One MIZUHOの法則

「One MIZUHOの法則」と読んでいるものがあって、本当に「One」ならわざわざ「One MIZUHO」とは言わないと思っている。

みずほ銀行は良く知られているように、3つの大きな銀行が統合してできたもので、当然ながら派閥争いがあるだろう。だからわざわざ「One MIZUHO」と言わなければいけないのである。

ゆるくない人ほど「ゆる」だといい、私のように「ゆる」だと見られがちな人ほど「ゆるではない」と言いたがる。

というのも昨日、私は打ち合わせで、昨今の「ゆる」が付きがちな風潮について悪口を言った。悪口というものは、言い出すと止まらないので、はずみがついて「なにがゆるだ、真剣にやれ」とまで口に出した。

私が本当に言いたいのは「ゆる」の悪口ではなく、きっと私は「ゆる」だと舐められがちな自分が嫌であり、本格派で行けるなら本格派でいけばいいのに、という羨望がある。だいいち、私が「ゆる」だと思われているのは、フェイスラインの丸みゆえじゃないかと常々思っている。こんなに気難しいのに。

でも「あなたのゆるさに救われた」と言ってもらえることも多く、私は内心「ゆるくないのにな」と納得のいかない思いを抱えているが、自分の良いところというのは、意外とそういうものなのかもしれない。

そもそも「ゆる」と言う人は、毎日をわりと几帳面に生きているから、気をゆるめる自分を貴重に感じて、そのような言葉遣いになるのだと思う。私は日ごろゆるんでいるから、たまに頑張るとそれが貴重で、私そのもののように感じてしまう。

努力によって獲得したものを人は過大評価し、自分のもともと持っている良い資質は透明だから気づかれないのかもしれない。キャッチコピーはいつも裏腹だと思う。

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