金庫にしまうま @猛虎

2週間公演も昨日千秋楽を迎え、無事終了しました。ここでは自分語りと脚本の話をしようと思います。

【自分語りパート】
パンフにも書きましたが、私個人的な事情で2月頃から演劇と距離を置いていました。本格的な演劇という意味では半年ぶりの公演でした。卒業公演もあるので演劇の感覚を取り戻したいという思いもありましたが、一番は前回悔しい思いをしたからです。前回は色々あって個人としては不完全燃焼という形に終わってしまいました。『先輩の演出が気になっていた』と言ってくれたり『彼はちゃんとしているから大丈夫』と言ってくれる人がいた中であのような形に終わってしまいとても不甲斐なかったです。だからこそこの公演は必ず成功させたいという一心で取り組んできました。その目標ですが、役者やスタッフのおかげで達成することができました。私の拙い演出を一生懸命に聞いてくれて突然の変更にも臨機応変に対応してくれて、何より一人ひとりが今回の公演に真剣に向き合ってくれて、感謝しかありません。今後は卒業公演の前に冬公演にて人生最後の役者をやろうと思っています。2週間公演であれだけ偉そうに演技指導をしていたので、下手な芝居はできないです。後輩に何か残せるような演技をする、そして私自身が精いっぱい楽しめるように取り組もうと思います。また卒業公演の脚本もかなり出来上がってきています。少なくとも同期の皆に演出・脚本として認めてもらえる自信はあります。こちらはまだ動き始めたばかりなので何とも言えないですが、楽しみにしておいてください。

【脚本パート】
今回選んだ大橋泰彦氏の『ゴジラ』。岸田國士戯曲賞にも選ばれた名作です。基本はコメディですが深いメッセージが込められているという点に魅力を感じました。私の思うこの戯曲のテーマを大雑把に言うと『多様性』だと思いました。人は、どんな人でも愛することができるのか。現代でも答えが出ないこのテーマに、1980年代に書かれたこの戯曲は、ゴジラという怪獣を通して一つのヒントを提示してくれました。リポーターはゴジラが人類の暴挙により誕生したと言っていますが、その通りです。ゴジラは放射能であり、それは人間の核実験により生まれたとされているからです。そして人間はそのゴジラを恐れ嫌う。なんと人間は身勝手な生き物なのでしょう。やよいがゴジラを愛したのは、きっと彼に汚れがなかったからなのだと思います。ゴジラに汚れを与えているのは人間なのだから。やよいはゴジラの表面だけでなく、奥底を見ることができたのでしょう。しかし残念ながらやよいの言うことは理想論です。実際最後にゴジラとやよいは結ばれませんでした。一番考察しがいがあるのはやはり最後のシーンだと思います。夢オチで片付けてしまえばそれまでですが、私はそういうつまらないことは言いたくないです。あの黒い男は間違いなくゴジラだと思います。そうなると最後のシーンを論理的に説明するのはかなり難しくなりますが、私は論理的な説明は不要だと思います。男本人も記憶を失くしているだけできっと彼はゴジラです。やよいが間違えるはずがありません。彼はいつか思い出すことでしょう。でもゴジラとしてでなく、人間として結ばれるというのは少しモヤモヤ感が残りますね。

自分語りも脚本語りもまだまだできますが、長文を書く人間が私は嫌いなのでこれ以上自分を嫌いにならないためにもここで留めておきます。ありがとうございました。またお会いしましょう。

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