村川拓也『ムーンライト』@京都市西文化会館ウエスティ ホール(2018.12.16.)

村川拓也『ムーンライト』はピアノの発表会を題材にした演劇作品だ。なぜピアノの発表会か。この作品はロームシアター京都×京都市文化会館 5 館連携事業「地域の課題を考えるプラットフォームCIRCULATION KYOTO – 劇場編」の一環として上演された。公式ホームページによれば同事業は「京都市の中心部を囲むように点在する5つの文化会館を線でつなぎ、芸術文化の視点から京都という都市を見つめ直すプロジェクト」であり、「新進気鋭の5組のアーティストが各文化会館の位置する地域を出発点に新作を発表、独自の切り口と方法論で都市・京都の断片を象ってい」くものだという。開催概要にはさらに「CIRCULATION KYOTO」が「現代において、劇場が地域社会とつながり、関わりながら機能するとはどのようなこと」かという「命題に取り組むために昨年度(*引用者注:二〇一八年度)より始めたシリーズ」であるという説明もある。

ところで、各作品の公演会場となった「文化会館」はいわゆる「劇場」ではない。「劇場」は演劇やダンスなどの舞台芸術の上演を目的とした、いわば専門性のある建築物を指す呼称である。対して「文化会館」は「多目的ホール」と呼ばれることも多く、ピアノの発表会や講演会など、様々な目的のために使用されることが前提となっている。演劇が上演されることももちろんあるのだが、それらは市民の手によるものか、あるいは「巡回公演」(劇団四季によるものなど)と呼ばれるものであり、ホールの企画としてアーティストによって製作された作品が上演されることはまれである。古典芸能の上演を目的とする国立劇場などを除けば、日本における「公共劇場」と言えば長く「多目的ホール」のことであり、「公共劇場」が企画・制作も担う舞台芸術専門のそれとして全国的に整備されるようになっていくのはようやく九〇年代になってからのことであった(東京芸術劇場の開館が一九九〇年)。

「開催概要」の冒頭には「古代西洋で誕生した劇場は、人々の生活や政治と密接に関わり、それらを映し出し考える広場としてありました」という導入が置かれているのだが、少なくとも二〇一九年現在の日本において、地域の住民と密な関係を築いているのは多くの場合、劇場ではなく文化会館の方だろう。だがそれは趣味のサークルなど、地域のなかのさらに小さなコミュニティが集うための場として機能しているということでしかなく、「考える広場」としての意味はほとんど期待されていない。一方の劇場にはアーティストによる上演作品を目当てに地元住民以外の観客も多数訪れるが、そもそも彼らの多くは日常的に観劇を趣味とする(残念ながら現代日本では極めて「特殊な」と言わざるを得ない)人々であり、住む地域こそ異なれど(大きな意味では)一つのコミュニティに属していることになる。様々なバックグラウンドを持つ人々が集う「考える広場」としての劇場は日本では未だ実現していないと言ってよい。

このような状況はアーティストの担う「先鋭的な」芸術と非アーティストの担う「趣味としての」芸術との間にある(ように見える)分断とも関わっており、「CIRCULATION KYOTO」という取り組みの問題意識はおおよそこのようなところにあるだろう。残念ながら私は村川の作品しか見ることができなかったため、それ以外の個々の作品がどうであったか、あるいは、企画が総体としてどのように機能していたかはわからないのだが、ともあれ、ピアノの発表会という題材は企画趣旨と密接に関わっている。

村川の作品の多くにはドキュメンタリー的手法が採用されている(これまでの村川作品についてはこちら)。本作においても村川の創作はまず、公演会場となった西文化会館を訪れるところからはじまった。「その地域に住んでいる人たちがこの会館でどのような催しをやっているのか見学させてもら」おうと訪ねた日の催事がたまたま「地域のピアノ教室が主催しているピアノの発表会」であり、その後も立て続けに3度、ピアノの発表会に居合わせることになったため、「4回目を見終わった後、もうその頃にはピアノの発表会を題材にしようと決めていました」と村川は語る。

