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40代男性のアクセサリーとは

歴史を紐解けば、男性も女性も古代から装飾品を身につけていたことは事実であります。日本でも勾玉なんて代物もありますし。

なぜこのようなことを書き始めるのかというと、自身がアクセサリーやジュエリーの仕事に携わっていて好きなジャンルだということが一つ、あと見渡せば日常で装飾品を身につけている人が本当に少ないなーとう気づきがあったからです。

私がジャラジャラとアクセサリーを身につけていることは全く無くて、着けてもマリッジリングの他に好みのものを一個くらいなのですが、自分を飾るという事は実は気持ちのいいものです。きちんとした知識と、わきまえが自身にあれば、その人なりの美しさが滲み出てきます。自己の満足感と共に、その人の持つ「良さ」を無言の伝達する機能を持っているのです。

昔、アクセサリーの制作をしていたこともあり、「アクセサリーが欲しい」というお声かけをいただくことが時々あります。しかし、この時にどのようなアクセサリー・ジュエリーが欲しいのかと問うと、「わからない」と答える方がほとんど。つまり、アクセサリーは欲しいけれど何が自分に合うのかわからない、ということでした。

欲しいのに、自分に合うものがわからない。

つまりどういうことかというと、算数で例えれば、答えは「りんご6個」なのに中身の問題がなんで「りんご6個」になるのかがわからないということなのです。
煙は立っているのに火元がわからない、とも言えるでしょうか。

これは多くの人が抱える、似合うかどうか「他人の目線が気になってわからない」、という悩みなのだと思いました。

しかし、この悩みは根本的に大きく間違えていて、他人を喜ばせることが目的ではなく、そもそも装飾とは、日本の家紋に挙げられるように、自分はこういう家のものです、とかこういうものが好きな人間です、とか自分を無言で表わすものなので「他人からどう見られるのか」なんて気持ちは存在しないのです。

他人の評価が気になるけど「自分にはこういうものが好き」なのであれば、ボールペンを万年筆に変える、シャツの中に大好きな宝石の入ったペンダントをいつも身につける、などのさりげなさもその人の美しさを表わす行動だと思うのです。それがその人の作るステータスなのだから。


酸いも甘いも噛み分ける40代男性だからこそ、私はアクセサリーで生き方が表現されていると思っています。何も装飾品だけがアクセサリーではありません。身につけている小物や道具もある種のアクセサリーです。
鞄の色と材質は何を選んでいるか、時計はアップルウォッチか機械式か、歯ブラシは〜、などなど。
お金をかければいいわけでもないですが、多少高価であっても良いものは耐久性も高く大切にすると長く使えて結果的にリーズナブルであることが多いものです。
私も、靴は十年以上も直しながら履いていますし、時計も機械式のセイコー5で比較的リーズナブルですが直しながら十年以上は使っています。ジュエリーやシルバーアクセサリーに至ってはほぼ劣化しないのでいつまでも磨いて使っています。こだわりというか、お金もないし好きなものは捨てられないので結果的に職人さんに直してもらって使っていたわけですが。

もしも、躊躇している方がいたら、自分に素直な選択をして欲しいと願っています。
(散財はしませんように)

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