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ボケボケしてはいられないのよ。この時代は

5月だというのに、暑かった。

『ヒストリエ』を読んでいたら、無性にラーメンが食べたくなった。17時に家を出て、20分ほど歩き、高田馬場にある中華そばの店へ向かった。店の外まで醤油の匂いがする。

店の外では店名を連呼する愉快なBGMが流れていた。中に入るとFMラジオがついている。券売機のボタンは、全部メニューで埋まっている。ボタンいっぱいにゴシック体の文字が並ぶ。

大学生だったころは、中華そば(並)にヤキメシ(1/2)をつけていた。若かった。しかしデスクワークの社会人にヤキメシ(1/2)はつらい。そのかわり、あさり醤油(並)にした。あさりが入っている分210円高い。バターを乗っけると60円高くなる。私にはまだ早い。

カウンターには70代ほどの女性が2人。シルバーの髪は、丁寧に手入れをしている印象を受けた。着ているものも上品だ。ラーメン屋には珍しい客だと思った。ご婦人Aが活発に話し、ご婦人Bは相槌を打っている。

ご婦人Aが言う。
「最近、ビューティプラスっていうアプリで自撮りすることを覚えたの」

ラジオでは、高齢者の流動食のCMが流れている。

私はセルフサービスの水をくんだ。

ご婦人Aは言う。
「やっぱり、『朝ドラに出たい』ってちゃんと目標を書かなきゃ」

どうやら二人は、芸能事務所に所属しているようだ。「ドクターXに出たいわ」とご婦人Bも相槌を打つ。

ラーメンが来た。中華そば(並)よりも、あさりの風味がプラスされている分味に奥行きがある。ネギが入れたい放題なのもうれしい。

ご婦人Aは続ける。
「だから私、こんなことを考えたのよ。私の家に、バスタブがあるんだけどね。それが風呂じゃなくて、バスタブなのよ。工事に来た人もね、いいバスタブですね、ってホメるの。その工事の人っていうのも、バスタブをつくった人じゃないのよ。全然関係ない修理とかの工事で来た人。だから、たぶんお世辞じゃないと思うのよ。で、そのバスタブを撮影で貸せますって言えばいいんじゃないかなと思うの。いま、撮影のためになんでもつくれる時代じゃないでしょ。だから助かると思うのよ。それにね、私の家の庭も、ちょっとした日本庭園のように見えるのよ」

ご婦人Bの相槌が適当になっていく。

私はやっぱりヤキメシを頼めばよかった、と思った。

ご婦人Aは言う。
「ボケボケしてはいられないのよ。この時代は」

話は、同じ芸能事務所の佐々木さんの活舌の悪さにうつっていった。佐々木さんは活舌が悪いので事務所をクビになったらしい。ご婦人Bもさっきより楽しそうに見えた。

ラーメンを食べ終え、カラオケに入り、「ロマンスの神様」をうたった。週休7日、しかもフリーランス、替わりはどこにでもいるんだから、と思う。

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