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スマートには生きられないけれど

◯無料マガジンで交換日記をはじめました◯


ともちゃん

ほんと、あっという間に夏がやってきたね。あんまり梅雨が長いのも気が滅入るけど、今年は早かった〜。前回の日記を書いてから、ブルーベリーの収穫のアルバイトに行ったり、そのためにワークマンでカッパを揃えたえり、夫婦喧嘩したり、仲直りしてねぎらいのパフェを食べに行ったり。あっという間の7月でした。


ともちゃんが事故に遭ったと聞いて、本当にびっくりしました。よくぞ無事で……!と思いながら、やっぱりわたしも少なからず動揺していたと思います。むち打ち、きっと想像以上のつらさがあるよね……。今ともちゃんがゆっくり休める環境に身を置けていて、本当によかった。

ともちゃんに伝えたあの言葉は、わたし自身にも響かせたい言葉でした。言葉としては違うけど、体感的にはホ・オポノポノと似てるような気がするの。相手や出来事を責めるのではなく、起こった出来事自体から自分を切り離すというか。「このことからはいいことしか起こり得ない」と自分の姿勢を決めることで、もう視線は前を向いている気がするんだよね。その感覚を思い出したいから、たとえ喧嘩して混乱した頭でも、ショックで打ちひしがれるような状況でも、なるべく早くその言葉を唱えたい。この間は軽トラの中で大喧嘩してほんとに参ってしまったので、助手席から見えるところに付箋でも貼っておくかなあ(笑)。


数年越しのラブレター、どうもありがとう!わたしたちの交換日記なのだから自分が出てくるのは当たり前だろうに、なんだか照れちゃった。心身ともにボロボロで、いつも何かが悲しくて、怒っていて、自分を卑下して、何でもかんでも誰かのせいにして。ともちゃんは過去の自分をこう表現していたけど、それは同時にわたしの姿でもあったと思う。わたしはともちゃんより少しだけ早く生まれて、人生という道を少しだけ先に歩いていたから、そこで起こる苦しみをちょっとだけ多く経験していて(年齢と経験は必ずしも一致しないけれど)。だから「ともちゃん、そういう時はこうしたらちょっと楽になるかも」って、わたしから言えることが少しはあったのかもしれない。

でも、あとから振り返った時。これはなかなか自分で消化するのがきつかったんだけど、当時のわたしには、ともちゃんを「救いたい」という思いがあったんだよね。その時は自覚なんてしていなかったけど、ともちゃんを「救ってあげねば」って思ってたと思うし、苦しんでいるともちゃんを放っておくことは、過去の自分を見捨てることだって、たぶん思ってた。だから自分の中のありったけの経験を捧げようと手紙やらメールやらであらゆるメッセージを届けたと思うんだけど、あれは受け取る方も相当消耗したよね……。

わたしの考え方がそのままともちゃんに通用するとは限らなかったし、結局わたしは自分とともちゃんを切り離せないまま、勝手にともちゃんの課題に首を突っ込んでいたということになる。だから自分の提案を採用してもらえなかった時、それはアドバイスする立場としては受け入れて当然の結果だったのに、わたしは必要以上に傷ついてしまったんだと思う。自分の「こうなってほしい」というコントロール欲に無自覚なまま、それをともちゃんに向けてしまっていたこと、本当にごめん。あの時わたしも失敗という経験をして、たくさんのことを学びました。種、蒔けていただろうか。そんなふうに言ってくれてありがとうね。あの頃のわたしたちに、心からお疲れ様を言いたい気持ち。


過去の自分が死んだように感じる、という話。実はわたしもわたし自身に対して、その感覚を抱いています。今までほとんど人に話してこなかったことだから、ともちゃんが書いてくれて「わあ、おんなじ!!」ってびっくりしちゃった。ともちゃんは2年前かあ、本当に大きな変わり目だったんだね。わたしの場合は5年前。結婚して自分の名字が変わって、とてもわかりやすく違う人生に切り替わった。もちろん今の自分と過去の自分はひと続きで同じ人間だということは理解しているんだけど、ともちゃんの言うように、わたしなんだけど別人のように感じられる。結婚前の自分が前世ぐらい昔のことに思える時があるよ(笑)。

