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たとえこの先、二度と会うことがなくても

たとえこの先、二度と会うことがなくても、お別れの時に「また絶対会おう」という約束を心から交わせたのなら、それで、もう十分だと思えるようになった。

将来本当に会えるかどうかよりも、その時お互いが本気で、また会いたいと思っていることの方が重要で、つまり、未来の約束より、今の気持ちの確認の方が大事だと思うから。

それを寂しいことだと思う気持ちが一切ないわけではない。
寂しいけど誰かを思って寂しいのはしあわせなことだと思う。


友だちもそうだ。

だいぶ前に職場の上司に「お前は友だちが少なそうだ」と言われた。

多い少ないという基準が分からないけど、友だちは少ない方だと思う。

「少ないけど、一生友だちでいたいと思える人が2人いるので大丈夫です」

と返答すると

「一生の友なぁ。今はまだ若いからそう思えるかも知れないけど、学生時代の友人なんて、そのうち仕事とか結婚とか子育てで、どんどん話が合わなくなっていって、疎遠になったりするもんだぞ」

と返された。

それは、そうだろうなと思う。
ライフイベントの差が友情にもたらす変化は大きいだろう。

だけど、それを言ってしまえば、明日私が死ぬかもしれなくて、そうなった場合私は一生の友を持ったまま人生を終えることになるし、明日友人が死ぬかもしれなくて、そうなった場合、私は一瞬で一生の友を失うことになる。
明日、日本が沈没するかもしれなくて、そうなった場合は・・・キリがない。

未来のことは、たった1秒先のことでさえ、保証されていることは何もない。
だけど、今、一生友だちでいたいと思える人が2人いることだけは事実で、その事実さえあれば私はもう十分だと思っているのだ。
何かを感じたり思ったり考えたりするのは、常に「今この瞬間」の自分だ。
だから、未来でどうなっているのかを予測することには特に意味がない。

というかそもそも、その2人も私のことを、「一生友だちでいたい」と思ってくれているかどうか、わからないわけだけれども。

とにかく私は常に「今」を生きていて、だから、一番大事なのは「今の気持ち」だと思った話でした。


追記

その上司は、人見知りで浮いていた私の面倒を積極的に見てくれていた人で、何かと物言いが遠回しで、優しさも回りくどい人だった。
だから、たぶん、「もっと友好的な態度で幅広く人間関係を築け」というようなことが言いたかったのだと思う。それは、まあ、ぼちぼち頑張りたいところ。
仲良くなれるのなら誰とだって、仲良くなりたいさ。難しいけど。

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