閉じると開く——亜人間都市『東京ノート』

亜人間都市『東京ノート』の批評を書くためには、まずは私自身のスタンスを明らかにしなければならない。同作は様々な意味において「異なる声の集う場所」としてあったからだ。私の声はいかなる立場から発せられるものか(しかしもちろんそんなことに興味はないという立場もありえるだろう。読み飛ばしても構わない)。

***

演劇批評家としての私が書く文章のほとんどは、ある個別具体的な作品に対する批評としてある。いくつかの作品を並べて論じることで作家論を構成することもあるが、多くはある一つの作品を論じたものだ。上演を観るのは一度だけのことが多い。作品と対峙する条件はほかの観客と同等である。ただし、批評の執筆にあたって事実確認のために戯曲や記録映像を参照することはある。十年以上継続して日本の小劇場演劇を見続けているので、その意味では自らがある種の「専門家」であることを認めざるを得ないが、前提知識がなくても理解可能な文章を書いているつもりである。私は自らの批評を、ある作品(を観ること)から展開可能な思考の一つの模型として、私と同じようには作品を観なかった人にも、むしろそのような人にこそトレース可能な思考の回路として提示している。トレース可能な、というのは、私とは異なる意見や考え方を持つ人間でも、少なくとも私が「なぜそう考えたのか」は理解できるという意味だ。辿るための道しるべとして作品の具体的細部は重要である。誰にでも使える思考回路として(そうあってほしいと思って)書いているので、「私」を意図して消去していることも多い。
つまり、私の批評はまず第一に「観客」に向けて書かれている。批評の中で作品/作り手の意図に言及する場合、それは作品の具体的細部から仮に措定されるものであり、実際のそれとはあまり関係がない(両者がたまたま一致していることはあるだろう)。劇作家にせよ演出家にせよ俳優にせよ、作り手が何を考えているを私が真に知る術はない。だから、私が書く批評は作り手の意図とは(ほとんど)関係がない。私と作り手たちは遠く隔てられていて、かろうじての接点として作品がある。
以上はあくまで基本的なスタンスであって、例外はもちろん多々ある。

***

戯曲『東京ノート』は1994年に青年団によって初演され、翌年、第39回岸田國士戯曲賞を受賞した平田オリザの代表作である。その後も青年団はもちろん、東京デスロック/多田淳之介やミクニヤナイハラプロジェクト/矢内原美邦など、他の劇団・演出家によっても繰り返し上演されてきており、あるいは平田自身の手による『台北ノート』『バンコクノート』という翻案もある。今年は青年団国際演劇交流プロジェクト2019として『東京ノート・インターナショナルバージョン』の上演が予告されている。
舞台は美術館のロビー。出版されている戯曲(ハヤカワ演劇文庫版)では2004年という設定になっているが、これは初演時における10年後の未来を指すものであり、その後の上演においても「10年後の未来」という設定は踏襲されているものと思われる。舞台となる近未来においてはヨーロッパで戦争が起きており、その被害から逃れるため、多くの絵画が日本の美術館に送られてきているらしい。平田のほとんどの作品と同じように、『東京ノート』もまたある一つの物語を描く作品ではなく、美術館のロビーを行き交う20人の人々の会話から、それぞれの抱える事情や背景となる世界が透けて見えてくるようなつくりになっている。

亜人間都市『東京ノート』では20人の役が7人の俳優によって演じられる。ひとりの俳優が複数の役を担うのみならず、複数の俳優がひとつの役を共有し、あるいはそれが交代することもあるため、いわゆる役の輪郭は判然としない。だが、それは必ずしも物語が理解不能であることを意味するわけではない。
もともと、『東京ノート』には「同時多発会話」と呼ばれる、舞台上の異なる箇所で複数の会話が同時進行する場面が多くある。同時多発会話で発せられる言葉のすべてを観客が聞き取ることは容易ではなく、それはつまり、必ずしもすべての言葉が聞き取れなくてもよい(「わかる」)ように戯曲が書かれていることを意味する。
また一般的に、そこで何が起きているかを理解するために最も重要なのは、その言葉を誰が発したかではなく、発せられた言葉の意味内容である。ためしに、役名を一切見ずにセリフ部分だけを追う形で戯曲を読んでみるといい。おそらく、物語の大筋を掴むのにさほどの労力はいらないはずだ。
しかしもちろん、たった7人の俳優で20の役を演じることには「無理」がある。青年団の上演に感じられるような「自然さ」はそこにはない。複数の人格に分裂したかのような/人格が複数の身体に分有されたかのような人々はどこか不気味である。
ところで、本作には「演出」のクレジットがない。これは、参加したメンバーの各々がやりたい/できるセクションを担当し、そのそれぞれについてプランを持ち寄る形で作品が作られたためらしい。

