「コモンズ思考」を発酵させる その3    ホモ・エコノミクスvs ホモ・ソシオロジクス  ネオ・リベラリズム批判の深化に向けて


1. 概要

 「コンヴィヴィアリスト宣言」をまとめたアラン・カイエも、『贈与論』のデヴィッド・グレーバーもネオ・リベラストと功利主義への批判を深めるためにマルセル・モース『贈与論』の解読が鍵になるといっている。

 しかし、ネオ・リベラリストを支える近代の典型的社会理論(ホッブスとアダム・スミスに代表される)は、利己的個人から出発する思考であり、「人間は本来的に利己的である」という認識を前提にしていることを踏まえると、それに対する批判の土台は「人間は本来的に社会的存在である」という認識なのではないかと考えられる。

 つまり、ネオ・リベラリストの基本的な人間観はホモ・エコノミクスなので、それに対する根本的な批判のためには、ホモ・ソシオロジクスという人間観の内実を探ることが必要なのではないかと考えた。

 こうした着想で、モースの叔父であり、フランス社会学の創設者とされるエミール・デュルケイムの社会学を功利主義批判の出発点に据え、モース『贈与論』を、それを魅力的なものにするための「多元化、動態化」する試みの一つとして位置づけた。

 『コモンズ思考をマッピングする』では、モース『贈与論』とともに、ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』も功利主義批判の視点をもつことを指摘したが、この両者をどのようなつながりを持つかを探ることはしなかった。

 しかし、モースの師匠であるデュルケイムまで遡って考え、『ホモ・ルーデンス』をデュルケイムの宗教社会学に対する捉え直しの作業として位置づけると、その意義がはっきりしてくる。

 ネオ・リベラリズムに対する根本的な批判の途を拓くには、『贈与論』においてモースが提示した課題を、ホモ・エコノミクス的モラルに対抗できるホモ・ソシオロジクス的モラルをどう生成されていけばよいか、というように解釈し直すことが必要になる。

 そしてこの課題に対する一つの答えが、フリーソフトウェア運動の中から生まれてきた非商業的なOS,ソフトウェアの開発方式であるCommons Based Peer Production の社会モデルと開発に参加する人たちの動機体系という形で示されていることを明らかにしたい。 

2. アラン・カイエとグレーバーにとっての『贈与論』

 『コモンズ思考』の中では、「コンヴィヴィアリスト宣言」のまとめ役になっているアラン・カイエとの関連で『贈与論』をとりあげた。カイエは、MAUSSという功利主義批判の研究グループの活動を長く続けていて、それを踏まえ、多くの知識人との討議を経て「宣言」をまとめている。(最近には、「宣言」の第2弾も出ている。)

 他方で、『コモンズ思考』には書いていないが、noteの別稿に書いたように、D.グレーバーの『価値論』(Toward an Anthropological Theory of Value)から『負債論』にいたる仕事でも、モース『贈与論』を議論の土台にしている。モースは、民族誌と古代史の資料を拠り所にして、近代の社会理論(ホッブスとアダム・スミスに代表される)に対する批判を試みている。これを土台とするグレーバーの著作の狙いの一つは、ネオ・リベラリズムを支える近代の社会理論への根本的な批判にあると思われる。

カイエの功利主義批判の作業と「宣言」も、ヨーロッパでも影響力を増しているネオ・リベラリズムへの危機感がバネになっていて、どうすればそれを封じ込めることができるかをめぐって、提言をしている。そして、ネオ・リベラリズムの理論的な支柱である功利主義に対する批判を企てるとき、そのもっとも有効な手かがりは『贈与論』にあることをカイエは強調する。

 つまり、こうした点で、グレーバーとカイエの考え方は、きわめて近いということができる。

 米国のリベラルな知識人の多くがフーコーやドゥルーズの思想に依拠した発言をすることに対して、グレーバーはしばしば揶揄しているが、その上で、彼らは注目しないけど、フランスの思想家の中ではカイエたちがいちばん重要だ、という趣旨のことを言っている。

3. 「ホモ・ソシオロジクス」と「ホモ・ルーデンス」

ネオ・リベラリズムとホモ・エコノミクス的な人間観を批判するために、『贈与論』が重要だというグレーバーとカイエの認識に、私は賛成するわけだが、さらに、『贈与論』から『ホモ・ルーデンス』につなげて考えると、近代の社会理論に替わる思考様式に向かっていく道筋が見えてくる、と言いたい。

 これをつなげる橋となるのは、どのような論法なのかを考えてみた。

暫定的な結論をいうと、ホモ・エコノミクスに対峙するホモ・ルーデンスの間に、ホモ・ソシオロジクス(homo sociologicus :社会学的人間)を置く必要があるということだ。

 つまり、「ホモ・エコノミクス vs ホモ・ソシオロジクス」という対峙が基本としてあって、「ホモ・ルーデンス」は「ホモ・ソシオロジクス」の中の一類型だとみなす。

 ホモ・エコノミクスを導く近代の典型的社会理論は、社会契約説やアダム・スミスの経済学のように、孤立した利己的個人を出発点として議論を組み立てる。ネオ・リベラリズムは、こうした架空の前提に基づく議論に支えられている。この背景にあるのは、人間は本来的に「利己的な存在」だという人間観だといえる。

 モースが『贈与論』で明らかにしたのは、こうした考え方は17世紀ごろのヨーロッパで生まれた特異なもので、民族誌や古代史の資料から読みとれるのは、まったく異なる社会と個人の関係だということだ。

 ホモ・エコノミクスに対峙する人間像について、モースは要約的な表現をしていないようだが、敢えて単純化すると、人間は本来的に「社会的な存在」だという人間観を対置できるだろう。

 利己的個人がまず存在していて、その後で、契約の締結などによって国家(社会)がつくられるという議論は妄想であり、人間と社会は分離することができない、という基本認識だ。

これを「ホモ・エコノミクス」に対峙する言葉で表すと「ホモ・ソシオロジクス」になる。この用語は、ダーレンドルフという人が使っているが、ここでは、その使い方には捉われないことにする。

4. デュルケイムの「社会学」

さて、人間は本来的に「社会的な存在」だという言明をすると、この場合「社会」とは何を指しているのかを問わなくてはならなくなる。「社会学」の出番になる。

フランスでは「社会学」の創設者とされるのはエミール・デュルケイムで、モースはその甥で、デュルケイムの後継者とも見なされている。となると、デュルケイムが「社会」という概念について、どのような考察を行ったかを問題にする必要がある。

 私はデュルケイムの著作をあまり読んでいないので、確かなことはわからないが、デュルケイムの”The Rules of Sociological Method”(社会学的方法のルール)を読んでみると、彼の社会学についての考え方の特徴が見えてくる。

社会学の固有の研究対象を明確化するために、「social fact(社会的事実)」という用語を使い、これを客観的なものとして把握しようとしている。

 「社会的事実」の定義として、「個人に対して外的な制約(external constraint)として働くことができるもの」(p.59)と述べている。例としてあがっているのは、「法、道徳、信念、風習(custom)、ファッション」だ。「ファッション」は、時間とともに早く変化する事象の例だ。そして、例えば「信念」が「社会的事実」になるのは、その傾向や実践が「集合的(collective)」なものになっている場合だ。集合的な信念が、前の世代によって形成され、それが現世代に手渡される。権威を持つ者の教育を通じて、集合的な信念を、現世代は認識し、尊敬するようになる、とされている。

 「構成主義(constructivism)」の教育観では「知識は内部から構成され、外から注入することはできない」と考え、親や指導者にできるのは、「知識が内部から構成される」のを促す支え(scaffolding)を提供することだと考える。それに比べると、デュルケイムの教育観はずいぶんと権威主義的なものであるといえる。

5. 社会学の多元化、動態化

デュルケイムの社会学では、カイエがいうように功利主義批判という狙いが基調になっている。資本主義と功利主義的な価値観の浸透と世俗化によって、人々の孤立が深まり、社会的連帯感が希薄になっているという認識に基づき、

