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宗像大社が「裏伊勢」と言われている理由

福岡県宗像市に鎮座する神社「宗像大社」。
この神社が伊勢神宮と深く関わりがあり「裏伊勢」と言われてるのをご存知でしょうか?
今回から数度に分けてその理由を個人的に考察したものを書いて行きたいとおもいます。
駄文になるかと思いますが、ご了承ください。

先ずは伊勢神宮と宗像大社の御祭神について書いていきます。

もう皆様ご承知の通り、伊勢神宮の御祭神は「大日孁貴(天照大神)」。
そして宗像大社の御祭神は「宗像三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫命)」。

この天照大神と宗像三女神の関係はご存知の方も多いと思われますが、天照大神と素戔嗚尊が誓約を交わした折に素戔嗚尊の「十拳の剣」を噛み砕いた時に産まれた3人の女神が「宗像三女神」です。

その三女神は天照大神の神勅により宗像の守神として降臨しました。
そして、この三女神に付けられた別名が「道主貴(みちぬしのむち)」。
この「貴」と言う位が付く神様は天照大神の「大日孁貴(おおひるめのむち)」と出雲大社の大国主命こと「大己貴命(おおなむち)」しか与えられてないのです。
この事から如何に宗像三女神が位の高い神様だと言う事が分かります。

そして、宗像大社の沖津宮は男性の神官のみ上陸が許されており、その沖津宮からは約8万点とも言われる祭祀に使われた物が出土しています。
その出土品は伊勢神宮の祭祀に使われた物と酷似した物が見つかってる点からも「裏伊勢」と呼ばれてる所以かもしれません。

更には本土にある宗像大社「辺津宮」にある「第二宮」と「第三宮」。
こちらには、長女である「田心姫神」と次女である「湍津姫神」が分祀されてます。

第二宮(御祭神 田心姫神)
第三宮(御祭神 湍津姫神)


実はこの建物にとても面白い事実があるのです。
それが…

この建物は元々伊勢神宮の別宮であった「伊佐奈岐宮」と「伊佐奈弥宮」であったと言うことなのです。
この建物は1973年(昭和48年)の第60回の式年遷宮の折に特別に移築され再建されたものとも言われています。
しかし、何故に伊弉諾尊、伊弉冉尊のお社をこの地に持ってきたのでしょうか?

関係性としては

伊弉諾、伊弉冉と天照大神は親子。
そして、宗像三女神は天照大神が産んだ御子神。
即ち、伊弉諾、伊弉冉から見て、宗像三女神は孫に当たる訳なので、それも1つの理由かもしれません。

もしかするともっと深い理由があるのかもしれません。

今回はこれにて…

乱筆乱文ご容赦くださいませ。
ありがとうございました。

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