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八百屋の黒板の物語「strawberry 」

 こうやって休み時間に外出するのもあと何回あるのだろうか。翔平はひとり予備校の校舎から街に出る。雪が滅多に降らない南国とはいえ、2月初旬の風は冷たくて、翔平はダウンコートのファスナーを上まで閉めた。

 彼の通う予備校には、外から通ってくる現役生もいれば、翔平のような寮生もいる。予備校に併設する100人を超える寮生が過ごす男子寮には、バストイレ付きの個室があり、冷蔵庫もついている。もちろんテレビはない。

 日が暮れるのが遅くなってきた。翔平は寒さで早足になり、夜の間食を補充するため、線路を越えたところにあるスーパーへ急いだ。

 共通試験を終えたら、次は私立の入試期間が始まる。わかってたはずなのに、寮内は少しピリピリしている。そして今日、国公立の二次の倍率が出た。
 翔平の志望校の倍率はだいたい予想の範囲内だった。だけど、すぐそこに試験本番の日程があるという現実がのしかかってきて、憂鬱な気分になる。

 浮き立つ仲間の輪を離れたいというのも、この外出の理由なのかもしれない。

 人通り少ない裏道を進むと、まるもり商店が見えてきた。ここはよくある昔ながらの八百屋さんで、目的地のスーパーではない。ただ、週に一度のペースで描き変えられる店頭の黒板が変わっていて、寮生たちの気分転換に役立っていた。

 黒板の絵はいくつかの写実的ないちごがリング状に重なり合っていて、白とピンクの文字で『strawberry』と添えて書いてある。文字の色で翔平は下界ではバレンタインが近づいていることに気づいた。

 ため息をつきながら上手に描けている絵に足を止めて見入っていると、
「誰かチョコでも貰えるあてでもあんのか?」
 と、横から同じ寮生の菅井が茶化してきた。
 菅井は翔平と同じ女性アイドルのファンで、セクシー女優にも詳しい。
「ある訳ないだろ」
 そう言って翔平はまた歩き出した。
「受験は団体競技だぞぉ」
 追いかける菅井が寮長のモノマネをするけど、翔平にとってはすでに聞き飽きたネタである。

「うちの母親の従兄弟がさ」
 と、翔平が歩きながら話始めた。
「佐賀でいちご農家してるんだよ。で、春休みとか母親の実家に帰省すると大量に貰えるんだ、形の悪いやつ」
「羨ましいなぁ」
 菅井が大袈裟に言う。
「でも、量が量だから食べきれないんだ。だから何日かしたあと、ジャム作りが始まるわけ」
 翔平はキッチンから溢れる甘い匂いを思い出した。
「いちごとグラニュー糖とレモン汁だけを煮詰めた自家製いちごジャム」
「レモン汁ってなんだよ」
 菅井が口を挟んできた。
「レモン汁を一緒に煮ると固まるんだよ。ペクチンっていうヤツ」

 日が暮れてきた街を並んで歩く。

「なぁ、次作ったら送ってくれよ」
 菅井が厚かましくお願いしてきた。
「ちょっと待て、おまえ志望校変えたのか?」
 翔平と菅井の志望校は、学部は違えど同じはずなのに、送れなどと言う菅井に翔平はすぐに聞き返した。
「いや、変えてない。受験は団体競技だけど、試験は個人競技だからな。何があるかわからないぞ」
 お互いニヤけている。

「わかった、わざわざ送るのももったいないから、夏の野外ライブで渡すわ。それまで、ちゃんと冷凍しておくから安心しろ」
 参戦の約束をした野外コンサートの話を出す。

「バカ、7月とか、腐るじゃねぇか」
 大声で菅井がそう言って、二人で笑った。

 高架を走る列車の窓の灯りが通り過ぎていく。

 こうやって休み時間に外出するのもあと何回あるのだろうか。


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