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ことごとく:聖書をめぐる旅 1/24

1/24(月) 
第11代の王ヨタムは、ことごとく主の目に正しいことを行いました。詩編134編は、どこに向かって神様をほめたたえたらよいのか、考えてみました。

歴代誌下27章 

1ヨタムは二十五歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエルシャといい、ツァドクの娘であった。 2彼は、父ウジヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。

→「ことごとく」
デジタル大辞泉で調べると「 多くの事物が例外なく一致するさま。すべて。全部。残らず。」という意味があります。
ヨタムがウジヤのロールモデルにならって主の目にかなうただしいことを例外なくすべて行ったということです。

昨日の礼拝で思わされたのは、天国には病もなくウイルスの脅威もないことです。コロナ禍ですが、天国に触れる礼拝をしている私たちは、ことごとく天国の文化をこの地にもたらす存在であり、病やウイルスの防波堤になるような存在では・・・ということです。

ヨタムの「ことごとく」の歩みから、私たちも神様から与えられた賜物を「ことごとく」使い尽くし、そして天国の臨在を「ことごとく」あらわし使い尽くすよう歩みたいと思います。

詩編134編

主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。
夜ごと、主の家にとどまる人々よ
2聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。
3天地を造られた主が
シオンからあなたを祝福してくださるように。


旧約の時代、神様が定めた場所は神殿の立っていたシオンでした。
その場所は、神様が選んだ場所であり、ダビデが準備し、ソロモンが建てた神殿があった場所です。

今日私たちは、どこに向かって主をたたえたらよいのでしょうか?
ある意味、それは天に向かって、
ある時は、目をつぶって、
ある時は、・・・
どこでしょう?

夜ごと、主の僕たちが集まってくる主の家を想像すると、自分たちの消息を確認するためだったのでしょうか。
それとも日ごとの恵みを感謝するためだったのでしょうか。
・・・
二人または三人が主の名によって集まるところには、神様もその中におられます。(マタイ18:20)
聖霊様の導きに感謝です。

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