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後悔をするということ

はじめに

『人生は選択の連続だ』とは使い古された言葉だ。

たしかにそのとおりである。
たった四半世紀しか生きていない私でも、今までいったい幾つの選択を行なってきたのだろう。
受験、就職、大好きなあの子に告白したとき、昨日のお昼ごはんに至るまで、たくさんの選択肢からひとつを選び、その結果に一喜一憂してきた。
そうして積み上げてきた選択がいまの私をつくっていると言っても嘘にはならない。

ただ、選ばなかった、もしくは選ぶことのできなかった選択肢は、まったくの無駄で取るに足らないものだったのだろうか。

そうではない、と私は思う。

一生懸命に悩んで、必死に考えて選択した結果が自分の思い通りにならなかったことなんて何度もあった。
その度に「あぁ、あのときこうしていればな」とひどく後悔してきた。
その後悔も大切な自分の一部として噛み締めて、いま私という人間は地に足をつけて立っていられるのだと思う。

少々前置きが長くなったが、これは私の人生観についての話だ。
いや、人生観なんて大それたものではなく、大切にしていきたい価値観とでも言っておこう。
「わかるわかる!」と思う人もいれば、「何言ってるかわかんねぇ」と感じる人もいるだろう。
ただ、この拙い自分語りが、誰かの心に響いたなら、誰かの感情を揺らしたなら、とても幸せなことだなと思う。

書く人について

自己紹介が遅くなったが、私という人間について。
山形のど田舎出身、そこそこに冷めた中学時代を過ごし、高校に入学。
私という人間の土台を形作る仲間たち(yananamiのみんなも)に出会い、青く燃えるような高校生活を謳歌。(ただし、なぜか私たちの青春に甘酸っぱい恋やキラキラした淡い記憶は存在しない)
その後大学進学を機に上京し就職。大阪勤務を経て現在は東京で毎日靴底を擦り減らしている。

趣味は音楽をきくことと、温泉•銭湯巡り。
この辺りは後々記事にしていきたいと思う。

そんな私が今回は『後悔』をテーマにnoteに文字を綴ってみたい。

後悔のある生き方

後悔なんてしない方がいいよ、という人が多いと思う。
そりゃそうだ。後悔なんてしない方がいい。
みんな後悔しないために必死になって生きているのだから。

でも考えてみてほしい。まったく後悔することのない人生。すべて自分の思い通りになる人生。
たしかに楽しいし、幸せなんだろう。キラキラでウハウハで薔薇色だ。

でも、それだけ。
他の感情の入り込む余地のない、色で例えるなら発色の良い金一色の人生。
人間らしいと言えるのだろうか。

私はそうは思わない。
いろんな感情が混ざり合って、青みがかかったり赤みがかったりドス黒くなったり。
そんなお世辞にも綺麗とは言えないキャンパスを仕上げていくのが、人生なのではないか。

選択を重ねて、葛藤して、後悔して。
そうして湧き上がったいろいろな感情を抱き締めて、一生懸命日々を紡いでいく。
そうした姿が、人間として美しいなと私は思う。

後悔と学ぶこと

人間を人間足らしめる活動として、「学習」がある。
火を使うことに始まり、狩猟、ものづくり、文字の読み書きに至るまで。先人の学習の成果を私たちは享受して生きている。
学習はトライアンドエラーの繰り返しだ。
幾つもの試行の中で、ああでもないこうでもないとウンウン唸って、最適な解を導き出す。その繰り返し。

ここまで読んでくれた方は私が何を言いたいか気づいたかもしれないが、要は後悔から生まれる学びってあるよね、という話だ。
もちろん成功体験から得られる学びもあるし、それが多いに越したことはない。
しかし、私の過ごしてきた短い人生の中で思い起こされる学びは、後悔に起因するものが多いように感じる。
死ぬほど悔やんで、もう二度とこんな思いはしたくないと心に決めたことは、価値観として根付いていく。
それが、その人の人となりをつくっていくと私は思う。

おわりに

ここまで駄文をツラツラと重ねてきたが、言いたいことは後悔するのも悪いことばかりじゃないぜ、ということだ。
きっとこの投稿も、明日の朝にはなんだか恥ずかしくなって後悔するんだろう。

最後に、だいすきな曲をひとつ。

時計の秒針は止まらないし、日々抱える葛藤や後悔は増えていくばかりだけれど、それでいい。
後悔することは、ほかの生き物にはできない、人間だからこその特権。
人生の最後に後悔がなければそれでいい。それまでは、たくさん悩んで、たくさん葛藤して、たくさんの後悔を積み重ねて、かっこいい大人になっていこうぜ。

じゅうたん

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