そうした問題への対処の仕方を探るために、まず、「社会」についての科学的な認識を確立する必要があると、デュルケイムは考えた。

そして、商品経済の浸透に対抗するために、社会集団やコミュニティの機能を見直すことが必要だとした。しかし、デュルケイム社会学では、集団やコミュニティと個人の関係について、どうすれば社会的規範(価値)への個人の統合を促すことができるかという問題意識が優越して、逆方向の、個人のモティベーションと社会的規範との葛藤という視点からの考察が欠ける傾向にある。

つまり、ヒエラルキー的、権威主義的な社会集団やコミュニティを中心に考える傾向が強く、構成メンバーの意思でボトム・アップ的に社会集団やコミュニティの制度を改変していけるようにするという視点が弱い。

しかし、集団やコミュニティの規範的価値にどうやって個々人を統合するかというリーダー(あるいは統治者)の側の視点だけでなく、個々人がさまざまな経験を積んで自己形成をはかれるようにするという視点、および構成メンバーの討議を通じて規範的価値を改変できるようにするという視点を交錯させないと、生き生きとした社会学にならない。

 フランス社会学の創始者の考え方はこのようなバイアスをもつが、彼が、功利主義批判への問題意識を強くもっていたのも確かだ。その点で、デュルケイムを、近代の典型的社会理論を批判する有効な議論を組み立てるためのたたき台とすることができるだろう。

デュルケイムに代表される社会的規範への個々人の統合という視点を強調する社会学に、異なる規範どうしの緊張関係という視点、ボトム・アップ的な改革の視点を加えて社会学を生き生きとしたものにするという課題を仮に「社会学の多元化」あるいは「動態化」と呼ぶことにする。

 ネオ・リベラリズムと功利主義(近代の典型的社会理論)に対する批判のための研究を重ねてきたカイエは、モース『贈与論』の読解こそ、有効な批判を構築する道であることを強調している。

『贈与論』におけるモースの問題提起をわたしたちなりに整理し直すと、資本主義の弊害を克服する新しい社会の構築のためには、ホモ・エコノミクス的モラルに対抗できるホモ・ソシオロジクス的モラルを見つけだす必要がある、ということになる。

 そして、こうしたホモ・ソシオロジクス的モラルの探究のためには、その前提として「社会学の多元化、動態化」の作業が必要になる。

6. ソシュール言語学のラングとパロール

 「社会学の動態化」という表現で何を言いたいのか、端的な例をあげると、言語学フェルディナン・ド・ソシュールのラングとパロールという対概念がよい一例になる。

ラングは言語の体系としての側面だ。例えば、フランス語のようなある言葉を話す人たちが頭脳に中に共有しているシニフィアン(記号)の体系とそれに対応するシニフィエ(意味)の体系を想定することができる。フランス語の辞書は、ラングとしてのフランス語を編纂していることになる。

他方、パロールは、ラングを前提として個々人が何かを発話する行為のことだ。例えば、詩人が詩を書くとき、詩人が記憶しているフランス語の使用例が脳内で編集されたラングを前提としながら、自ら内で生成しつつあるモチーフを詩として定着すべく、ラングから言葉を選びだし配列していく。その結果として、彼の詩作によって、読者のラングの中の特定の言葉の意味に揺らぎが与えられる、といったことが起きえる。つまり、さまざまなパロールの積み重なりを通じて、ラングの体系が徐々に変化していくわけだ。

 ソシュールのラングという概念は、デュルケイムが把捉すべく苦闘した「社会的事実」のすぐれた例となることは明らかだ。

 デュルケイムとソシュールはまったく同世代なので、ソシュールの言語学にはデュルケイムの社会学の影響があるのかもしれないし、そうでないとしても、時代に伏在した問題意識を両者が別の角度から形にしたのだと思える。

ソシュールが冴えているのは、言語学の対象としてラングの概念を明確化するとともに、これと交錯するパロールという概念を明示しているところだ。

デュルケイムの方は、社会学の対象となる「社会的事実」を明確化することに心を奪われて、社会的な規範や価値という体系の側面と個々人の行為とモティーフの側面とが交差する関係を捉える「社会的規範↔︎個々人の行為」モデルをどう構成すればいいのか、という問題にはあまり目を向けなかったようだ。

(じつは、デュルケイムの晩年の”The Elementary Forms of Religious Life(宗教生活の原初形態)”の結論の部分を読んでみると、「社会とは、能動的な協力に他ならない」(p.421)といった表現も出てきて、社会と個々人の関係についての捉え方が晩年にはダイナミックになっていたことがわかる。)

 ラングとパロールの例は言語学の領域の例だが、「社会学の多元化、動態化」にあたる動きは、社会学以外のさまざまな領域から起きているので、それらを見つけ出して、相互に結びつけ、互いに補強しあう関係にしていくことが重要だ。そして、「ホモ・ソシオロジクス」のイメージを豊かにしていかなくてはない。

ネオ・リベラリズムがはびこり近代の典型的社会理論がきわめて強い影響力をもつ現状を変えるためにぜひ必要なのは、こうした作業だと思われる。

7. C.アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」

さまざまな領域で起きている「社会学の多元化、動態化」の動きを、私にとって馴染みの深いものの中から、例示しておくことにする。

一つは、『宇宙卵を抱く』でとりあげた、生き生きとした都市と建築を可能にするための「パタン・ランゲージ」と生成的プロセスについてのC.アレグザンダーの探究だ。

「パタン・ランゲージ」をつくり、それを使いこなすサイクルについてのアレグザンダーの説明が明らかにしているのは、都市空間についてのラングとパロールのダイナミックな関係だ。「パタン・ランゲージ」は、生き生きとした都市空間を生成されるための「良いパタン」を編集したものなので、ラングにあたる。

そして、「パタン・ランゲージ」をつくるプロセスでは、さまざまな都市におけるフィールドワークを通じて、都市の心地よい空間を支えているパタンを抽出していくという作業があり、これは都市空間を「読む」というパロールだといえる。

また、「パタン・ランゲージ」を使って、街の現状を改革していくプロセスでも、現状の問題点と潜在的な可能性を「読みとる」作業がまずあり、それを踏まえて、何を加えるのがいいかを検討する「書く」作業になる。

このように「パタン・ランゲージ」は、都市と建築という領域におけるラングとパロールの関係、つまり「社会的規範↔︎個々人の行為」の相互的な関係のきわめて実践的な探究の例となっている。

 アレグザンダーの探究で注目すべき点の一つは、「パタン」は都市空間づくりや建築を進めていく上での一種の「ルール」であるわけだが、「ルール」はその構成の仕方しだいで、人々の可能性を抑圧するものにもなれば、創造性の開花を促すものにもなると、彼が考えていることだ。

「よいパタンのよい組み合わせ」を前提にすると、驚くほど、多様な都市空間、建築物を生成することができることをアレグザンダーは強調している。

また、「パタン・ランゲージ」の提案に対して、建築家の反応は総じて冷ややかだったことも意味深長だ。

多くの建築家は自己顕示欲が強いために、周囲の文脈を無視して、目立つ建築物を建てようとすることを、アレグザンダーは批判している。そうではなく、周囲の景観や地形などをよく読んで、そこに何を加えれば、その場所がより生き生きとした場所になるか、というアプローチが重要なことを強調する。

このような点から見ても、アレグザンダーのアプローチでは、利己的な個人から出発する近代の典型的社会理論の流れを克服しようとする志向が強いことがわかる。それに対して、多くの建築家は、そうした志向に不快感をもったということだろう。

8. V.ターナーの「構造と反構造」

「社会学の多元化」の一例として、やはり『宇宙卵』でとりあげているヴィクター・ターナーの「構造と反構造」という概念に注目してみる。ターナーは文化人類学者の中で例外的に、社会的規範への統合という側面と規範からの離脱や批判という側面の葛藤に焦点を合わせた人だ。

