小説人形論『春秋山荘遺文』 中川多理の創作十年 第一章『化鳥拾遺』①
◉第一章『化鳥拾遺』
京都・JR山科駅から山にむかって、たらたら坂をのぼっていくと、路の先には、こんもりと繁った半円の入り口がはっきり見えている。にもかかわらず、毘沙門はなかなか近寄ってこない…。こうした坂ではいつものことだと言い聞かせてはみたものの、それでも化かされているのか思うほどに距離は縮まらない。ここらはちょうど半分くらいかな…と言いかけて、連れがいないのに気がついた。左右から山が迫ってくるように道が細くなっているそこいら辺りがちょうど毘沙門堂への半分のところ…琵琶湖から京都市内に向かう疎水が道をよぎっている。15分も歩けば春秋山荘に着くはずなのだ。また言い聞かせて歩をすすめるが、夢の中のように進まない歩の覚束なさを我慢してさらに行くと、ようやく毘沙門堂に着く。
参道に入って…そこは登らず、左手をさらに山にむけて歩む。南禅寺に抜ける曲がり道を二回ほど弧を描いて巡れば、そこに春秋山荘がある。住所、山科安朱稲荷町。しかしながら近くに稲荷は見あたらない。後に、Kが稲荷の発掘に立ち会うことになるが、それはまた別のお噺。かつて安祥寺山寺の——今の毘沙門堂もその敷地に含まれていた——巨大な伽藍の麓近く——そこに春秋山荘はある。
人形作家Nは先に着いていた。
春秋山荘の裏庭にヤコブの梯子とよばれる光芒が射し、山荘の雨戸窓の隙間から光の帯が裏山の竹を黄金色に輝かせてた。光は裏庭だけに拡がり惑星からの落下物のように光は落ちて拡がった。…気づいて、人形作家Nが小さく声を上げた。人形たちはすでにあらかた荷を解かれて、顔や球体関節が薄葉紙に包まれたまま床に寝かされていた。空の段ボール箱は、きちんと畳まれ部屋の墨に積まれ、僅かに見えている人形の肌が、おだやかな肌理をみせていた。できがよさそうだな…今回も。鳥の姿をしている者たちも、幾体か見え、ゆるやかに光を乱反射しながらも色を保っていた。設営の第一は、梱包を解くこと。静かに並べ思うこと。
山荘の裏山には、後山階陵 がある。のちのやましなのみささぎ、と読む。平安時代前期の第54代・仁明天皇の娘・藤原順子(ふじわら-のぶこ)が葬られている。安祥寺山寺の座主。裏庭を抜けて左手の道を根気よく歩いて山越えすれば陵にでる。天智天皇陵。歌詠みでモテモテの武人。弟の嫁、額田女王を妻にして…その他に妻7人。百人一首はこの天智天皇の歌ではじまる。天智天皇陵・山科陵。何故、天智天皇が山科に葬られたかは分かっていない。良く狩をしていた山科だからと、愛人を追いかけてこのあたりを香りのように彷徨したと…。遺体があると信じられているもっとも古い陵だ。狩をする中大兄皇子は山荘のあるあたりに遊んだにちがいない。春秋山荘の庭から小川を越え、対岸の山へ向かう獣道が、今も山荘の庭先を過っている。鹿や200キロを超える猪が夜な夜な、闊歩する。一度、老巨大猪に出会ったことがある。剛毛にしてやや灰色がかった躯体が裏山の稜線の辺りに見え、意外に近い距離に両者困惑して、猪の方は門扉に大音をたてて体当りし壊して逃走した。のちに地元猟友会が撃ち損ない、手負いのまま山荘の入り口を疾走するという惨劇になったが…その老猪にであったわれわれ人間の方はというと、ただ茫然として口を開けて立ち尽くしていただけだった。怪我なくよかった。
光芒がさしたのは、ひとしきり開梱が終わって作家も一息入れていた頃だった。人形の気配と景色を併せながらどこに居るかの位置を待つ。決めるのは人形であったり、作家の意図であったり、偶然の曳航だったり…それはいろいろであるが…落ち着きどころを探さなくてはならない。とにかく人形の持っている景色と居るところの調和点を探す。実際には点ではなく線であるよう捉えている。感覚的に近いのは『花伝書』の線を引く――だろうか。演劇の正面ある空間、現代美術の空間自在、そこにプラス線をさす。人為の…。勅使河原蒼風の展示感覚が今はしっくりくる。
裏庭に拡がる黄金色が溶けて暗くなって消えていくのを…背後に感じ…さてこの光は設営に反映したほうが良いのかと…作家とKは声をださず何となく模索していた。…しかしながら風景をもつ人形たちには光は余計か…などと迷い、思い切って全体を人形の風景に委ねるも有りかもしれない…と、あれこと惑っているうちに陽はしだいに影っていった。
いつの間にかSが脇に立って、薄羽の包帯で梱包されて並んでいる新作を見ていた。
「今回の設営はどのような手順で?されます。お手伝いはどのように?」
聞かれて、
「作家に任せるかな…今回は…鳥は作家元来のモチーフでもあるし、また深いところから変化して化けたようなところもある…」
まるで紙に書くような思ってもいない言葉が口をついた。今回も予想外の出来、予想以上の出来…予想を裏切って作品を仕上げる作家は、超一流の階段を登る。まだまだ伸び代全開というところですね。作家任せ、鳥任せ。まずは。設営に設計図はない。作家にもKにも。そもそも(この位のキャリアの)作家になると、作るのにも設計図は使わない。何かが見えたら、何かが決まったら手が動き出す。
(続く)