見出し画像

広大な”狼屋敷”で犬、狼、ジャッカル、狐、ハイエナと暮らした「犬奇人」のすご過ぎる人生【動画つき】

 戦前から戦後にかけて、狼をはじめとするイヌ科動物を独学で研究し、雑誌『動物文学』を立ち上げた平岩米吉という人物がいました。
 動物行動学の父・ローレンツに先駆けて自宅の庭で犬、狼、ジャッカル、狐、ハイエナと暮らしながら動物を徹底的に観察。「シートン動物記」「バンビ」といった動物文学を初めて日本に紹介し、フィラリアの治療開発に私財と心血を注ぎました。この、知られざる奇人であり偉人を描き切った痛快ノンフィクション、ヤマケイ文庫『愛犬王 平岩米吉』(片野ゆか著)から「プロローグ」を公開します。

『愛犬王 平岩米吉』片野ゆか:著(山と溪谷社)

プロローグ

「執筆中」の札が数日ぶりに書斎の入り口からはずされたのは、梅雨のある日のことだった。
 
 平岩家では、米吉が原稿に向かっているあいだ、大声で話したり笑ったり、足音を響かせたりするなど、大きな音をたてることは一切禁止されていた。息をひそめて神経をピリピリとさせる日々は、一度始まるといつまで続くかわからない。でも書斎の札が一度はずされれば、家の中にはたちまち開放的な空気が流れだす。
 
 この時を待ちわびていたのは、妻や子どもたちだけではなかった。
 犬たちも、米吉の変化を敏感に察知した。興奮した彼らの爪は、ただでさえ傷だらけの廊下にさらに新しい傷をつくった。茶の間の畳は、すり切れてほとんど目が見えなくなっている。米吉が手をさしだすと、犬たちは先を争うように頭をすり寄せてくる。自分から転がってお腹を見せる犬もいる。澄んだ、明るい吠え声が家中に響きわたった。
 
 ひとしきり犬たちと遊んだ米吉は、恒次博四郎としばらく会っていないことを思い出した。恒次は消化器科の専門医で、渋谷で病院を開業している。米吉とは互いの家を訪ねあって雑談や囲碁、連珠を楽しみ、気が向けばひいきの料理屋に出かけるといった付き合いが続いていた。しかしそれも、ここしばらくの多忙で途切れていた。
 米吉は合いのインバネスをはおって玄関を出た。
 
 インバネスはケープ付きのロングコートで、イギリスから輸入されて明治の終わり頃までは知識階級のあいだで流行したといわれているが、昭和四十年前後にもなってこんな古めかしいものを着て出歩く者はめずらしかった。だが、米吉はこれをいたく気に入っていた。そもそも正装などの仰々しい恰好は苦手だった。身につけるものは、サラリとはおれる身体をしめつけないものにかぎる。そう思っていた米吉は、真夏であれば、ほとんど着流しでどこへでも出かけていた。
 
 自宅から緩やかな坂を下ってしばらく歩くと、東急東横線の自由が丘の駅に着いた。
 昼過ぎという時間帯もあって車両の乗客はまばらで、座席のひとつに腰をおろした。
 米吉にとって、ライフワークともいえる大きな仕事は、雑誌『動物文学』創刊時からめざしている、ひとつの文学分野の確立だった。
 動物文学とは何か? それについて米吉は次のように書いている。

 私は「単に動物を扱った文学というのなら、題材の範囲を示すだけで一般の文学と変わりがない。動物文学の基礎は動物に対する理解と愛でなければならない」と言い、(中略)結局、「動物文学は一生、動物に親しみ、たえずその研究と描写に精進する人からだけ生まれるもの」(第二十六集)としたのであった。

(『動物文学』百六十一号・昭和三十九年発行)

 〝動物文学〟という言葉をつくった当初は、世間から奇異な言葉だといわれたこともあったが、それもしだいに浸透していった。しかし、あれから三十年を経た今も、本質は何も変わっていないと米吉は感じていた。世の中には、動物さえ出せば動物文学だと思っている者がいまだに少なくない。ひどいものになると動物本来の行動や生態をまったく無視して、人間の都合にあわせて書かれたものもある。