「構造」という言葉が指すのは、ヒエラルキー的な秩序によって社会が組織されている日常的なモードであるのに対して、「反構造」という言葉はカーニバルや巡礼のような非日常的なモードの際に起きるヒエラルキー的な秩序の流動化や逆転をさしている。

カーニバルの際のパーフォーマンスでは、普段は庶民に対して権威を振るっている王や司祭などの役が庶民に罵倒されたりするという具合に、秩序の転倒が起きる。

“The Dawn of Everything”の中で、グレーバーたちは、カーニバルの際に演じられる「反構造」は、季節のサイクルとともに起きる狩猟採集民の社会編成モードの転換を引き継いでいることを示唆している。

 また、巡礼の際には、身分や家柄などの違う人どうしが旅の途上で道連れになるが、社会的障壁が崩れて、何かの困難に遭遇したとき互いに手を貸し合う関係が生まれ、普段ではありえない人間的な交流が生まれることがある。

ターナーはこうした時に生まれる対等な人間どうしの親密な結びつきに「コムニタス」という言葉をあてている。

9. E. オストロムの制度分析

ホモ・エコノミクス的人間観に基づく主流派経済学モデルに対する批判は、フランスではデュルケイムをはじめとする社会学を拠り所としたが、米国では、S.ヴェブレンにはじまる制度主義の流れがフランス社会学にあたる役割を果たしたと考えることができる。

コモンズについての政治経済学を確立したE.オストロムも、自らの探究を新制度主義として位置づけている。

オストロムは、灌漑用水、地下水、森林、放牧地、漁場など天然資源について、コモンズの適用によって、資源を枯渇させない、持続的な管理が可能になるのは、どのような場合かを検討した。

 その際に、資源、利用者コミュニティ、ガバナンスの3つの側面にわけて、諸条件を考察している。例えば、漁場であれば、資源にあたるのは漁獲の対象となる魚になり、さまざまな魚種が季節や時間帯によって漁場にどれくらい集まってくるか、ということが重要な条件となる。利用者コミュニティは、その漁場で漁を行う漁民たちになる。さらに、ガバナンスとは、この漁場における漁をめぐるルール、ルールが遵守されているかどうかのモニタリング、紛争処理の方法、ルールの設定や変更についての協議の仕方、などのことだ。

 このように、オストロムのコモンズ論は、さまざまな分野、地域の天然資源のコモンズについて比較分析を行い、一般化できる原理を見つけだすとともに、個々のコモンズの改善の視点の見つけやすくすることを狙いにしている。

 オストロムのコモンズ論は、つぎの二つの点を達成したので大きな成果をあげることができたと考えられる。第一に、多様な天然資源、多様な地域、多様な時代のコモンズについて比較可能なように工夫をした横断的なデータベースを整備したこと、第二に、横断的な比較が可能になるような、持続可能な管理の成否を左右する諸要因についてのよい概念モデルを構築できたことだ。

 この成果を踏まえて、”Understanding Institutional Diversity”(2005)において、オストロムは、コモンズを含む多様な制度について横断的な比較を行うことを可能にする枠組(the Institutional Analysis and Development framework)づくりに挑んでいる。

 このプロジェクトでは、制度という概念は広義で、議会制度、司法制度のような制度だけでなく、交通ルールにより制御される交通システムやサッカーのようなスポーツや漁業組合による漁場の管理も制度として扱われる。

 そして、Developmentという言葉が入っていることからもわかるように、それぞれの制度がどのように変化していくかという点の考察に重点がおかれている。

 図に示したように、利害関係者たちのコミュニティがある制度のパフォーマンスについて評価をし、満足度が低い場合には、コミュニティでの討議を通じて、ルールの変更などの改善策をまとめて、それを試しに実行してみる、といった試行錯誤のサイクルをオストロムは重視している。

10. 夏目漱石の「私の個人主義」

日本近代の知識人の「社会的価値基準↔︎個々人のモチーフ」の間の葛藤について語った代表的な例として、夏目漱石の講演「私の個人主義」をあげておく。

漱石のいう「個人主義」はエゴイズムのことではなく、「他人本位」に対する「自己本位」、「外発性」に対する「内発性」のことだ。

日本社会は遅れて近代化に乗り出したために、先に社会経済の近代化を進めていた欧米の先例を手本にして、それをてっとりばやく模倣し、短期間に追いつこうとする方策をとった。そのため日本の知識人たちは、学術研究や芸術・文学において、欧米のトレンドを知ることを競い、流行のものを誰が早く輸入、翻訳するかを競うことになった。

その結果、自分自身の試行錯誤を通じて獲得した判断基準を持つことなく、トレンドを追いかけ、空気を読むだけになってしまう。日本の知識人のこうした傾向を漱石は、「外発的」「他人本位」という言葉で表した。

それでは、創造的な仕事をすることが不可能なのは当たり前なので、「内発性」に根ざす「自己本位」のテーマをいかにして見つけるかが、日本の知識人にとって大きな課題だと漱石は語っている。

 漱石自身もそういう問題に気づいたのは、イギリスに留学して1年ほど経ってからだという。それまでは彼も周囲の「他人本位」で「外発的」なあり方を受け入れていたが、居心地の悪さを感じていた。イギリス文学を学ぶというミッションを与えられて留学したものの、一向に意欲がわかず悶々として過ごし神経衰弱に陥った。

そうした中で、イギリス文学から何を学ぶかということより、そもそも「文学」とは何なのかについて、自分自身の考え方を確立しなくては、苦境から抜け出すことはできないと、漱石は考えるようになった。そこで、文学だけでなく、哲学、心理学などの文献を幅広く集めて、読み、考える作業にとりかかった。

 漱石は帰国後、東大で文学論の講義を行っているが、著作は未完のままになった。しかし、虚子に勧められて書いた「我輩は猫である」が好評だったため、小説を本格的に書くようになり、大学を辞めて朝日新聞に入社して連載小説を書いた。漱石の文学論は実作に生かされることになった。

 海外文学のトレンドを追いかけるというのではなく、文学とは何かを自分なりに突き詰めて考え、その上でいま日本文学はどんな課題に挑むべきかを考えて、小説を書くという手順をとった。こうした姿勢を漱石は、「内発的」「自己本位」という言葉で表した。

 日本の社会では、海外のトレンドを早くつかんで輸入する器用な知識人がもてはやされる傾向が強いので、漱石の選んだ姿勢は苦労が多いわりに社会的になかなか評価してもらいにくい。しかし、「内発的」「自己本位」のモチーフを見つけることによって、自信をもって仕事をすることができると、彼は学生たちに語っている。

 漱石のいう「個人主義」とは自分勝手ということではなく、自らの分野の仕事について、ほんとうに重要な課題は何かについての判断基準を、自分自身の探究を通じて確立するということだ。漱石は、「文学とは何か」という探究を通じて、文学のラング(パタン・ランゲージ)を自分なりにつくりあげようとしたということができるかもしれない。

11. デュルケイムとモース/レヴィ=ストロースとグレーバー

 つぎに、「社会学の多元化、動態化」という視点から、モース『贈与論』をどう位置づけることができるか、という問題にうつる。

 この問題は、モースの仕事は、デュルケイムの社会学とどのような関係にあるのか、何を継承し、どのような組み替えを行なっているのか、という問題と重なっている。

 二人の関係について考えるもっとも具体的な材料として、”Primitive Classification(原初的な分類)”という共著がある。これは、比較的短い論文だが、とても優れた作品だ。オーストラリアの先住民などのトーテムの考え方に基づく親族の分類の仕方と、周囲の動植物など自然の対象の分類の仕方の関係について考察している。そして、親族の分類の仕方をベースにして、それに従って自然の対象の分類が行われていると論じている。

