ひじきは運命のドアを叩くか(日記)
ひじきですね。ひじきを食べてください。
貧血がひどいと言った私に、彼女は言った。
一人しかいない会社にバイトの女子が入った。はじめての後輩。彼女も貧血だったようだが、ひじきを食べて良くなったようだ。
なるほど、ひじきね。今までの人生で、ひじきを能動的に食べようと思ったことが無かった。そういうと、山本さんは面白いですね。とニコニコ彼女は笑った。
ときどき、若い女の子に無性に認めてもらいたい時がある。でも、私も若い女の端くれだからその気色悪さはよくわかる。自分の欠けている部分を誰かで補おうなんて、どうしょうもない邪念だ。欲を捨てて精進しなさい。私の中の偉い僧が厳かに言う。スパーンと木の棒みたいなもので殴られもした。
ひじき、大丈夫ですよ。簡単に作れますから。
そうかな。
今は、ネットで調べればすぐですし。
わかった。ネットリテラシーを駆使するよ。
その意気ですよ。
帰り道、貧血でふらふらした頭で考える。さて、ひじきを買おう。でも、ひじきってなに。草?海藻? 私はひじきのことを全然しらない。たぶん、こんぶの親類だろう。圧倒的にひじきリテラシーが足りない。ひじきだけではなく、たぶんありとあらゆるリテラシーが足りない。
私はいつも自分が雑な分類をされたら怒る。「サバサバしている」とか「ヒモとつきあうダメ女」みたいな分類をされたら、すぐその人と心の距離を取る。そのくせ、ひじきに対しては雑だ。こんぶコーナーにいくと、狙い通り隣りに乾燥ひじきがあった。雑な分類も捨てたもんじゃない。世界の人口を4つに分類すると私も綾瀬はるかと同じグループに違いない。
購入し、這うように家に帰る。貧血で頭が回らない。裏の説明には「水で1時間戻して」と指定されている。待てない。ネットリテラシーを駆使して、「ひじき そのまま食べる」と検索した。「食べられなくもない」という回答が得られた。私のネットリテラシーは海より深く山より高い。
そのままボリボリ食べる。まずい。いや、そんなにまずくない。体にいいと思えば食べれる。いや、だんだん美味しくなってきた。虫の足を食べる魔女のような気持ちにもなってきた。固いので、歯茎に刺さっていたい。
説明書きには「水に戻すと7倍の量に膨らみます」と書かれている。7倍の量が想像できない。私の頭で想像できるのは、せいぜい3倍だ。身体がひじきの膨張率に堪えられず爆発する可能性がある。ひじきこわい。
そのまま、倒れるように目を閉じる。血よ満ち満ちてくれ。血潮よ真っ赤に流れてくれ。夢では資本主義の妖精が出てきて、私の自堕落な生活、そしてどうしょうもない目標の無さをなじった。私はうなずくしかない。でも言われたくらいで改善できるなら、とっくに改善できている。資本主義の妖精は顔が四角い。
○ ○
大学時代のゼミの同期の飲みの会があった。
私以外、みんな着実にエリート街道をひた走っている。眩しい。羨ましい。眩しい。羨ましい。私はなんの土俵にも立っていない。ちびっこ相撲大会に出て、軽々しく投げ飛ばされるただの肥満児だ。たまたまぽっちゃりしていたから、周りが「将来はお相撲さんかな」と言っていただけで、当たり前だけど、ぽっちゃりしているだけでは、相撲は取れない。郷里の親に期待させてしまいすまなかったと思っている。
みんな転職を考える時期らしい。「スキルアップ」と言い切る目には自信が宿っている。たぶん、実力もある。TOEICも900点以上とのこと。
TOEIC900点男:芥川賞ってすごいよね。おれね、アイスコーヒーの氷がカランって音をたてると、小説が書きたくなる。
私:よくわからん。
TOEIC900点男:喫茶店でカランと音をたてるけんね。なんか誰かを待っている物語が浮かぶんよ。
TOEIC900点女:イトコのお姉さんと待ち合わせをしていて、ブラックコーヒーを大人びて飲んでいるんじゃないかな
私:なるほど。
TOEIC900点男:うん。もう一つできたわ。
私:やめろやめろ!飲み会の集合知で出来た話なんて100番煎じだ!
みんな:そりゃそうだ。ワッハッハ。
というわけで、みんな賢く、文学にきちんとリスペクトを持っていて、でも資本主義の道をひた走っているのだった。もう私はとにかく完敗、といった感じ、というか私はそもそも文学の側に肩入れしている気持ちになっているけど、そういうタイプでもない。仕方なくビールをごくごく飲み、酔っ払い、陽気になる。ダイエット中なのに、冷やし担々麺を食べる。
アボカドが運ばれてきた。切られたアボカドの上には黒く細長いものが乗っている。塩昆布か、と思って食べたらひじきだった。塩昆布もひじきも、おんなじに違いない。良く分からない確信を得て嬉しくなった。
○ ○
次の日、なにかに感化された私は本屋にいき、ビジネス書コーナーをにらんだ。資本主義の頂に、私も登ってやろう、と思った。正しくは、資本主義の頂に、楽して登れる方法がどこかに書いていないか、と思った。
どの本も「仕事ができる」ことをうたっていた。そうか、資本主義の頂には仕事を介してしか登っていけないのだと、当たり前のことに気が付いた。本の間に100万円はさんであるわけではないのだ。女性用のビジネス書を読むと、「仕事ができる」上に「愛される」必要もあるらしい。余計なお世話だ。
「みんなね、そんなこと分かってやっているんだよ。」と資本主義の妖精が私に言う。正論すぎてぐうの音もでない。ぶんぶん周りを飛び回っているので、羽音がうるさい。しかし、「うるさい」と一喝し無下にすることもできず、ただただうなだれている。
辛くなったので、本屋の隣にあったブティクS(※)にてTシャツを物色した。私は、高い洋服を買わなくても生きていけるんだ、と思いたかった。何と戦っているのか分からない。けど、いつもなにかと戦っている気がする。
狩猟民族のDNAがそうさせているのではない。単に暇なだけだ。私は土俵に立てないくせに、よくわからない概念を相手にひとり相撲をとっている。でも誰も傷つけていないからマシだ。きっとそう。手に取ったTシャツには「ディステニー」と書かれていた。くそダサい。
(※)ファッションセンターしまむらの意
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