当時の自分を思い返すと、「誰か答えを教えてくれ!」って、声にならない叫びを全身から発していたように思う。みんなどうやって生きてるの?どうしてわたしだけうまく生きられないの?どこに答えがあるの?いつになったら楽になれるの?お願い助けてって、いっつも頭の中が悲鳴でいっぱいだった。でも今になって思う。答えなんて誰も教えてくれないんだよね。それは世の中が冷たいからじゃなくて、答えは自分の中にしかないから。何を読んでも誰に聞いても決定的なことは言ってくれなくて、みんな同じようなこと言ってるけど、結局どうすりゃいいの?!って怒りばかり増幅させていたけど、わたしの答えはわたししか知らないわけだから、やっぱり外に答えを求め続けていたら、いつまで経っても楽にはなれないんだよね。
でも、ヒントは必ず外の世界にある、とも思ってる。外の世界や他人なくして自分というものを知ることはできないし、いろんな考えに触れて、いろんな人に出会って、いろんな言葉を聞いて、そうすることで自由になれる部分もきっとあるから。じゃあ自分はどうなんだろう、一体わたしは何を望んでいるんだろうって、最後は「わたし」に立ち戻ってくることができたら、きっと大丈夫な気がする。苦しい時代も長かったけど、それも自分に必要な期間だったんだろうってわたしも思ってるよ。できれば最短で終わってほしかったけど、あれが自分の最短だったのかもしれないし。10年以上もがいて、失ったものもたくさんあると思うけど、失われた10年とは思わないし。

さっき少し書いたけど、失敗しなきゃ理解できなかったことって、きっとあるよね。だから失敗も財産なんだと思う、本当に。できれば失敗したくないし、何事もスマートにこなせる方が一見かっこいいんだけど、わたしがスマートに生きようとすると、たぶんうまくやろうとしちゃう。スマートな人は、スマートにやろうなんて意識しなくても自然にそう振る舞えるわけで。自分がうわべだけでそれをやろうとする感じ、ちょっと想像しただけでなんだか心が寂しくなる。自分のどこかを置いてけぼりにしちゃうような。きっと今から天然スマートにはなれないだろうし、これからも適度に失敗しながら、泥臭くやっていくんだろうなって思う。わたしも今が一番しあわせだよ。即答できたともちゃんも素晴らしいな。おめでとうわたしたち!(←これ、この交換日記のキャッチフレーズのように感じるよ〜)


ほんと、書き始めると思ってもいない方向に進んでいくね。それもこの日記の醍醐味ということで、流れにまかせてみました。そうそう、普段は自分のことを「私」と漢字で書くのだけど、この日記ではともちゃんにならって「わたし」とひらがなで書いています。なんとなくそうした方が波長が合うような気がして。ひらがなの分量で文章の雰囲気ってけっこう変わってくるよね。この日記では気持ちひらがな多めなわたしですが、ともちゃんは漢字とひらがな、どんなバランスで使ってる?

パソコンの後ろでゆめが寝ています。しんちゃんはちぐらの中。それぞれが気持ちのいい場所で、それぞれに。それがいいね。

アヤコ


◯食卓の引き出し◯

ともちゃんはほんとお料理上手だなあ。おいしいものをセンスよくささっと作ってるイメージがあるよ。和え麺おいしそう!って思ったんだけど、実はさっちゃんが干しエビ苦手で(釣りの餌の匂いがするって言うの笑)、わたしはトマトが苦手という山本家の事情が〜。
でもトマトは種を取る or 加熱すれば前よりいけるようになった!ご近所さんからいただくトマトは、さっちゃんがどんどん食べてくれるからありがたく受け取ってるの。もし食べるのに困ったら種取って角切りにして和え麺だって覚えておくね。


わたしからは、収穫したじゃがいもで作ったポテトサラダを。

夏のポテサラ2021
・じゃがいも(今回はきたあかり)
・みょうが
・大葉
・ちりめんじゃこ
・マヨネーズ
・オリーブオイル
・梅酢と梅干し(どちらかだけでも)

じゃがいもを蒸して皮をむいて、好みの加減までつぶす。みょうがは縦半分に切って斜め切り、今回のはスーパーで買ったので水には晒さずそのまま。多少のえぐみも夏のおいしさだと思うけど、産直で出会うような泥つきのワイルドなやつだったら、やっぱり水に晒すかな。大葉は千切り。ちりめんじゃこは好きなだけ、食べる時の自分が喜ぶ量を。いもをつぶしたボウルにマヨネーズとオリーブオイルと梅酢を入れて混ぜて、馴染んだらみょうが大葉ちりめんじゃこを加えてさらに混ぜる。オリーブオイル入れるとマヨの入れすぎ防止になるなと思って、最近作る時はいつも入れてます。梅酢を追加しようと思ったら梅干しが一個ボウルの中にぽとんと落ちちゃって(梅干し作りを教えてくれた友人にならって、梅干しを梅酢に浸して一緒に保存してるの)、叩いて一緒に入れたらちょうどよいアクセントになりました。酸味で食がすすむ夏のポテサラ、ぜひおためしあれ〜。


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