「ピアノの発表会」というのは文字通り、ピアノ教室などに通う生徒が日頃の練習の成果を発表する会である。複数の教室による合同発表会の形をとることもあり、規模の大きなものでは丸一日がかりの場合もある。観客の多くは自身と関係のある出演者(多くの場合、それは観客の子供や孫、ときに友人だろう)の演奏を目当てに来ているため、会場内の観客は随時入れ替わっていく。かくいう私も友人が出演するというので三度ほど足を運んだことがあるだけなので、もしかしたら全く違った形式のものもあるのかもしれないが、重要なのは、それが基本的に「身内」に向けられたものだという点である。プログラムは生徒の年齢順(あるいは習熟度順?)に組まれていることが多く、ゆえに後半になれば十分に「鑑賞に耐える」演奏(たとえば奏者の何人かは音大に進むかもしれない)もあるのだが、それでもそれが素人によるものであることに変わりはない。プロの手によるコンサートとは異なり、観客はクオリティの高い演奏を聴きに来ているわけではないのだ。

一方、村川がつくるような演劇作品は不特定多数の観客が見ることを前提としている。どちらをより「開かれた」状態であると考えるかは難しい、というかそれこそがCIRCULATION KYOTOの問うているところだが、「ピアノの発表会」を「演劇作品」として成立させるためには前提とされるこのような観客の違いを無視することはできない。

村川は中島さんという70代の元新聞記者の男性を出演者に選んだ。中島さんは大学生になってから先輩に憧れてピアノを習いはじめ、そのきっかけとなったベートーヴェンの「月光」を弾き続けているのだという(※この文章は1年以上前の記憶を掘り返しながら書かれているので、細部で私の記憶違いがあるかもしれない)。村川は舞台上に置かれたグランドピアノの隣で中島さんから彼の半生を聞き出していく。そして時折、ピアノの発表会のように舞台袖から演奏者が出てきて、中島さんの思い出に残っている曲を舞台上のピアノで演奏するのだ。演奏するのは小学校低学年から初老までさまざまな年齢の(そのように見える)女性で、彼女たちは語られる中島さんの人生に関わる女性(先輩、妻、子etc)の姿に重なって見えたりもする。

つまり、村川は「ピアノの発表会」と「演劇作品」のあいだに生じる観客の態度のギャップを埋めるために、物語を利用したのだ。ここでの「物語」はそのままドキュメンタリーと言い換えることもできる。ピアノ演奏と観客のあいだに「中島さんの人生」という物語を置くことで、本来であれば演劇の観客にとって興味を引くものとはなり得ない「素人のピアノ演奏」に意味が生じる。しかも、中島さんの思い出に残っている曲はしばしば、中島さんの身近な人、まさに「素人」によって弾かれたものであり、その意味で、舞台上でのピアノ演奏が素人によるそれであることはむしろ利点ですらある。

ピアノの発表会を演劇作品として成立させるためにドキュメンタリーを、他人の人生を利用するというのはいささか転倒が過ぎるようにも思われる。あるいは逆に、ピアノ演奏がドキュメンタリーの添え物なのだとしたらそれも失礼な話だ。だが、この作品のクライマックスはこの先にある。最後の「発表者」となるのは中島さん自身であり、そこで「月光」が披露されるのだ。

しかし、緊張しているのか中島さんはなかなかうまく弾くことができない。その様子を見守る私のはらはらは、我が子の発表を見守る親の心情と重なる。ここに来て舞台上のピアノ演奏と中島さんの人生との関係は逆転する。あるいは、普通のピアノの発表会におけるそれと一致したという意味ではその関係は「正常化」するというべきかもしれない。あのとき私は、中島さんという人物に興味を持っているがゆえにその演奏を聴こうとしていた。

だが、何回か挑戦したところで中島さんは演奏をやめてしまう。年齢のせいか最近は指がうまく動かない、幸い、何年か前に演奏したときの映像がたまたま残っていたのでそちらを見てほしい。中島さんがそのようなことを言うと、舞台上に楽器屋での試奏で「月光」を弾く中島さんの姿が映し出される。映像を映したまま舞台上の照明は暗くなり、映像が終わったところでそのまま上演は終わる。

たとえ下手だったとしても中島さんが「月光」を弾くことでこの作品が終わると思っていた私にとって、この終わり方はあまりに「残酷」に思えた。だが、ここで再び考えてみたい。ピアノの発表会の観客は果たして何を見に来ているのか。もちろん多くは我が子の演奏だろう。もう少し言えば、我が子が新しい曲を弾けるようになった姿を見に来るのだ。言い換えればそれは我が子の成長、つまりは時間の経過だ。であるならば、『ムーンライト』が「ピアノの発表会」である以上、最後に中島さんの「老い」が示されることもまた必然だったということになる。それを「残酷」と感じた私はおそらく、「老い」を受け入れる準備ができていないのだろう。


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観劇費用:京都までの新幹線往復27,080円+チケット代2,500円=32,580円

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