ペヨトル興亡史2-0

ペヨトル興亡史2-0

長年の友人が鬱になった。ギャラリーを閉め、引退するという。そこに至るまでの話は余りにも辛く、そして今という時代でなければ起きない[負の波]をフロントで浴び続けたことによる[鬱]なので、彼に対する応援と、こういう人間がいたのだという記録の意味も込めて記述していこうと決意した。

時折、自分自身の感想も述べていきたい。彼との出会いは自分にとっても大きな変化をもたらしたし、また同じ時代を生きた同志としても尊敬している。彼の身に起きたことがらは、非常に時代的なので同じような境遇にいる人たちの生き方の参考にして欲しい。(そのことがどんなことを意味するのか、読んでもらえばおいおい分ってくるだろう)

渡されたのは彼の日記だった。廃棄してくれと。もうすべて負けてしまったからと。カフカがブロートに小説を託して消えていくのを真似て気取っていたのかもしれない。彼は自分の雑誌(『夜想』)でカフカの特集号を組んで、その号をけっこう気に入っていた。雑誌を出版した後、イベントを1年以上打ち続けていた。もし彼がカフカになぞらえて日記を私に渡したのであれば、それは、自分のいなくなった後に、公開してくれということだ。

公開するなら早いほうが良い。人間死んだら終りだ。そのあとに名誉を回復しても意味はない。

彼(今野裕一氏)の鬱の原因は、心を許していた弟(今野真二)が、母親と母親の資産をすべて自分の管理の元に置いて、一切、彼とコンタクトが出来ない状況にしてしまったことによるものだ。
彼の引退はそれだけが原因ではないだろうが、大きなファクターだ。

日記の日々を紹介しながら、ペヨトル工房を主催してきた友人のこれまでを書きとめていきたい。それは自分の興味でもあって、同じ神奈川の出身ながら、似たような可能性をもっていながら、彼は自分とはだいぶ異なる人生を歩んできた。文化のフロントが大波をうって変化したこの四十年を、その波の先端で泳いできた彼の生き様を紹介していければと思う。そして今、[鬱]で彼は仕事をやめる。

彼を知る手がかりは手渡された日記だけだ。発表することもあると考えていたのか、クールで客観的な書きっぷりだ。例えばこんな感じだ。


精神科医の日 2020/08/26

弟にのしかかられて、首を絞められた。うわっと声を上げ手を払って、夢だと気がついた。思っていたより、この一年の苦悩は深いのかもしれない。何か手を打たないと手遅れになるかも、そんな予感がした。

弟が母親とお金と家を持っていってもう1年と2ヶ月。成年後見人申請をしてだいぶ立つが、袋小路に入っている。

以前、境界線パーソナル障害の専門家、岡田尊司さんに診断を受けたことがある。(夜想『少女』特集に診断にかかったドキュメントが載せられている。岡田尊司さんは、ボーダーの治療をする専門医であるが、特別にボーダーに標的にされる人の話を聞いてくれた)
大丈夫だと思っているでしょう、死んじゃうよ。30年の蓄積は長いから。パラボリカ・ビスは、スタッフと作家のボーダー的行為によって、停止寸前まで追い込まれていた。
それから人と微妙な距離をとるようにした。それでもことは起こる。そしてさらに弟の母親と財産の囲い込みだ。もう一年以上になる。会社に入る前に、カフェで今日は、これとこれと、とmust to doをノートに書いておくのだけれど、何一つ手につかない。力入らない。人にはオーラが落ちたと言われるようになった。夜は眠れないし、仕事にも全然、熱が入らない。企画を立てるのもおっくうになり、会社のソファーで横になる日々が続いた。
今度の鬱状態は、治療しないと危ない。夜想『ゴス』に執筆してくれた長野の精神科医に錦糸町の精神科を紹介された。