 欧米諸国の自然言語の背景となっている対象の分類も、それぞれのコミュニティで古くから継承してきたアルカイックな「分類の思考」が土台にあり、そうした思考に知らず知らずのうちに規定されている。

 この仕事は、「分類の思考」に着目して、デュルケイムがいう「社会的な事実」の一例を摘出しようとしたものだと思われる。この着眼を、短くわかりやすく整理できているのは、モースが加わっているからだと思われる。モースという人は、抜群の「問題設定のセンスの良さ」をもっていたようだ。

 グレーバーは『負債論』の「あとがき:2014年」に、モースについて、つぎのように書いている。

「モースは、人類学史においても特異な人物である。フィールドワークをおこなったことがなく、まともな本の一冊も書かなかった(いくつもの未完論文を残したまま亡くなった)にもかかわらず、おりおり書きつがれた一連の論文は、とてつもない影響力を誇っている。その論文のいずれもが各々の主題に即した後続の論文の一群を触発したほどである。モースは、このうえなく興味深い問いを投げかけるという並外れた才能をもっていた----生贄の意味、魔術の本質、贈与の本性、身体所作や身体技術に書き込まれた文化的想定、自己についての観念など。これらの問いは、人類学という知の基本的輪郭を定めることになったのである。」(p.582-583)

 レヴィ=ストロースも”Introduction to the Work of Marcel Mauss”という文章を書いていて、これは彼の思考方法を知る上でも、とても興味深いものだ。

レヴィ=ストロースは、モースからとても多くを学んだと言っていて、グレーバーと同様に、モースの提示した問いの豊さを絶賛している。

 しかし、『贈与論』から何を引きづくかという点では、レヴィ=ストロースとグレーバーは、反対の方向をむいていると言える。レヴィ=ストロースは、贈与によって形成される社会システムを描き出した点を評価し、贈与から「交換」という概念を導こうとしている。

 レヴィ=ストロースは、デュルケイムから引き継いだ体系としての社会という面を『贈与論』から読みとろうとしている。つまり、レヴィ=ストロースの構造人類学は、デュルケイムの「社会的事実」の探究の延長上にあると見なすこともできそうだ。(「社会学の多元化、動態化」という方向とは逆)

 いずれにせよ、『贈与論』は「贈与」に着目することによって、さまざまな方向に分岐する前のアトラクターのような豊かな問題領域を描き出していて、そこからどの方向に議論を深化すべきか、モースは慎重に判断を留保していると、レヴィ=ストロースは考えている。

 他方、グレーバーの『贈与論』解読の特徴は、社会主義者モースという点を強調し、この著作には、ロシア革命の展開を見守っていたモースの関心が強く投影されていると考える点だ。

 また、グレーバー『負債論』では、「モラル」という言葉が重要なキーワードになっているが、彼はモースの言葉の用法をほぼ踏襲しているのだと考えられる。これに関連して、『負債論』の「あとがき:2014年」には、つぎのような記述がある。

「わたしが最も触発されたのは、---マルセル・モースだった。----ひとつには、おそらく、すべての社会が矛盾するいくつもの原理のよせ集めであることを認識した最初の人物がモースであるということ。」(p.582)

この箇所では、「原理」という言葉が使われているが、「モラル」という言葉に置き換えることができるだろう。

 グレーバーのいうように、『贈与論』と重ねて、モースがあるべき社会主義のモラルについて考えようとしていたとすると、どんな社会も「いくつもの矛盾するモラルの複合」からなるという考え方は、とても重要なことがわかる。

 モースの想定する社会主義においては、協同組合のような集合的なモラルが重視されるが、市場機能も必要であり個々人の利己心も重要だと考えたようだ。「新しいモラリティは、現実と理想の適度なブレンド」(p.88)からなるべきだと、モースは言っている。極端なエゴイズムも極端な利他主義も芳しくないと。

 アラン・カイエやグレーバーがいうように、モース『贈与論』の狙いは、民族誌や古代史の資(史)料の解読を通じて、アルカイックな社会の人々のモティベーションは、近代の典型的社会理論が想定する利己的な動機とはまったく異なるものであることを明らかすることだった。

 アルカイックな社会では、個々人はコミュニティの一員としてアイデンティティを重視するので、コミュニティの中である地位を占める個人は、コミュニティの価値基準から見て、ある状況のもとで、どのような行動がその地位にふさわしいかを判断しようとする。

 他方、モースの同時代のフランスでは、利己的な個人から出発する近代の社会理論が大きな影響力をもち、もっぱらこの視点から社会の現実を理解しようとする言論が支配的だった。モースが批判したのはこうしたバランスを欠いた理解であり、社会の現実は近代の社会理論で説明できる部分とできない部分が混じり合っていることを指摘した。

 当時のフランスでは、人々は一面では市場経済の一員として利己的な動機に基づいて行動したが、他面では地域のコミュニティや同業者の団体など集団の一員としてのアイデンティティをもち、集団のモラルにしたがって行動していた。モースが強調したかったのは、こうした多元的な視点から社会を考察することが重要だという点だと思われる。

 『贈与論』を準備していた時期には、さまざま試練に直面しているロシア革命の帰趨にモースは目を凝らしつつ、あるべき社会主義社会について考察していた。この問題について考えるためにも、上で触れたような多元的な視点のバランスが重要だと考えた。

 『贈与論』でモースは、トロブリアンド諸島の民族誌などをもとにして、威信財が島々をグルグルとめぐるクラ交易のような相互的な贈与やポトラッチを考察し、これらを「総体的社会現象(‘total’ social phenomena )」(p.3)と呼んでいる。(結論部分では「総体的社会的事実(total social facts)」p.102という言葉も使われている。)

こうした現象は、明らかにデュルケイムのいう「社会的生活」を構成しているが、ここでは、宗教的、法的、政治的、経済的などの制度とモラルが未分化な状態で、混じり合っている。「総体的」という言葉はそういう状態をさしている。

 コミュニティ間で互いに威信財を贈与するのは、コミュニティにおける富の蓄積が目的ではなく、威信財の循環によってコミュニティ間の友好関係を維持するためだ。そして、クラ交易などで、首長が自分のところに贈与された威信財をつぎのコミュニティに贈るのは、このシステムのモラルから言うと「義務」だが、実際に贈るかどうかは首長の自発的な選択に委ねられている。威信財を手放すことで気前よさを示し、かつ相手のコミュニティの期待に応えたいという意図と、貴重な品をできるだけ長く手元に置いておきたいと欲求との間の葛藤を、首長は経験する。このようにアルカイックな社会の「社会的生活」においては、「義務」と「自由」「自発性」との微妙な緊張関係があることをモースは強調している(p.94)。

 このように、モースの『贈与論』には、「社会学の多元化」という視点が明確に含まれている。そうした視点を踏まえて、モースは資本主義の弊害を克服する社会の新しいモラルを探り、ホモ・エコノミクス的モラルに対抗できるホモ・ソシオロジクス的モラルの芽を見つけようとしている。

12.『ホモ・ルーデンス』と「反モダニズム+全体主義批判」

とすると、ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』は、「社会学の多元化、動態化」という視点から、どういう位置を占めるのだろうか。

 ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』を執筆しようと決断した政治的な背景から考えてみることにしよう。

ホイジンガは、『中世の秋』を書いた時点から、遊びの視点からの文化史という問題意識をもっていたが、『ホモ・ルーデンス』に至って、それを全面的に主題化した。このとても大胆な大作に挑もうと彼が決断したのは、ナチが台頭し、オランダでも親ナチの勢力が伸長するという危機的な状況に対決するためだった。