演技はそれぞれの俳優が決定権を持って作りました。なので例えば演技体とかはまるで統一されていません。演じている地平も異なっています。
かといってバラバラに作ったのではなく、互いに声を掛け合って、影響を与え合いながらこの作品は作られました。異なった人間であるわたしたちは、異なったままに、同じ一つの舞台を共有しています。(当日パンフレットより)

「演技体とかはまるで統一されていません」という言葉とは裏腹に、私には本作の演技体の基調に初期チェルフィッチュ/山縣太一的なぐねぐねダラダラとした(ように見える)身体が据えられているように感じられた。だがそれは、演劇作品は(劇作家や演出家だけでなくむしろ)俳優によってこそ立ち上がるのだ(という主張を通してクリエイションにおける各パートのフラットな関係を構築する)という点において本作と山縣の思想とが共振していることを考えれば当然の結果だとも言える。「異なったままに、同じ一つの舞台を共有」するために集った人々はその一点において同質であり、ゆえにあらかじめ多くを共有してしまう。何らかの目的がある集まりにおいては避けられない、そして解決不能な問題である。だから/だが演劇は上演される。観客という、言わば相対的な他者が招き入れられる。
上演する戯曲として『東京ノート』を選んだ理由を黒木はこう説明する。

私たちの立つ地平について、その「場所」について考えたかった。私たちはいまどんな場所に立っているのか。どんな場所に立ちたいのか。どんな場所なら、人と人はもっと良く関わり合えるのか。そういうことを考えるのに、美術館のロビーという1つの「場所」の設定された、そこでの人々のすれ違いと衝突を描いた作品である『東京ノート』はベストな戯曲だった。(「東京ノートのプロセス/カイセツ」より)

2015年10月に上演された亜人間都市名義での最初の作品『反透明』は、ある公園におけるホームレス排除をめぐる攻防を描いたものだったと記憶している。同年3月には宮下公園におけるホームレスの排除をめぐる裁判で原告側(ホームレスの男性や支援団体)が事実上の勝訴となる判決が下されていた(しかしその後の展開はご存知の通りだ)。亜人間都市はその名が示唆するように、活動の根底に「場」や「公共」への問題意識を置いている。
亜人間都市『東京ノート』(にかぎらず演劇の上演)には複数の異なるレベルの「場」が存在する。総体としての公演、各回の上演、上演が行なわれる劇場、劇場に設えられた舞台美術、舞台となる美術館のロビー、戯曲、(複数の役を担う)俳優、(複数の俳優によって演じられる)役、チラシ、稽古。そして本作においてはそのそれぞれが「異なる声の集う場所」としてあることが見落とされないための配慮がなされていた。
たとえば、稽古から公演本番にかけては「座組インタビュー」「東京ノートをめぐる緩やかな書簡」という形で創作過程の言葉が公開された。各回の上演後には「終演後の劇場開放」が行なわれ、観客と作り手とが言葉を交わす(そこでも公演関連資料は閲覧可能だった)。バーやカフェが併設され、そこで多くの言葉が交わされるヨーロッパ圏の劇場と異なり、日本の劇場の多くは単に作品を上演するためのハコとしてしか機能していない。「異なる声」を聞く手段としての「劇場開放」は有意義だと思う一方、それは簡単に日本の小劇場特有の身内感=同質性を確認し合うだけの場にもなってしまうだろう。ここにもアポリアが顔を覗かせる。
早稲田小劇場どらま館という劇場とそこに設えられた舞台美術は、青年団版の『東京ノート』とはある点においてちょうど真逆の印象をもたらしていた。青年団版は基本的にはリアリズムに基づいた作品であり、舞台上に観客のいる現実とは切り離された「現実」が構築される。開演時間になると幕が開き、あるいは俳優が登場するのではなく、開場から開演までの時間も俳優が舞台上で演技を行なっている(ゼロ場と呼ばれる)のは、舞台上の「現実」の連続性を確保するためだ。観客と隔絶された「現実」に舞台を越えた時空間的広がりを持たせているのが青年団版であるとひとまずまとめることができるだろう。
一方、亜人間都市版は「閉じている」。単純に、20人の登場人物を7人の俳優で演じた結果として、舞台上における人の出入りが極端に少なくなっているということはあるだろう。舞台奥上手からしか俳優が出入りできない劇場構造の問題もある(ハヤカワ演劇文庫版『東京ノート』に付された図では舞台奥上手と舞台手前上手の二箇所から登場人物は出入り可能となっている)。
そうした構造によって生まれる「閉じた」印象は舞台美術(小駒豪)によってさらに強化される。「舞台美術」といっても美術館のロビーが舞台上に構築されているわけではない。剥き出しの舞台面。そこに点在する日用品と円筒形のオブジェ。階段状の客席の最下段には客席としてのベンチと舞台美術としてのベンチが並んでいる。それらはすべてつや消しの黒で塗りつぶされ、劇場の床、壁、天井とともに文字通りのブラックボックスを構築する。
唯一の例外は舞台上手に吊られた立方体だ。鏡張りになった立方体の表面が劇場の内部を映し出し、内外は反転する。それはまさに閉じられたキューブとしての劇場の姿そのものだろう。客席と舞台との境界が曖昧であったように、観客もまた俳優とともにキューブに閉じ込められている。
この鏡張りの立方体についてはまた異なる解釈も可能だ。各面はよく見れば6×6で36個の正方形が集合する形で構成され、映し出される像は分割されている(亜人間都市のインスタグラムにおける舞台記録写真の表示の仕方ははその像を反復しているようにも見える)。6つの面が映し出す像もまた、それが劇場内部の像であるという点においては共通しつつも、それぞれに異なっていることは言うまでもない。世界の像はあらかじめひび割れている。
異なるものが集うには、そのための「場」が限定されなければならない。それは人間の身体と思考の限界としての条件なのだ。一つの「場」において世界のすべてを検討することは叶わないが、閉じられた「場」は重なり合い、世界の思考を可能にするかもしれない。亜人間都市『東京ノート』において複数のレベルの「場」が開示されていたのはそういうことではなかったか。

