生きることはみっともなくたっていいと動物たちが教えてくれている
「生理終わってよかった!」
「本当に! ねぇ、”りんびょう”すっごい大変だった〜」
これは私が獣医大学に通っていた頃、電車の中で同級生たちと大声で交わしていた会話である。
最初の「生理終わって〜」というのは、獣医生理学の実習が終わってホッとしたということ、その次の「りんびょう」とは重篤な病気の淋病とは関係なく、臨床病理学(略して「臨病」)の授業が大変だった、という意味である。
当時は周りの方々が聞いたらどう思うだろう?などと1ミリも想像できず、今から思えば恥ずかしい限りである。
しかし、時が経ち大学を卒業してからも、当時の同級生との会食の席で、臨床繁殖学実習でヤギの交尾がすさまじく速かったこと、牧場実習で発情したウマが突然、事故死してしまったことなどを大盛り上がりで話していたら、お店の方から「お客様。申し訳ないのですが、もう少し、小さな声でお話ししてくださいますか」と、やんわり注意される始末。
まったく懲りていない―。
冒頭から、私の残念な体験をお話ししてしまったのには、理由がある。
一般的に、動物や生物の「性」や「繁殖」について話す機会は日常的に多くないだろう。それどころか、話題にするのは恥ずかしく、憚られると感じる方が多いかもしれない。
一方、獣医大学を卒業して現在は研究者として働いている私にとって、動物の性や繁殖について話題にすることは、ごく自然で当たり前のことである。それはひとえに、動物たちの性や繁殖が常に「生きること」とセットであり、恥ずかしいことという概念がほとんどないからに他ならない。
さらに、彼らの性の営みや繁殖行動に隠されているさまざまな工夫や戦略を知るほどに、大きな感動を覚え、尊敬の念すら抱いているからである。
たとえば、シャチのオスは背ビレが2メートルの高さにまで達する。シャチの群れの中でも、圧倒的な存在感で海面にそそり立ち、一目でオスであるとわかるほどだ。巨大すぎる背ビレは、オス同士が闘うための直接的な武器になるわけでもなく、では泳ぐのに有利なのかというと、かえって邪魔にもなる代物だ。それでも、背ビレの大きさがオスの強さを象徴することから、背ビレが大きいオスほどメスにモテる。
他方、同じ海の哺乳類でもザトウクジラのオスは、メスへの求愛アピールとして、ソング(歌)を奏でるよう進化した。とくに群れをつくらず、大海原を回遊して生きるザトウクジラにとって、最も優先すべきは、繁殖相手と出会うこと。
そのために、3000キロメートルを超えて鳴り響くソングを身につけた。
このように、動物の求愛方法は、生息環境や生活スタイルによって、驚くほど変化に富んでいる。本書の1〜2章では、海の哺乳類と陸の哺乳類のそれぞれについて、工夫に満ちた求愛戦略を紹介していく。
海に棲む動物には海に棲む動物なりの、陸に暮らす動物には陸に暮らす動物なりの苦労と事情がある。それを知恵と工夫、熱意で乗り越えて、求愛にいそしむ彼らの奮闘ぶりといったら……。ときに命さえ落としかねない、ドラマチックで悲喜こもごもの話を楽しんでいただきたい。
3章と4章は、それぞれオスの繁殖戦略とメスの繁殖戦略について紹介している。ずばり、生殖器と交尾についての話である。
生々しくてイヤだわ……と思われる方もいるかもしれないが、動物たちが確実に繁殖を成し遂げるために、オスとメスそれぞれが磨き上げてきた形態と機能―この素晴らしさに感嘆するのではないだろうか。
前述の友人たちとの会食中に叱られた話に出てきたとおり、ヤギの交尾は一瞬で終わる。実習中、教員に「あっという間だから見逃すなよ」と言われていたものの「そうはいっても……」とどこかのんきに構えていたら、本当に一瞬だったときの驚き。
一瞬というのは、手をパンと叩く間にもう終わっている、という具合だ。ヤギのような草食動物は、常に「食われる」ことを警戒して過ごさなければならない。交尾中も、例外にあらず。そのために、オスは一瞬で確実に交尾を終えられるように体のしくみを変化させた。
一方、哺乳類のメスは、なぜ子宮と胎盤をもつようになったのか。
そこには、哺乳類が現在のように繁栄することができた重要な「カギ」が隠されている。
また、子宮も胎盤も、出産の形態もワンパターンではない。イルカをはじめとする鯨類は、逆子で出産するほうが安産だし、ウシの胎児は足先に餅のようなプニュプニュを付けて生まれてくる。一体、なぜだろう?
それぞれの動物の生き方に応じて、生殖器も最適な形へと進化した理由を紹介している。
最後の5章では、動物の子どもたちが、生まれながらに身につけた生存戦略についてまとめた。
野生動物は、生まれ落ちたその瞬間から、命の危険と自立のプレッシャーにさらされる。親はもちろん守ってくれるけれど、自分で自分の身を守る術すべももたなければ、生きていくことは難しい。
イルカやゾウの子どもが、笑っているように見えたことがないだろうか。この笑顔も、じつは哺乳類が進化の過程で獲得した驚きの戦略なのである。
本書では、動物行動学の視点に加え、解剖学から見た動物の体の特徴や戦略について、できるだけわかりやすく解説するよう心がけた。
骨や筋肉、内臓を観察することで、初めて見えてくるものがある。動物たちが生命をつなぐために身につけた驚異的なしくみを、存分に味わってもらえたら嬉しい。
動物は、何のために求愛し、繁殖するのか―。
答えは、しごく明快だ。動物たちにとっての性や繁殖は、子孫を残し、種を繁栄させるという実に動物的・生物的に単純な目的のためである。
動物の中でも人間は、進化の過程で脳が著しく発達した生物であり、だからこそさまざまなものを発明し発展させ、ここまで繁栄してきた。しかし一方で、少し頭で考え過ぎてしまう傾向もあるように思う。
私自身、そうであるし、性や繁殖について考えるときも同様かもしれない。
それに比べて、動物たちが性や繁殖と向き合う姿は、直接的で単純だが、一面、ひたむきで真摯にも映る。
オスがメスに必死に求愛し、メスはクールにオスを見定めること。
親が一生懸命、子どもを育てること。
子どもが、非力ながら必死に生きようとすること。
そこには「生命をつなぐ」というシンプルな目的があるだけである。
彼らの生きざまを知ると、そうかぁ、もっと単純に考えてもいいのかな、生きることはみっともなくったっていいんだよな、と少し楽になることもある。
そして、動物たちのことを知れば知るほど、人間に当てはまることも多く、私たちは同じ仲間であることを実感する。言葉は通じなくとも、私は動物たちから実に多くのことを教えてもらい続けている。
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求愛の悲喜こもごもから交尾の驚くべき工夫、妊娠・出産の不思議、環境に適応した多様な子育ての方法まで、あまり明るみに出ないけれど実はめちゃくちゃ面白い、繁殖・生殖のはなしを語る。
海獣学者・獣医として海陸両方のさまざまな哺乳類に触れ、解剖学の知識をもつ著者ならではの経験と視点が満載。
読んだあと、生命の不思議と大切さを感じずにはいられない一冊。
■内容
1章 クジラの歌を聴け~海の哺乳類の求愛戦略~
2章 ゴリラの背中を見よ~陸の哺乳類の求愛戦略~
3章 ヤギの交尾を見逃すな~オスの繁殖戦略~
4章 イルカは逆子で産みたい~メスの繁殖戦略~
5章 子ゾウは、笑う~子どもの生存戦略~