ナチズムやファシズムの脅威が迫る中で、ホイジンガは「民主主義の擁護」という立場を鮮明にするようになったが、それまでは「民主主義」という概念に好意的ではなかった。ホイジンガは、米国に招かれて講演を行い、米国の政治と文化をつぶさに観察する機会があったが、米国のきわめて物質主機的な文化と機械文明の浸透に対して嫌悪感をもった。そして、その時点の米国のきわめて平等で階級のない社会とそれを前提にした民衆が大きな影響力をもつ民主主義の政治に驚くとともに、その傾向がヨーロッパに波及してくることに懐疑的な判断をしていた。しかし、ナチズムやファシズムによって民主主義が壊滅の危機にさらされる状況になったため、ホイジンガは「民主主義の擁護」を強調するようになった。

つまり、ホイジンガは、「反モダニスト」的な傾向の強い人だった。彼の倫理的、美的な志向を知るには、ヤコブ・ブルクハルトと比較するとThor Rydinはいう。『イタリア・ルネサンスの文化』を書いたブルクハルトは、15-16世紀のイタリアに登場した非道徳的、非宗教的、エゴイスティックな人格をヨーロッパの近代文明の原型として描き出した。それに対してホイジンガは14-15世紀、中世後期のフランスとネーテルランドを舞台に『中世の秋』を書いた。この著作で、彼は近代の思考から抜け出して、ファン・アイクの時代の絵画などの敬虔でありながら奔放、自在な想像力とともに遊んでいる。

ホイジンガは、フランス革命後、国民国家が生まれる時期の英雄や天才を賛美する風潮を嫌った。また、新奇性ばかりを追い求める近代の音楽やアートに批判的だった。文化的な創造は伝統的な価値を尊重しながら、それを新たな視点から組み立て直す「再創造」でなくてはならないと考えていた。

このような意味で、ホイジンガは、「反モダニスト的」な傾向の強い人だった。

じつは、ナチズムやファシズムは民族主義、人種主義と復古的なイデオロギーを掲げたので、「反モダニスト的」な人たちはその渦に巻き込まれてしまう場合も多かった。ホイジンガがナチズムとファシズムを明確に批判する立場をとり得た背景には、彼が若い頃からエラスムスと国際法学者フーゴー・グロチウスを尊敬するコスモポリタンだったことがあると思われる。

1920-30年代の経験は、「反モダニズムかつ反全体主義」という立場を支える思想を構築するのは、容易なことではなかったことを教えてくれる。

逆に、わかりやすい全体主義批判を可能にするのは、利己的な個人から出発するホモ・エコノミクス的な思考だった。ナチスから逃れて渡米したユダヤ人をはじめとするヨーロッパ出身の社会科学者は、全体主義批判を重視したため、そのためのわかりやすい立脚点として「方法的個人主義」(利己的個人から出発する議論)を選ぶ傾向が強かった。これが、戦後の米国における新古典派経済学の隆盛の一つの背景だったと考えられる。

そうしたなかで、ホイジンガは『ホモ・ルーデンス』を通じて、「反モダニズムかつ反全体主義」の立場を支える説得的な思想を構築するためのよい視点を提供することができた。それはなぜなのかを、よく考えてみる必要がある。

 1920-30年代のヨーロッパにおける反モダニスト的、反功利主義的な思考の拠り所の一つとなっていたのは、デュルケイム社会学であり、とくに彼の晩年の仕事、”The Elementary Forms of Religious Life(宗教生活の原初形態)”が大きな影響力をもった。そこで、ホイジンガがなぜ「反モダニズムかつ反全体主義」を支える視点を獲得できたかを探るには、デュルケイムの晩年の宗教社会学との関連で、『ホモ・ルーデンス』を位置づける作業が有意義だと思われる。

ホイジンガ自身がどこまでデュルケイムを意識していたかはわからないが、モースの仕事から多くの素材をえていたのは明らかであり、モースを通じてデュルケイムと関わっていたといえる。

ある時点から、デュルケイムは宗教の本質をテーマにすることが社会的なものの核心を明らかにするための最適な道だと考えるようになった。そのための方法として、もっとも単純な社会形態で暮らすオーストラリア先住民などの宗教を考察の対象に選んだ。そして、先住民の儀礼についての分析にも力を入れている。そして、デュルケイムが宗教生活について考える上で、「聖」と「俗」の対立概念が重視される。

デュルケイムの社会学にとって原初的な宗教が重要な理由は、後に科学、哲学、芸術などの諸分野として分化するようになる思考と探究の源流が「聖」なる領域をめぐる未分化な思考と探究にある、と考えるからだ。

デュルケイム社会学の課題は、さまざまな領域における「社会的事実」つまり、言語でいえばラングのように、個々人の行為の与件となり、行為を制約するものを明らかにすることだった。科学、哲学、芸術などにおいては、先人から引き渡された理論や概念、作品などが「社会的事実」にあたるだろう。

 こうした先人から後続世代へと社会的なものが引き渡されていく、長い歴史の原型が原初的な宗教にあるとデュルケイムは考えた。

 他方、『ホモ・ルーデンス』も原初的な宗教や儀礼に大きな関心を寄せていて、原初的な宗教が後の科学、哲学、芸術に対して占める位置についてのホイジンガの考え方は、デュルケイムに近かっただろうと思われる。

 ただ、ホイジンガが独特なのは、原初的な宗教や儀礼について「聖なる遊び」という視点から考えるのが有効なアプローチだと判断した点だ。デュルケイムのいう社会的なものが、世代から世代へと引き渡されていく仕組みの原型が「遊び」にあるというのがホイジンガの洞察だ。

この視点こそが、「反モダニズムかつ反全体主義」という立場を支えることになる。

その点について立ち入った説明をする前に、ヨーロッパの思想の大きな危機の時代だった1920-30年代におけるモースの弟子の世代の人たちの思想的苦闘に触れておこう。

13. モースの弟子たちの思想的な苦闘

モース『贈与論』は1925年に出版され、フランスを中心にヨーロッパの知識人にきわめて大きな影響を与えた。このインパクトの大きさは、大戦間のヨーロッパの知的な状況を想起するとよくわかる。

 第一次大戦の戦禍はきわめて大きく、それまでのヨーロッパ中心の世界観、歴史観への懐疑や批判が強まった。それは、大戦間に現れた著作や芸術運動などに顕著に現れている。ブルトンたちのシュールリアリズム、アフリカの造形に影響を受けたピカソたちの抽象画、等々。マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』は1922年に発表されていて、これを踏まえてモースはホモ・エコノミクス的な人間観とはまったく異なるアルカイックな社会システムの解読を行った。

 モースの周りには、シュールリアリズムなどの芸術運動の渦中にいる若者やマルクス主義者、神秘主義者などさまざまなタイプの人たちが集まっていた。中でもモースの弟子として、ジュルジュ・バタイユ、ミッシェル・レリス、ロジェ・カイヨワの3人がよく知られている。

 デュルケイムは『自殺論』などで、世俗化が進み社会的な連帯感が薄れたフランス社会で、個人の孤立感が深まり、それが自殺などの形で現れているという考察を行なっている。晩年の宗教社会学では、キリスト教の影響力が低下し世俗化が進むヨーロッパで、社会的な連帯感を回復するために、新しい形の宗教が生まれることに、デュルケイムは期待していたようだ。

 バタイユたちの世代は、デュルケイムのこうした問題意識を継承している。

それに加えて、ニーチェの思想がフランスでも大きな影響をもつようになり、またアレクザンドル・コジェーヴのヘーゲル講義がこの世代の若者たちに大きな刺激を与えている。

 こうした要素の混淆のもとで、バタイユのかなりエキセントリックな思想が生まれてきたと考えることができる。バタイユは、デュルケイムの功利主義批判の側面を引き継いでいるが、同時に、デュルケイム宗教社会学の「聖なるもの」の概念のうち、禍々しく暴力的な側面に強い関心を寄せている。富を蓄積するための功利主義的な労働にまみれた「衰退」状態を破壊するエネルギーの焼尽こそが生きることだとバタイユは主張した。

