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マタイ 27章 28章 ~ちょびっと聖書  a little Bible

9/11(土)
 秋ですね。今日の札幌もいい天気です。聖書の通読箇所からは、ポンテオピラトの評決、十字架までの道、十字架につけられた時、そして復活した後の様子が描かれています。驚いたのは、2つの地震があり、ありえないことがこのエルサレムで起こっていたことです。

マタイ 27章 28章
<気づき>
・ピラトの評決には様々な力が働いています。不利な証言があっても口を開かないイエス、群衆の妬み、妻が見た夢、そして群衆を裏で先導していた祭司長たちや長老たち。真の救い主を裏切った裏の首謀者が祭司長や長老たちというところに、恐ろしさを感じます。世の中的には神様のことを群衆に伝える側の人が、真の救い主を拒絶しているのです。社会的なスタイルが命につながるとは言えないということかと思います。事実、救い主の血の責任は群衆とその子孫にあるのです。27:19
・キリスト者が日本の社会で信仰を公に表しにくいのは、十字架につけれらているキリストに向けられた言葉と同じ思いを、人々が持っているからだと思いました。「他人を救ったのに、自分を救えない」「十字架から降りたら信じてやろう」「神の御心なら、今すぐ救ってもらえ」・・・。もし、そういわれたら、キリストに対して人々が言っていた言葉と同じであることを伝えればよいのだと気づかされました。27: 42
・山に集まること、山で出会うことは、何か意味があるのだと思います。この世のことから離れ、新しく何かを始める時、山に集まる、山で出会うことからスタートします。モーセが神様から十戒を授かった時、イエス様が受難を神様から受け取った時、そして復活したイエス様が弟子たちに福音を宣べ伝え弟子をつくるように指示した時が、山である。28:16

<なぜ>
・銀貨30枚でイエスの命が奪われたのか?銀貨30枚には何か意味があるのか?

<祈り>
 あらためて、イエスキリストの十字架刑の評決、そして十字架につけられるまでに人々から浴びせられた罵倒、裏で糸を引いていた祭司たちや長老たちの姿を見たときに、人間の姿の恐ろしさ、社会的地位の衣を着ていながら、心の中は自分のことしか考えていない状態であることを思いました。正しい者はいない、一人もいない・・・というのが人間の社会です。その中に、自ら飛び込み、命をもって罪の償いをしてくださったイエス様に心から感謝します。
 また、復活したイエス様があらかじめ集合する場所として、山で弟子たちに会い、その後のミッションを与えていることをみつけ感謝します。私たちは、行って弟子をつくること、洗礼を授けること、キリストの教えを守るように教えることというミッションが与えられていることを感謝します。ミッションを実行できるように導いてください。
 本日、ちょびっと聖書をご覧になった方に、神様の祝福がありますように。

~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/
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