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もし、この世界から「ゴキブリ」がいなくなったなら・・・【ゴキ研究者は語る】

 「クチキゴキブリのメスとオスは、互いの翅を食い合うらしい」

 類を見ない不思議な現象に惹かれた著者が、採集・飼育・繁殖方法など、わからないことだらけのこの生物に秘められた謎を体当たりで追いかける――。
 沖縄・やんばるでの採集、トライ&エラーの飼育、予算がない中でのDIYな実験、そして翅の食い合いの意義とは――行動生態学の基本と最前線をわかりやすく語る科学読み物『ゴキブリ・マイウェイ この生物に秘められし謎を追う』が発刊されました。
 本書から、一部を抜粋して紹介します。

ゴキブリ・マイウェイ この生物に秘められし謎を追う』大崎遥花著(山と溪谷社)

◎あなたの知らないゴキブリ

 世界にゴキブリが何種いるかご存じだろうか。
 
 「ゴキブリの種類? ゴキブリはゴキブリでしょ?」なんて雑なことを言ってはいけない。虫から見れば、ヒトもアカゲザルも「みんなサルでしょ?」かもしれないが、我々はホモ・サピエンスでありアカゲザルとは全くの別種であるというのと同じだ。
 
 ゴキブリはゴキブリ目(Blattodea)に属する昆虫を主に指す言葉である。2007年にシロアリ目がゴキブリ目の中に完全に包含されることが明らかになったので、ゴキブリ目昆虫の一部はシロアリである(1)。よってシロアリ以外のゴキブリ目を総じてゴキブリと呼ぶと認識していただければ間違いない。
 
 全世界でゴキブリは、これまでに約4500種が発見されている。「4500種もあんな害虫がいるのか……」と絶望したそこのあなた。それは間違いなので安心していただきたい。
 
 実は、ゴキブリの中で害虫と呼ばれる種は1パーセントにも満たない。その他の99パーセント以上のゴキブリたちは森林や草原で人間の目に留まることなく、ひっそりと生息しているのである。クチキゴキブリもそんなひっそり系ゴキブリの一種だ。
 
 日本にも64種のゴキブリが生息しているが(2)、その中で害虫と認識されている種は5種程度。ほとんどの種は乾燥の激しい人工的環境に順応しておらず、むしろ人家に出没する種のほうがゴキブリ界では開拓精神旺盛なマイノリティーなのだ。私たちは、そんなゴキブリのほんの一部だけを見て「ゴキブリは害虫だぁ」とやいやい騒いでしまうのだから、ゴキブリにとっては甚だ迷惑な話であろう。
 
 ゴキブリと見れば「いなければいいのに!」と思う方も一定数いる。それは紛れもない事実であり、ある程度は仕方のないことだ。哀しいかな、ゴキブリはブランディングが致命的に下手っぴだったと言わざるを得ない。
 
 人間に媚びるという方法を思いつかなかった不器用な虫。しかし、本当にいなくてもいい存在だろうか? 否、ゴキブリだって静かに生態系を担っている。
 
 そもそもクロゴキブリをはじめ、家屋に出没するゴキブリが害虫と呼ばれるのは、特にインフラのまだ整っていなかった時代に、汲み取り式トイレなどで糞尿表面を歩いた脚で食器棚などに出没する衛生害虫として扱われていたことに由来する。
 
 現代でも、何を踏んだ脚で室内に上がって来ているかを知る手立てはないが、当時よりはだいぶ人間側の環境がきれいになっている。だから、家にいても無害だとは言わないが、今は昔に比べて清潔な環境なのだと心に留めておいていただければと思う。

◎分解のスターター!