 ナチスやファシスト党と社会主義的な労働者の運動が激突する複雑な状況の下で、バタイユは「非理性的情動の解放」による革命をめざしたという。過度にカオス的な政治思想だといえる。

 カイヨワもバタイユと研究グループをつくっていたことがあるが、ナチスの支配下におかれたヴィシー政権に抗する闘争をおこなう強固な政治的グループを形成するためには、宗教的、儀礼的な要素を通じての連帯が必要だと主張していた。

 このように、反モダニスト、反功利主義の傾向の強い若者たちは、全体主義と闘う思想的な支えを見つけようとして混迷の中で苦闘した。

14. 『ホモ・ルーデンス』と「社会学の多元化、動態化」

 『ホモ・ルーデンス』におけるホイジンガの姿勢をモースの弟子たちの混迷と対比して見ると、原初的な宗教や儀礼を「聖なる遊び」という視点から考えるという着眼によって、思想的な障壁を打開できたことがわかる。

 つまり、世俗化が進み功利主義的な思考が支配的な社会を嫌って、宗教的、儀礼的な要素を復活させて連帯感をとりもどそうとするアプローチは、絶対的なものへの信仰にともなう権威主義的、ヒエラルキー的な関係の受容へと傾く。この傾向は、全体主義へのなびきやすさにもつながる。

 それに対して、ホイジンガの「聖なる遊び」という視点は「聖なるもの」の経験でありながら、権威主義的、ヒエラルキー的な関係から逃れる自由を保っている。

 原初的な宗教や儀礼を「聖なる遊び」という視点だけで解読できるかというと、もちろんそうはいかない。「聖なる遊び」という視点から解読できるのは、原初的な宗教や儀礼のある側面に限られる。ホイジンガの主張は、その側面が文化の歴史において根源的だということだろう。こうした論点が残るのは当然だが、それを差し引いても、ホイジンガの主張の重要性はあまり変わらないと思われる。

ホイジンガは、遊びを定義する際に、「自由な活動」「自発的な活動」であること、強制されて加わるのでは遊びではないという点、そして、「物質的な利益」とも関係ない活動であることを強調している。何かの利害関心から加わるのではなく「面白さ」を求めて参加するのが遊びだ。

 もう一つの重要な点は、遊びとルールの関係だ。競技やゲームのようにルールが明瞭なものと、踊り・音楽のようにルールが不分明なものがあるが、前者から考察することによって、それを手がかりにして後者にもアプローチすることができる。つまり、後者には、ルールにあたる何らかの制約条件があると考えられる。

 競技・ゲームなどのルールとプレヤーの行為の関係は、「社会的規範↔︎個々人の行為」の関係の中の特権的な例としての意味をもつ。

つまり、プレヤーたちは面白さを求めて競技やゲームに参加するが、面白いものになるためには、ルールの設定が的確なものであることが必要だ。的確なルールが設定されるとき、プレヤーどうしの良い相互作用が起きて、プレヤーも観客も、面白さ、緊張感を経験し、競技やゲームの世界に引き込まれるということが起きる。こうした体験が生まれるためには、プレヤーたちがルールを尊重する「フェアプレイの精神」をもつことが必要だ。

踊り・音楽・祭・儀礼などホイジンガのいう「表現的な遊び」の場合も、競技・ゲームを手がかりにしたモデル化が可能なのは『コモンズ思考』にも書いた通りだ。

 ホイジンガの「聖なる遊び」という概念は、踊り・音楽など「美」を求める領域における人々の相互作用は、「崇高さ」を求める儀礼や祭りにおける人々の相互作用との間に共通点が多く、連続的である点への洞察から生まれている。

このように考えると、文化の歴史を「遊び」の視点から考察するという『ホモ・ルーデンス』のテーマ設定は、「社会学の多元化、動態化」に向けての素晴らしいブレークスルーであったことがわかる。

そして、「社会学の多元化、動態化」という課題は、「反モダニズムかつ反全体主義」の立場を支える思想の構築という課題と重なる部分が大きいことも明らかになる。

15. 動態化された社会モデルとホモ・ソシオロジクス的モラル

 「社会学の多元化、動態化」という課題を設定したのは、功利主義批判のモチーフをふくむデュルケイム社会学をホモ・エコノミクス・モラルに対抗できるものにするには、もっと魅力的な社会学にする必要があるという判断からだった。

 上で示した「社会学の動態化」の試みとして解釈できそうな事例を比較すると、行為が制度、習慣、ラングなどの体系に制約されることを前提にしながら、個々人の行為や集合的行為を通じて、制度、習慣、ラングなどがいかにして改変されるかという点を重視するところが共通する。こうしたモデルを「動態化された社会学的モデル」と呼ぶことにしよう。

 他方、「多元化された社会学的モデル」は、異なるモラルの間の拮抗を描くモデルとみなすことができる。現代資本主義のもとでは、ホモ・エコノクス的モラルとホモ・ソシオロジクス的モラルが拮抗する関係にあるが、この視点からのモデルが「多元化された社会学的モデル」の一つになる。ネオ・リベラリズムが支配的なのは後者が脆弱なためなので、そういう観点から、ホモ・ソシオロジクス的モラルの影響力を高めることが課題となる。そこで、以下では、「動態化された社会学的モデル」の方を中心に話を進めることにする。

 ホモ・ソシオロジクスは、「動態化された社会学的モデル」に対応する動機体系をもつ主体ということになる。

 「経済学的モデル」の一つの特徴は、個々人の嗜好にあたる効用関数が別々に存在して、互いに影響しあうことはないと想定する点にある。このモデルでは、個々人が共有する習慣とかその変化とかいう要因は無視される。

 それに対して、デュルケイムの「社会学的モデル」では、制度、習慣、ラングなど個々人が共有する社会的資産(デュルケイムの用語では社会的事実)があって、それらが個々人の行為の制約条件となっているとみなす。

 さらに、「動態化された社会学的モデル」(「動態的社会学的モデル」と略す)では、個々人の行為や集合的な行為を通じて、制度、習慣、ラングなどの共有の社会的資産の内容が変化し、再構成されるプロセスを重視する。

 このように考えたとき、「動態的社会学的モデル」に対応する「動機体系」とは何を意味するだろうか。

 例えば、C.アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』などによる「動態的社会学的モデル」で想定する建築家や都市プランナーの資質は、天才的な想像力から生まれる独創的なアイデアが重要で先人の仕事などに気をくばる必要はないと豪語する誇大妄想的なタイプではなく、獲物の痕跡を注意深くたどっていって、獲物が飛びだしてくる瞬間を捉えて反応する猟師のように、ある与件のもとで何かが生成する過程への感度を研ぎ澄まそうとするタイプだ。

 後者のタイプの探究を「生成的探究」と呼ぶことにすると、この探究者にとっては、無制約な想像をふくらますことではなく、自分では思うようにできない制約条件、外部性との対話の積み重ねこそが重要だ。

 アレグザンダーの「動態的社会学的モデル」では、大きく二つの形の制約条件が強調される。一つは、生き生きとした空間をつくっていくためのラング、共通言語としての「パタン・ランゲージ」だ。詩人がラングから言葉を選びだして詩を書くように、建築家や都市プランナーは、「パタン・ランゲージ」からパタンを選び、それらを組み合わせ、場合によっては新たなパタンを加えて、プランを生成していく。

 もう一つの制約条件は、家の建築の場合だと、敷地の周囲の環境だ。アレグザンダーは、ある敷地に何かを建てる場合、周囲の環境との相互作用を通じて、その場所の生命力が高まるような建て方をしなくてはならない、という点を強調する。そういう意味で、周囲の環境との関係がプランをつくる上で、重要な制約条件となる。

 アレグザンダーの「動態的社会学的モデル」に特徴的なのは、「よいパタンのよい組み合わせ」が得られると、その生成力はきわめて高いということを強調することだ。それほど多くないパタンで、きわめて多様な心地よい空間をつくりだすことができる。「ロンドンやパリのような大きな都市でも高々2-300のパタンで定義できる」(『時を超える建設への道』p.82)という。

