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牧野富太郎博士が美しさに感嘆したイチ押しのお花畑とは?

NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなっているのは、日本の植物学の父といわれる牧野富太郎です。ほぼ独学で植物の知識を身につけ、1500種以上の新種を命名した牧野は、膨大な植物を採集・調査するために日本各地の山を訪れていました。幼少期に親しんだ故郷・高知の山、遭難しかけた利尻山、花畑に心震わせた白馬岳など、山と植物にまつわるエッセイを集めたヤマケイ文庫『牧野富太郎と、山』(ヤマケイ文庫)が発売中です。本書から、牧野博士お気に入りの花畑を語ったエッセイを紹介します。

ブックデザイン:高柳雅人、イラストレーション:石坂しづか

白馬岳のお花畑

私もだいぶ方々の高山に登ったが、日光は女峯(にょほう)や男体山(なんたいさん)はどうかというと、外輪的で比較的高山植物も少ないが白根山(しらねさん)は多い。八ヶ岳は登るに都合の良い高山で八ヶ岳むぐら、八ヶ岳しのぶなどは日本ではこの山のみに限る高山植物である。ひげはりすげ等も観賞には適せぬが植物学上珍しいものでこれもこの山に限られている。高山植物についての知識を得ようと思えば信州の白馬岳(しろうまだけ)に登るがよい。

東京から行くとすれば上野駅から長野行の汽車に乗って篠井駅に出で、ここから松本行の汽車に乗り替え明科(あかしな)駅に下りる。途中に名所もあるがとにかく、この駅で下車してから北へ六里馬車で行くと大町に着く。ここから越後の糸魚川(いといがわ)に通ずる道路を、馬車で行くこと六里にして北城(ほくじょう)の宿に着く。この北城村は白馬岳の麓で案内者を雇うて行けばすぐ登れる。山の中腹を白馬尻(はくばじり)といって雪が多い。

その雪の消えている処から絶頂までは雪がなくていわゆるお花畠になっている。雪の消えている近所には芽が出ているが、それがだんだんと進むにしたがって花を開き実を結ぶという有様である。その百花繚乱(りょうらん)のお花畑をねぶか平と言っているが、崇高清美の感慨はとうてい筆にも舌にも言い尽せない。また絶頂に登って瞰下(かんか)すると、山の渓谷にはみな雪があって越中、越後は一望の下で富山市も見える。

夜などは蛍の光に似たうすぼんやりした光が見えるのは富山市の電燈だが、かような高嶺に登ってこれを眺めると、物質以外のまったく俗を洗った雅景に見える。なお立山(たてやま)の雪白の衣裳を纒(まと)うた姿が見えるので真夏の感じは起こらぬ。帰りは雪の上を滑って下りるが、これがまた愉快なもので東京の人はこれのみでも出かける価値はある。

登山の準備と注意

登山の心得として私の経験は軽装に限る。頸(くび)に雫が入るから鳥打帽はまずい。莚(むしろ)蓑(みの)は絶頂に登っても途中で休むにも腰掛に敷かれるから好都合、雨にも結構、丈夫な洋傘もよい。弁当は缶詰物よりも握り飯に梅干がよく、味噌汁は山ではしごくよい。

その他二、三の事

日本の高山植物界にとりて忘るることのできないのは、城数馬、木下友三郎の両氏、松平康民、加藤泰秋、久留島簡、青木信行等の各子爵、小川正直氏、長野県松本の女子師範学校長矢澤米三郎氏、志村烏嶺氏、前田曙山氏、今は故人となった五百城文哉氏等の諸氏がさかんに高山植物の採集をなし、また培養に従事せられたことである。

諸氏は娯楽としてまったく閑却されていた高山植物の採集に努力したために学者側にあっては大いに研究の歩を進めることができた。その時代虫取すみれなどは珍しかったくらいであるか、その後採集の材料はようやく豊富になって、私どもはこれにいちいち名称を付けたり種類を定めたり、ずいぶん研究すべき仕事が多くなったわけで、ついには自分も高山に登るようになった。

かくて一時は非常の盛況を呈するにいたったが、またこうなると一利一害で、植物屋連の乱採が始まり植物保護の取締り規則ができ、今日でも八ヶ岳や白馬に行くには山林区署の許可を得なければならぬという面倒をみるようになり、自然、高山植物採集熱も一時下火らしかったが、また、このごろ少しく頭を抬(もた)げてきたようである。

高山植物の知識を広めるためには、東京のような都会には公園の中に「高山植物園」を造るがよかろうと思う。外国のように上方に高く岩を組むようにせず、地下に掘って岩石を置けば空気の乾燥も少なく、場所も取らず、しごく結構だろうと思う。かつこれは高山植物を専門に研究している人に依頼すれば面白かろうと思う。

※本記事は、ヤマケイ文庫『牧野富太郎と、山』を一部抜粋したものです。
※掲載内容は、刊行当時のものです。現在は、高山植物の採取は学術研究上の必要がある場合に限られ、該当地域の森林管理署等への許可申請が必要です。


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