子供への教え方について

昔、塾で小学生に公民を教えていた頃、「独占禁止法」が出てくるときまって子どもから「せんせ~、これテストで独禁法って書いたらバツ?」という質問がきたものだ。

知らない人も多かろうから注釈を加えると、そもそもこの法律、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」という長い名前の法律で、実は「独占禁止法」という呼称そのものが既に略称だったりする。
だもんで、個人的には「独占禁止法」がOKなら「独禁法」だってOKだと思うのだが、果たして採点する側がそんなこと考えてるだろうか?


というわけで、質問については独禁法に関するちょっとした補足を紹介した上で、「でも独禁法って書いてバツをつけられても、入試の採点官に文句を言う機会はないでしょ。だから諦めて独占禁止法って書こうね」ってなことを言ってたと思う。

しかし、今にして思うと、この説明は道徳的にどうだろう?
「独占禁止法」を「独禁法」と書きたい理由は面倒臭いから。つまりそれは自分のことしか考えられない視点。
「もしかしたら独禁法って書いても相手には通じないかもしれない」と思えば、それは相手に敬意を払い、思いやる視点。
さて、どちらがカッコいい考え方だと思う?

こう聞けば、いい子なら後者を選ぶんじゃないだろうか?

ふと思い出して、反省した次第。

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