 そのため、家を建てる生成的プロセスでは、受精卵が分裂を重ねる過程のように、敷地の上の漠然としたプランに変換を重ねてうちに、思いがけない美しい形が出現する。建築家が猟師のような研ぎ澄まされた判断を求められるのは、形が生成していく過程でのさまざまな選択肢のある分岐点である方向を選びとるときだ。

 このように、アレグザンダーの「動態的社会学的モデル」においては、建築家、都市プランナーのあるタイプのモラルが想定されている。これをホモ・ソシオロジクス的モラルの一つの典型とみなすことができるだろう。

 同様に、ホイジンガのいう「聖なる遊び」も、やや異なるホモ・ソシオロジスク的モラルに支えられているといえるが、その詳しい考察は別の機会にゆずることにする。

ホイジンガの「遊び」の社会学的モデルは、「遊びの世界」と日常的な現実の緊張関係に着目しているという点では「多元的」であり、活動のつみ重なりにともなう文化の諸領域について考えている点では「動態的」だということができる。

16. Commons Based Peer Productionと新しいホモ・ソシオロジクス的モラル

上述のように、E.オストロムのコモンズ研究は、S.ヴェブレンの制度主義の流れの中にあり、共用資源を管理するためにつくる「制度」をめぐる利用者コミュニティの試行錯誤を中心的なテーマにしている。利用者コミュニティのボトム・アップ的な意思決定を通じての制度の改革を重視しているので、「動態的社会学的モデル」の鮮明な例の一つであることは明らかだ。

それを踏まえて、コモンズ的アプローチにおけるホモ・ソシオロジクス的モラルについて探るために、ここでは、オストロムが研究対象にした天然資源のコモンズの議論に触発されているもののまったく異質な条件のもとにあるデジタル・コモンズにおいて起きたCBPP(Commons Based Peer Production)方式によるOSやソフトウェア開発をとりあげる。

 IT企業内部の閉じた商業的開発プロジェクトと対照的にネット上に公開されたCBPP方式の開発プロジェクトは、「動態的社会学的モデル」の典型例であるだけでなく、ホモ・エコノミクス的モラルに対抗できるホモ・ソシオロジカス的モラルの一つの形をつくり出していると考えられるからだ。

 『コモンズ思考』では「Commons Based Peer Productionの衝撃」という節をもうけている。そこで述べたように、CBPP方式のソフトウェア、OS開発の普及が衝撃的だったのは、どちらかというとマイナーでボヘミアン的な存在だと思われていたフリー・ソフトウェア運動をベースにして生まれてきた非商業的開発プロジェクトの方が大手IT企業による商業的開発プロジェクトより、ずっと信頼性の高い製品をつくれることが明らかになったからだ。

 商業的開発プロジェクトの場合は、大手IT企業のプロジェクト責任者が社内および社外から適任と思われるメンバーを選んで開発チームをつくる。参加するメンバーにはスキルや仕事の責任に見合った報酬が支払われる。

 他方、CBPP方式の場合は、あるソフトウェアあるいはOSの開発が重要だと判断した人が、ウェブ上で開発プロジェクトを提案し、その開発に参加する人を募集する。開発プロジェクトに参加する人は、多くの場合、無報酬であり、参加の動機は、有意義なプロジェクトに貢献したい、自分のスキルを活かしたいなど、非金銭的なものだ。

非金銭的な動機で参加したメンバーたちからなる非商業的プロジェクトが、商業的プロジェクトより、高い成果をあげられることをどう説明すればいいのか、利己的な個人を前提として考える経済学者たちを困惑させた。

17. CBPP開発方式の創発過程

 重要なのは、CBPPの開発方式は、フリーソフトウェア運動をベースにして、ボトム・アップ的に生成、創発してきたもので、さまざまなプロジェクトの試行錯誤の経験が共有されることによって、すぐれた「制度」や行動規範が標準化し、さらにその改善が重ねられているということだ。

 CBPP方式の開発プロジェクトでは、自発的に参加したメンバーからなるので、プロジェクトの進め方についての意思決定プロセスは、商業的プロジェクトと異なる。商業的プロジェクトでは納期に間に合うことが重視されるのに対して、CBPP方式では、納期より、メンバーが納得できる質の高い仕事をすることが重視される。参加メンバーの意見が対立した場合には、じっくり討議を重ねた上で結論をだす。リーダーも、自己主張の強すぎるタイプより、謙虚で皆の意見をよく聞いた上で自分の判断をくだすタイプが評価される。

 CBPP方式の開発プロジェクトはウェブ上で公開されているので、各プロジェクトの意思決定プロセスがすべてオープンになっている。そのため、各プロジェクトの何がうまくいって、何が失敗だったかという経験を皆が共有できる。その結果、開発プロジェクトの進め方について、すぐれたルールや行動規範などについて標準が形成されていく。この情報の透明性の高さがCBPP方式の重要な特徴だ。

 CBPP方式が生まれるベースとなったフリー・ソフトウェア運動は、プログラミングを自己表現とみなすマニアックなプログラマーたちのコミュニティから育ってきたといえる。部外者からは、プログラムは一義的で機械的なものに見えるが、プログラマーたちにとっては、あるプロセスを実現するためのプログラムの書き方は無数にあり、文章を書くのと同様に、美しさやセンスの良さなどの差異がある。そのため、プログラマーどうしで、自分が書いたプログラムを他の人に読んでもらって批評をしてもらう、他の人のプログラムの一部を自分なりに書き換えたり、書き加えたりするというコミュニケーションが、プログラマーの創造性を高めるために不可欠だった。また、新しいプログラムを書くためのツールとして利用できるプログラムの蓄積を共用できるようにすることも重要だった。

 プログラムを書くことがパロールだとするとそのためのラングを豊かなものにし、それを共有することをプログラマーたちは重視した。

Linux OSが開発者たちに高く評価されるようになって、CBPP方式のOSやソフトウェア開発の衝撃的な創発であることが認められるようになったが、その前提として、図に示したようなFLOSS(フリーソフトウェア・オープンソフトウェア)の共用資源プールの形成とそれに対応するFLOSSコミュニティの成立によるデジタル・コモンズの確立があった。

 そうした展開を可能にした決定的なブレークスルーが、リチャード・ストールマンによるGPL(General Public License)の開発だった。

 知的財産権の拡大という流れにのったビル・ゲイツによるMicrosoftのライセンスのような商業的ライセンスが普及してしまうと、ストーマンたちのフリーソフトウェア運動が育ててきた文化が袋小路に追い込まれてしまうという危機感から、GPLの発想は生まれてきた。商業的ライセンスは、ユーザーによるソアトウェア利用を狭い範囲に限定しプログラムの書き換えなどを認めないので、フリーソフトウェア運動の精神が否定されてしまう。

 ストールマンのGPLの着想が卓抜なのは、Microsoftのような商業的ライセンスを裏返しにしたライセンスを開発してしまおうと思いついたところだ。つまり、GPLのもとで配布されるソフトウェアは、商業的ライセンスが禁じているプログラムの書き換えやその配布などを自由に行うことができる。ただし、GPLソフトを使って開発された製品を商業的ライセンスによって配布することは禁じられる。

 GPLはデジタル・コモンズの形成に向かっての流れをつくる決定的な契機となった。GPLソフトを使って新しいGPLソフトが開発されるという自己増殖を通じて、その多様性がどんどん高まっていった。

 他方で、GPLライセンスという囲いによって、FLOSSの共用資源プールの存在が明確になり、それに対応して、この資源プールの多様性を高めていくことに貢献したいという意思を共有する人たちからなるFLOSSコミュニティのアイデンティティもはっきりしてきた。