 地球の上には人間だけが住んでいるのではありません。また、人間だけで住んでいられるわけのものでもありません。いろいろな生きものが、寄りあって、争ったり、助け合ったりしているなかに人間もいるわけです。ですから、いろいろな生きものの生きる姿を、はっきり見きわめなければ、われわれの生き方も、生い の命ち というものの意味も、本当にはわからない筈です。

(『動物文学集』昭和三十年 アルス・日本児童文庫)

 そう主張する米吉にとって、もっとも身近で愛すべき動物は犬だった。昭和九年の『動物文学』創刊とほぼ同時期に「犬科生態研究所」を設立する以前から、米吉は多くの犬をはじめ、狼、ジャッカル、狐などの野生動物と生活をともにしてきた。それによって得た犬科研究の成果を少しでも早くまとめていかなければならない。その思いから、犬を飼う方法について解説した『犬の生態』を刊行したのは昭和三十一年のことだ。
 
 その後、次回作にとりかかって数年経つが、雑誌の編集作業に中断されるばかりで執筆は遅々として進まなかった。それどころか、動物好きのあいだで話題になっている新刊書を手に取る暇もない。本の内容について会員から質問されたものの、まったく答えることもできなかったのはつい先日のことだ。
 
 突然、隣の席の男が勢いよく立ち上がる気配を感じて、米吉は我にかえった。
 男は、ドアのそばに立っていた女性を押しのけるように足早にホームへ降りて行った。さらに数人の男がそれに続くと、米吉のまわりにぽっかりと空間ができた。インバネスの胸に手をやってみると、紙入れの感触がなかった。内ポケットが刃物で切られ、丸ごと抜き取られたのだ。紙入れは分厚く膨れていて、それはインバネスの外からでもわかるほどだった。入っていたのは、数枚の紙幣。
 それと、大量の犬の毛だった。
 
 米吉は亡くなった犬たちの毛を切り取ったものを丁寧に半紙に包み、それを紙入れに収めて肌身離さず持ちあるいていたのだ。
 米吉は茫然として、座席に沈み込んだ。それは単なる想い出の品ではなかった。米吉が愛した犬たちが生き、ともに過ごした時間が確かにそこにあったことを証明する大切なものだった。

 ようやく力を振り絞って途中下車し、交番に届け出て、小銭を借りて家路についた時には、家人に帰宅を告げる気力さえ残っていなかった。
  そのときの様子について、妻・佐與子は手記「ある梅雨の日の思い出」につぎのように書いている。

 主人は悄然としてお書斎に入ったきり、しばらくは出てきませんでした。少したってから出て来て一部始終を話してくれました。私は何といって慰めたらいいのか、慰める言葉もなく立ちすくんでしまいました。 
 しかし、主人の災難を犬達が救ってくれたのかもしれません。
 一方、掏摸(スリ)達は紙入れをあけてみておどろき、主人とは違う意味で、さぞがっかりしたことだろうと思います。折角、掏ったのに、中から出てきたのは掏摸にとってはゴミ同然の犬の毛だったとは見込み違いに腹を立て、あげくは笑いだしてしまったかもしれません。

(ヤマケイ文庫『愛犬王 平岩米吉』より)

貴重!オオカミと戯れる米吉の動画

 自宅の庭で、オオカミと戯れる平岩米吉氏の貴重な映像が公開されました。戯れが過ぎて、よく着物の袖を引きちぎられていたとか…。(映像提供:早稲田大学・江川あゆみ氏)

「植物の牧野・動物の平岩」と並び称された男の痛快ノンフィクション。好評発売中!

 戦前から戦後にかけて、狼をはじめとするイヌ科動物を独学で研究し、雑誌『動物文学』を立ち上げた平岩米吉という人物がいた。自宅に庭で犬、狼、ジャッカル、狐、ハイエナと暮らし、彼らの生態研究に人生をかけた偉大なる奇人の物語。文庫化にあたり、往時の様子を収めた貴重な写真と作家の直筆原稿を収録。第12回小学館ノンフィクション大賞受賞作。文庫解説/村井理子。

記事を気に入っていただけたら、スキやフォローしていただけるとうれしいです!