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病院に行ったら、予備問診があって、事細かに聞いてくれる。弟の非道についても話をした。弟は母親と金銭を囲い込むという行為自体も酷いが、こちらのコンタクトをスルーして応じない無視する、言葉のコミュニケーションをしないということだ。そして嘘の話を周辺や裁判所にして、僕を追い込んでいくという行為はさらに人間の心を傷つける。そんなことを話した。

先生の診断になった。

◎若く見えるけど、老人なんだからしっかり休んだら? 頭を30年間使ってきて疲労しているからね。(30年じゃないけどね…もっと)
☆半年とか休むということですか?
◎いやもっときちんと休まないと駄目ですね。年なんだら永遠に。金銭的に問題がなければ、リタイヤしたほうがいいですよ。仕事やらないと駄目なの?どんな仕事をしているんですか?
☆火付盗賊改の対象になること以外…。放火と殺人はしないです。それ以外は。出版とか、ギャラリーとか、演出もしますし、プロデュースもします。放棄茶畑の運営もします。
◎?
あのうちょっと難しい話をしていいですかと断って、

☆これまでやらなくてはいけないという仕事はひとつもしていないです。今までにない仕事を作り出して、それを他の人にもモチベーション高くやってもらうようにするのが、仕事です。
◎……
☆鬱なんですか?
◎しっかりと鬱だと思います。重度ではないかもしれませんが、まちがいなく。
☆うーん。
◎眠れないんですよね。薬は飲みますか?
☆向精神薬系ですか?ちょっと飲みたくないですね。
◎そうでしょうね。では漢方薬で睡眠を取りやすいものを出しましょう。

原因の究明にあたるようなことは一切聞かれなかった。ただ仕事の引退を勧められただけだ。むしろ使っていたDHEA(現在は禁止薬)という薬の効能や仕事の内容についてちらりと聞いたりだけだった。対処療法もせず(それはありがたいのだけれど)原因明確化もゼロだった。
帰ってきて紹介してくれたTさんに様子を話したら「正解!休むのが一番だよ……」と言われた。話すことが重要なので、これで良いのだろうが、日々、頭の中を巡っている弟の行為についてや伝え聞く言動は、自分の鬱をいっそう深くしてった。


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2020年の夏ごろから、彼は仕事を減らし、パラボリカ・ビスの企画もところどころにすき間が見えるようになってきた。かれは2006年からパラボリカ・ビスと名づけた、浅草橋のギャラリー(75坪)の企画・運営をほぼ1人でまかなっていた。部屋は5つ、一つの展覧会の期間は比較的長く3週間くらい。年間50以上の企画を考え、仕込み、販売していたことになる。しかも雑誌『夜想』の頃からの傾向だが、超大物と新人とを同時に合わせていくという大胆なやり方をしていた。新人育成という志向は彼の活動のなかで一貫している。ギャラリーは、2020年秋に終了宣言をし、その大晦日に建物を新しい大家に明け渡してすべてを終えている。

さて、精神科医のことに戻れば……思うに精神科医と言えども患者の生き様や考え方をある程度、把握できないと、アドバイスができないのではないだろうか。彼は自己分析の好きな男で、ボーダーたちに受けた行為を、客観化しようとし、治療におもむき、それをそのまま雑誌に載せている。夜想『少女』特集だ。早い時期に2マイナスという雑誌で雑誌で『ドラッグ』特集を組んでいて、危険ドラッグ(当時は合法ドラッグと呼ばれていた)や向精神薬などの境界線上のドラッグを詳細にレポートしていた。精神障害についての薬の効果についても取材を通じてアプローチしていた。詳しすぎる患者は扱いにくい。同時にその人間や仕事をある程度把握できないと、精神的なことや生き方をアドヴァイスできないのではないかと思う。彼は良くも悪くもちょっと世間を逸脱しているように見えるからだ。本当はそうでなく非常にオーソドックな手法をしていて、ノーマルな人間なのだ。

清泉女子大の国語学の教授である彼の弟(今野真二)は、そこをたくみにつくトリックを作り出しているのだ。その話はまた次回に。



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