 このようなGPL開発を契機にしたデジタル・コモンズの自己組織的な発展があるレベルまで達していたからこそ、CBPP方式によるOSやソフトウェア開発がきわめて高い創造性を発揮できるようになったのだと思われる。

 CBPP方式のOSやソフトウェア開発がIT企業内部のプロジェクトによる開発よりも、信頼性の高い製品を開発できる理由としてさまざまな要因があげられているが、もっとも重要なのは、前者のプロジェクトの公開性が適任の有能な人材を集めやすくしているという点だ。CBPP方式では、プロジェクトをネット上で公開して、共用資源プールの多様性を高めるために自らのスキルを活かしたい人材の参加を呼びかける。そのため、閉じた商業的プロジェクトには見つけ出せないような人材を引き寄せることができる。また、プログラマーには金銭的な動機より、いい仕事をして仲間に自分のスキルを認めてもらいたいという動機が強い職人気質の人が多いので、多様な人材のチームをつくることのできるCBPP方式は、すぐれたプログラマーにとって、魅力的な環境となる。

 Commons Based Peer Productionという定式は、商業的な開発プロジェクトとの違いを要約的に表現している。

 Commons Basedの部分は、商業的なプロジェクトは企業の利潤の資本蓄積を目的にしているのに対して、デジタル・コモンズの資源の豊富化を目的にしていることを示している。デジタル・コモンズの資源には、共用資源プールに蓄積される多様なFLOSSとともに、CBPP方式の開発プロジェクトの経験とそこから導かれた運営の基本原則などがふくまれる。

 Peer の部分は、”peer to peer”の略で、商業プロジェクトの組織原理はヒエラルキー的であるのに対して、CBPP方式の開発プロジェクトに参加するメンバーの間で、責任の重さによって権限の違いはあるものの、皆の討議を通じて方針を決めるという組織運営が重視されることを示す。メンバーは金銭的な動機ではなく、デジタル・コモンズへの貢献が主な動機になっているので、その点から、商業的プロジェクトとまったく異なる組織運営になる。

 OSと多くのソフトウェアの開発の領域では、この二つの異質な開発方式が競い合って、CBPP方式の開発の方が、創造性が高く、信頼できる製品を開発できることを多くの人が認めるようになっている。

 資本主義的市場経済とコモンズは、資源管理の方法として競い合う関係にあるが、OSとソフトウェア開発の領域では、後者が優越していることが明らかになったわけで、このことがもつ意味はきわめて大きい。

18. CBPP方式の開発と「贈与経済」

 エリック・レイモンドは、CBPP方式の開発プロジェクトに参加するメンバーの動機の体系について、「贈与経済」という視点から考えることを提唱している。レイモンドの議論では、コモンズという概念は出てこないのだが、プロジェクトに参加するメンバーの無償の貢献を「コモンズへの贈与」として考えると、理解を深められる。

 開発プロジェクトに無報酬で参加するメンバーはその労力や工夫をプロジェクトに贈与し、さらに、開発を通じて共用資源プールへのソフトの蓄積を増やすので、コモンズへの贈与をおこなっていることになる。

 他方で、開発プロジェクトに無報酬で参加するメンバーは、何を得るのだろうか。これには、さまざまな側面がある。自分のスキルを活かして難題を解く仕事の面白さ。それを通じてスキルを高めることができる。スキルの高さを認められれば、商業的プロジェクトでいい仕事をもらえるかもしれない。

また、CBPP方式の開発プロジェクトに参加して得られるもののうち、もっとも重要な要素の一つは、プロジェクトへの貢献をFLOSSコミュニティの仲間から評価してもらうことだといわれる。

 しかし、CBPP方式の開発プロジェクトに参加するメンバーの基本的な動機は、共用資源プールの多様性を高めることに貢献したいということだ。FLOSSコミュニティの中心的なメンバーは、FLOSSを活用して開発の仕事をしたいという意向が強いので、共用資源プールの多様性が高まると、仕事がしやすくなるのだ。FLOSSコミュニティの中心的なメンバーにとっては、デジタル・コモンズが豊かになることが仕事のしやすさに結びつく。

 一方でのコモンズの強化によって資本主義の弊害を是正していくことができるという社会的公正の視点からの判断と、他方でのITエンジニアたちにとってコモンズの強化によって、自分たちの創造性を高め、生き生きと働けるようになるという仕事の環境づくりの視点からの判断が、無理なく両立している。

 しかも、CBPP方式の開発プロジェクトは、IT企業内部の商業的開発プロジェクトより、信頼性の高い製品をつくれることが明らかになっている。

 このように、デジタル・コモンズとCBPP方式の開発プロジェクトは、ホモ・エコノミクス的モラルに対抗できるホモ・ソシオロジクス的モラルの一つの形をつくりだすことに成功しているといえる。

 モースは『贈与論』で、資本主義の弊害を克服する社会の新しいモラルは、協同組合のように公益性と相互扶助的な精神を重視するとともに個人の幸福の追求という視点も重視するべきで、両者のバランスをとることができるものでなくてはならないと考えた。

 デジタル・コモンズとCBPP方式の開発がつくりだしたホモ・ソシオロジクス的モラルは、こうした条件にかなっていると思われる。

 ここでは「動態的社会学的モデル」の一例として、デジタル・コモンズとCBPP方式の開発をとりあげ、それに対応する「動機の体系」について詳しい説明を行い、ホモ・エコミクス的モラルに抗することのできるホモ・ソシオロジクス的モラルが出現していることを明らかにした。

 ここでは詳しい検討をおこなう余裕がないが、E.オストロムの天然資源のコモンズの考察も、「動態的社会学的モデル」のすぐれた例とみなすことができる。

 また、上で、C.アレグザンダーの建築や街づくりの「動態的社会学的モデル」についてやや詳しく述べたが、『コモンズ思考』に書いたように、アレグザンダーの生成的方法は、「P2Pアーバニズム」という概念によってとらえ直され、コモンズ的アプローチの一つに組み入れられつつある。

 また、やはり『コモンズ思考』で述べたように、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』のモデルも、Commons Based Peer Playという定式にもとづいて考察することができる。

 このように、さまざまな形のコモンズ的アプローチから、多様な「動態的社会学的モデル」とそれに対応する「ホモ・ソシオロジクス的モラル」が具現化しつつある。

 こうした別々の分野から出現している「動態的社会学的モデル」と「ホモ・ソシオロジカス的モラル」の関係を整理し、相互に補強しあうようにしていくことが重要だと考えられる。

それによって、「ホモ・エコノミクス的モラル」に対抗する「ホモ・ソシオロジクス的モラル」の力を強化していくことができるだろう。

参照文献
Marcel Mauss “The Gift—The form and reason for exchange in archaic societies” Translated by W.D. Hall 1990

Emile Durkheim “The Rule of Sociological Method” Translated by W.D.Hall, 1982

Emile Durkheim “The Elementary Forms of Religious Life” Translated by Karen E. Fields,1995

Emile Durkheim and Marcel Mauss “Primitive Classification” Translated by Rodney Needham,1963

Claude Levi-Strauss “Introduction to the Works of MARCEL MAUSS” Translated by Felicity Baker,1987

Alexander T. Riley “Renegade Durkheimianism and the Transgressive/Left Sacred”

デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』酒井隆史監訳,以文社、2016

C.アレグザンダー『パタン・ランゲージ』平田翰那訳、鹿島出版会、1984

C.アレグザンダー『時を超えた建設の道』平田翰那訳、鹿島出版会、1993

夏目漱石『私の個人主義』

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』高橋英夫訳、中公文庫、1973

Thor Rydin “In the Image of Loss---A new perspective on the works of Johan Huizinga” Uppsala Unversity, 2022

山本眞人『宇宙卵を抱く 21世紀思考の可能性』BMFT出版部、2011

山本眞人『コモンズ思考をマッピングする ポスト資本主義的ガバナンスへ』BMFT出版部、2022





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