誰からも好かれる人は取るにたらない人

本音と建前を分ける人が大半である。
よく、日本人はそうであると言われるが、人生の半分を海外で過ごした私から言わせれば、海外でも同じである。
そういった人には一見、友人が多いように思える。
しかし、希薄なものである。
私は建前をやめた。
すると、多くの人が去っていった。
陰口も言われるようになった。
最初は戸惑いを隠せなかったが、すぐに慣れてしまうものである。
しばらくは身動きが取れない状態になったが、それもなくなった。
それどころか、不思議なことに以前よりも仕事がやりやすくなり、人間関係のしがらみがほとんどなくなってしまった。
相変わらず陰口は言われているようであるが、気にならない。
誤解を生む表現をするようであるが、都合の良い人だけが周りに集まるようになった。
当然、本音を言ってくれる人が集まるようにもなる。
そうすれば、物事は円滑に進んで当たり前である。
実はこう思っていたのだとか、本当はこうして欲しかった、というようなことがなくなる。
私自身、関わる人を信じることができるし、私に関わる人も、「山中光平は上辺では適当なことを言わない、陰口を言わない人」という前提で接するようになる。
逆説的に思えるかもしれないが、自分勝手に振る舞うことで、信頼を得ることができたのである。
何か成し遂げたいことは、2つに分けることができる。
「他人が達成したいこと」と「自分が達成したいこと」である。
嘘をつかず、本音で生きる生き方は不器用な生き方であるかのように見えて、明確にその2つを分けて考えることができる。
相手が望むもの、私が望むものへと、楽に物事を進めることができる。
とは言え、礼儀は必要である。
それも最初はうまく折り合いがつけられないかもしれない。
しかし、徐々にわかってくる。
今まで通り、上辺の付き合いをして、多くの人に囲まれているかもしれないがストレスを抱えて生きるのも良い。
本音で生きて、去る人は去る、関わる人とは関わるといったようにあるがままに受け入れ、都合の良い世界に住むこともできる。
結局、あなたの体験する世界はあなたが決めるのである。
ただし、他人に好かれようと努力しても、嫌われるときは嫌われる。
さらに言えば、無理して人付き合いをすれば、その無理はいつか崩れるものである。
人間関係のジレンマに苦しんでいる人は、勇気を出して飛び込んでみる価値はあるのではないだろうか。
実際、飛び込んでみればそれほど大した試みではないことがわかるし、多くの人に愛されるようになる。
自分を偽らないので、自分自身を愛せるようにもなる。
誰に嫌われようと、自分は取るにたらない人間ではなく、自分は価値のある存在であるとわかる。
そして、外の世界にも反映され、今までは取るに足らない人だと思われていたものが、必要とされる人物とみなされるようになる。

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