短詩型文学について

そもそも俳句というものは「短詩型文学」と呼ぶにはあまりにも脆弱というか、やはり1つの文学的な世界観を表現するには最低でも三十一文字くらいは必要なんじゃないかと思うわけで。
俳句ってただの言葉遊びに見えてしまう。

ということで、更に短い(ことが多い)自由律俳句とかいうヤツが好きになれない。

「咳をしても一人」

だからどうした。
Twitterかよ。
ただの呟きである。

これを文学と呼ぶのなら、Twitterの誕生によって自由律俳句は死んだと言ってもいいのではないか。
みんな詠んでるじゃん。

まあ、賀茂真淵によれば、上つ世、即ち奈良以前には、人々が感動をそのまま言葉に乗せればそれがそのまま詩になったということらしいので、もしかしたら千年くらい経つと、今電子世界に溢れている数多の呟きが「文学」として語られる日が来るのかもしれないけど。

ちょっと逸れるけどすごい本見つけちゃった


すごいもの作るなー。
はっきり言って見たこともないような枕詞が目白押しなんだけど、その枕詞を使った和歌が実際には一体何首あるのだろう?
「枕詞」と認められるくらいだから、いろんな人がその詞を使っているのだろうけど、
「たまかぎる→磐垣淵(いはかきふち)」
なんて、そんなに歌に読みたい景色なのだろうか??
ちなみに、磐垣淵とは「磐が垣のように巡った淵」のことだそうで、説明見てもなんのことやらよくわからん。

和歌が好きなので、八代集読破とかやってみたいんだけど、古今と新古今以外売ってるの見たことないのよね。
そんな私は枕詞より序詞を使った和歌の方が好みだけど、最も好きな和歌は何の表現技法も使っていないこの歌です。

嘆きつつ一人寝る夜の明くる間は
いかに久しきものとかは知る
(右大将道綱母)

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