 では、ゴキブリがこの世からいなくなったらどうなるだろうか。家屋害虫のゴキブリだけでなく、森林のひっそり系ゴキブリもまとめて、である。研究例が乏しいため推測の話にはなるが、99パーセントのひっそり系ゴキブリが森林から忽然と姿を消したら、まず朽木と落ち葉の分解が進まなくなるだろう。
 
 クチキゴキブリだけでなく、オオゴキブリも朽木を食べるし、トンネルをガンガン掘削する。朽木や落ち葉は、他の昆虫にとっては硬かったり、大きすぎたりして食べられないことが多い。また、モリチャバネゴキブリなど林床を歩き回るような生活をしている他のゴキブリは、雑食性の種がほとんどなので、朽木・落ち葉の他に昆虫の死骸や動物のフン、キノコなどあらゆる物を食べる。
 
 ある程度の体サイズがあり、大顎が大きく、雑食性である、という三拍子揃った生物であるゴキブリは、朽木や落ち葉、昆虫の死骸などの分解の第一段階である「物理的な分解」を担っている(3)。ゴキブリがこれらを食べるついでに粉砕してくれることで酸素が入りやすくなり、腐朽菌(キノコ)の菌糸が回りやすくなって腐朽が進んだり、ヤスデなどの小さな土壌動物が利用しやすくなったりする。
 
 こうしてクチキゴキブリによって開始した分解により、朽木や落ち葉はまた森林の土壌に返っていくのである。いくら他に分解者の生物がいたとしても、第一段階の分解が遅くなれば、当然森の地面は倒木だらけになり、植物も生えにくく、豊かな森とは言えない状態になってしまうだろう。
 
 また、ゴキブリはクモやトカゲなどの捕食者に食われ、生態系の養分を循環させている。ゴキブリは個体数も多いため、多くの捕食者を養っているだろう。ゴキブリは唯一の分解者ではないし、唯一の被食者でもないが、その個体数と雑食性、そして物理的な分解の速さで、生態系のニッチを確立していると言える。
 
 不快害虫とはいえ、いなくなったら問題だし、この問題はいつか人間の生活に影響してくる。影響してきた頃には手遅れ、なんてこともザラにある。いなくなればいいのに、というのは極論だ。
 
 ということで、私は屋内でゴキブリに遭遇したら、そっと誘導して外の世界にお帰りいただく。本来、森林が彼らの棲む世界だからだ。 

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 そして、なんと最近、著者のアメリカの自宅にゴキが出没! 本に書いた通り、そっと誘導して外の世界にお帰りいただくようすを、よろしければご覧ください。
【害虫らしい形のゴキブリがアップで登場するので、苦手な方はご注意ください】

【参考文献】
(1)Inward D, Beccaloni G, Eggleton P. 2007. Death of an order: a comprehensive molecular phylogenetic study confirms that termites are eusocial cockroaches. Biology letters 3: 331–335.
(2)『ゴキブリハンドブック』(柳澤静磨 著、文一総合出版、2022)
(3)『ゴキブリ 生態・行動・進化』(Bell WJ・Roth LM・Nalepa CA 著、松本忠夫・前川清人 訳、東京大学出版会、2022)

【著者略歴】大崎遥花(おおさきはるか)
1994年生まれ。日本に現存する唯一のクチキゴキブリ研究者。九州大学大学院生態科学研究室博士課程を修了後、京都大学を経て、2023年よりノースカロライナ州立大学で研究を行う。日本学術振興会特別研究員CPD。狭い場所が好きなのにアメリカの家は広く、最近落ち着かないらしい(研究者と研究対象は似るという)。面白いといえばゴキブリ、でもカッコいいといえばカミキリ。ゴキブリ採集の副産物の土壌動物も好物。ペンで生物画を描くのが趣味。クチキゴキブリ研究に生涯を捧げることになるのだろうなあと腹をくくっている。

◎『ゴキブリ・マイウェイ』好評発売中!

ゴキブリ・マイウェイ この生物に秘められし謎を追う』大崎遥花著(山と溪谷社)

 採集は単独行? 飼育方法がわからない
 論文書くのツラすぎる 時間もお金も足りない!
 だけどやっぱりゴキブリは面白すぎる!!!

 研究対象である生き物と、それに生涯をささげる研究者、研究という営みの魅力が詰まった一冊。そもそも研究とは何のために行うのか、学会を活用するには? 論文はどうやって書かれているのか、など知られざる研究の現場、研究世界の歩き方についても語ります。本文に収録した超細密で美しいイラストは、著者による作画。

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