん置いておいて、「Ascのファッションのつかいどころ」というのがしっくりきた。
たしかに。以前、友人の結婚式に偶然これに沿った姿で参列したことがあって、なんだかとても褒められてありがたがられたのを思い出した。なんというかまぁ、そうなんだろうね…という感じ。これって占星術を学んでからは知っていたことではあったけど、今回いきなり「入ってきた」気がするんだよね。毎日ずっとこの姿でいるのは自分の内面やなりたい姿とかけ離れていて爆発しそうだけど「つかいどころ」をおさえて味方にできたら頼もしいな、と。
あすみさんのAscも蟹座、お顔合わせしてなるほど(やわらかな雰囲気、安心感)、でもふだんの文章からなんとなく内面というかそれだけじゃないことはほんのり知っていて…だからすんなり入ってきたってのもあるかも。

金星、水星、品位のこと

私の金星は牡羊座にある。惑星の品位という考え方があって、金星牡羊座というのは一部でいろいろ言われたりしているようで。ざっくりいうと、受け取るという性質をもつ金星が、がんがん外へ打ち出していく牡羊座という場所にあると居心地悪そうよねっていうところからきている話だと思うのですが。私としてはそこだけピンポイントで見ていうのはどうかなと思うし解釈もいろいろなのでふーんぐらいに流したいけども、占い=恋愛絡みの話題が多い=金星重要みたいなところからなのかけっこうひどいことが書いてあったりしてね。うるせー!って思ってました。はい。ファッション的にもちょっと…とかね。ひどくない?知らん間にプラスチックもぐもぐしてた。
いやいや、そこだけでそんなことないって!と思いながらもこんだけ出てくるってことは引っかかってたんだよね。それが今回挙げてもらったデザイナーさん4名、あの人もこの人も太陽金星牡羊座なの?ということで自分のなかでちゃんとクリアになった気がする。品位で言うたらもひとつ、私の水星は魚座である。4名中3名がここまで同じ。あまたあるブランドの中で、私でもわかるこの人たちが!なるほど、それであの世界観、あの活動……!とか勝手にしっくり納得。ものづくりの姿勢や表現に「かっこいい!!」を連発してしまった。他人の魚座的発想にふれて自分のなかに魚座みを感じる。おもしろい。

月のファッション

私の月は蠍座にある。最近しっくりきている服の組み合わせがそういえばちょっと蠍座みがあるなとか思っていたら、あすみさんにも「蠍座っぽい?」と言われてうふふとなった。こういうの、たのしくなっちゃう。
太陽金星牡羊座・月蠍座のブランドで紹介されたルックが、あーーわかるー!という雰囲気で、前任のデザイナーさんとは違った流れになっていきそうでおもしろい。今後に注目したい。
蠍座っぽいといえば、あんまり書かないけどもともとランジェリーというアイテムは好きで(これについてもいろいろあるけど好きだから好きだと言うことにする)、体のラインが出る服とかスリットとか肌が透ける素材とかもほんとうは好きなのだ。今の私の外向きの姿とは結びつかないと思う(結びつかないようにしてきたので)。このへんも最近はゆるめてもいいかもと思っていたところ。自分のなかにキーワードとして「センシュアル」「色気」というのはつねにあり、だいじにしたい部分だったりする。これも初めて書いた気がする。外から見て他人基準のそれが私にあるかないかは知らん。私がだいじにしたいのだからそれでいい。
心を満たすためにもこのあたりの好きなものを身につけたい。見せる/見せないのバランスは考える。

やりたいこと

メイクやアクセサリーで赤を取り入れる。たまにやってくる赤の気分がちょうどきているところへのおすすめ、よさそう。マスク生活になってから赤リップやめちゃったのでそろそろなんかほしい。メイクに関してはおそらくもうちょっとだけメイク感を出したほうがバランスとれるし気分にあう、とたびたび思うのでやる。
赤、身につけるには自分には強すぎるというか「自分がもってる赤」が強くなりすぎる気がして選ばないようにしてきた(あすみさんとお話し中にもずっと「赤は…つよいので…!」とごにょごにょしてしまった笑)。それでもリップとネイルだけは赤を許可していたのでやっぱり好きなんだと思う。ちょいちょい出てくるけど、許可制なんよな。自分が「ゆるす!解禁!」とすればなんでも身につけられる。といいつつ数年前に解禁済みではある。気分と慣れの問題か。似合う似合わないの話ではないところが自分らしいというか。なんとなく「もってる赤」が薄まる気がする秋冬にクローゼット内をモノクロ+赤ですべて構成したい気分になるときがあって、今まさにそれ。服が少ないとできちゃうんだよなぁ。やるかぁ?
赤い石はここ1年ずっとなんとなく探してる。出会って買えるものなら買う。石は突然やってくるので。ほしい、財力。
もしかして、おれのなかのぎゃるちゃんは赤が好きなんですかね。どうでしょう。

そのほか。

冥王星つよい民あるあるもっと聞きたい。
太陽と月の葛藤。どちらもつよし。
サイキック、なの?勘で生きてはいる。
意外とラッキーにんげん。
やっぱり仕事にんげん。

ネイタルを読むたびにホロスコープのまんま生きてる感があってなんかワーッてなるけど、それはそれとして(べつにいやな気はしない)、つかえるところはつかう、超えていけるところは超えていく!自分でどうにもできないことは適度に星のせいにしながら、都合よく、そんな気持ちでいるよ。

・・・

つかんで走る。つながり、距離感。

これは感覚の話なんだけど、私にとって「なんかおもしろそう!いいね!好き!」のアンテナを張っておくこと、それを研ぎ澄ましておくこと、引っかかった瞬間につかんで走ることはとても重要だと思っている。どんなことにおいても、だ。気になったものは速攻で突っ込んでたどり着けるところまで掘り下げたい。ただ、そんなことを全方位全力でつねにやっていると命がいくつあっても足りない。だからちょっと見ないようにしてるものがたくさんある。それもいいんだけど、ずっとそうだとぼんやり鈍ってくるような、ちょっと偏りすぎるような、物足りないような、そんな気がしてくる。
誰かと会ったり話したりできると一気に視界がひらけて軽くなって、ばちばちといろんなところがつながって、火がついて、また走り出せたりする。ひとりだけど自分だけの力じゃないなぁと思うし、手をつないだらちぎれちゃうから走るときはひとりがいいなぁとも思う。いつもそんな感じ。
見ていてくれる人には、なんかあいつまた走ってんなぁぐらいに思ってもらえたらいいのかな。声をかけられるのはうれしいよ。姿が見えたら手を振るし、袖がふれあってお互い気が向いたらおしゃべりでもしよう、ぐらいの気持ち。ネットでもリアルでも、それぞれにそれぞれのいい距離感、タイミングがあることでしょう。
とくになにかあったわけではないけど、「いいね!好き!」って大声で言っちゃうのはもうそういう生きものなのであって、そこに他意も嘘もないよってことを書いておきたくなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?