雑記:パレード→MONSTER A GOGO

パレードからMONSTER A GOGOの流れについて思い浮かんでいる情景を連ねます。とりとめもないはなし。
パレードのアウトロを聴いたことがない方は今すぐ購入を。
ここから先はネタバレ(?)を含みます。

パレード→MONSTER A GOGO
「熱狂の終わり」「回帰」。夜にはかき消えてしまう。ただし終わりは再び始まるためにある。
モンスターの影から生まれた集団によるパレードのマーチはモンスターが消えることで終幕を迎える。
夜は『死』。すべての終わりの暗喩。あらゆるものが安らぐ場所であるが故に夜は夜たり得る。始まったものには終わりがある。眠れ、せめて安らかに。

パレードのアウトロのMONSTER A GOGOは徐々にフェードアウトする。
→だんだん遠ざかっている?
影より生まれ影を喰うパレードは闇に抱かれて眠る。
人の世からは暗闇が消されている。死を忌避すべきものとして扱うのと同じ様に、暗闇も忌避されるべきものである。
故にそこにはモンスターが憩う。暗闇から出て暗闇へと回帰する。
此岸は明るく、彼岸は暗く。
明るい場所にしか影は生まれない。だからパレードは此岸から生まれている。生まれたものには終わりを。終わりは彼岸。

以上を踏まえ
モンスターとは:
影・暗闇・その他人類が発展するにあたって置き去りにしたすべて。人類種が産み出したもの。故に「焦がれ泣き歌う」。親を求めて泣く子のように。
置き去りにすることが当然とされている。故に迎えに行こうとする(科学を捨てて祈りへ走る、など?)行為は狂人と見做される?(要検討)

以下、さらにとりとめもない話。

科学は祈りより生まれた。
「人の姿は神に似せて作られた」という聖書の証明のためにうまれた科学は、しかし聖書を否定した。
モンスターは喪われた信仰そのもの?(要検証)
物理学者は神の存在を否定しないという→それだけ世界は『うまくできている』らしい

人の心のありか(≒魂のありか)は現在証明されていない。
されてはいけないのかもしれない。
科学が世界のすべてを証明したとき、人は眠れるモンスターを叩き起こすことになるかもしれない。
文明の光が強ければ、影が闇になるやもしれぬ。そうなれば人の世に平然とモンスターが現れうる。

それとも既に、モンスターは解き放たれているのか。

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