さて、本来ならばここから具体的な上演の分析に入るべきなのだが、実のところ、果たしてこの作品においてどの程度それが有効であるかという点に私は今も確信が持てないでいる。言い換えればそれは、「異なる声の集う場所」であるということ、それを開示すること以上のものが上演にあったのかという疑問だ。つまり、この作品に果たして個別具体的な「異なり」はあったのか。
いや、それはもちろんあったに決まっている。たとえば、私は本作の演技体の基調にぐねぐねダラダラとした身体が据えられていると記したが、それはあくまで全体の基調がそのようなものにあると感じられたということに過ぎず、なかでも藏下右京と畠山峻の演技体はそのようなものとは随分と異なっているように見えた。虚空を見据える藏下は空虚な受信機のようであったし、畠山の演技はある種の自然さ(しかしそれは複数の役を演じることが俳優に課せられている本作においては「不可能な」ものでもある)を目指しているように見えた。そしてそのような私の印象は(偶然にも)あながち間違ったもの、俳優の演技プランから大きく外れたものではなかったことが、「プロセス/カイセツ」に記された(黒木の)言葉によって裏付けられる。
あるいは、「平和維持軍」に行くと語る石倉来輝の口から一方で「戦争はんたーい」という言葉が発せられる場面。戯曲にはこのセリフはそれぞれ異なる人物のものとして書き込まれており、意見の対立が場に緊張感をもたらす。だが、亜人間都市版では対立するように思える意見が一つの口から発せられることで、それらが果たして本当に対立するものであるかを問うような、あるいはひとりの人間が二つの極に引き裂かれる様を見せるかのような効果を挙げていた。
だが、このような「異なり」の併置は、それだけでは現状の追認にしかならない。「場」は目的ではなく手段であるべきで、あるいは手段ですらなくそもそもの前提条件なのだ。もちろんまずはそのようなスタート地点を確認することは重要であり、にも関わらずそれがなされていないからこそ亜人間都市『東京ノート』は必要だったのかもしれない。だが、「みんな違ってみんないい」だけではダメなのだ。それは簡単に悪しき相対主義に堕してしまう。
このような問題はある種の現代美術が孕むそれと同型で、しかし演劇においては人が集まることこそが前提条件であるがゆえにむしろ本質的な問いとはしづらいところなのかもしれない。舞台上のオブジェは未来の廃墟めいていて、俳優たちのふるまいはコミュニケーションの残骸のようにも見えた。それは未だコミュニケーションならざるものとなりえるだろうか。

亜人間都市/黒木洋平の活動は演劇作品の上演には限定されておらず、ワークショップや「読書会」、早稲田にあるアーカイブカフェShyでの「バー」など、具体的なコミュニケーションのためのそれへも開かれている。黒木の問題意識からすればそれはおそらく「正しい」。だが私は面白い演劇の上演が見たい。だから結論はこうだ。前提条件の確認は済んだ。亜人間都市の演劇はこうしてようやくスタート地点に立っている。

*この劇評は亜人間都市・黒木の依頼によって書かれたものであり、亜人間都市のホームページに掲載されたものを転載している。

投げ銭はいつでもウェルカムです! 次の観劇資金として使わせていただきますm(_ _)m