#26 京都大学を中退した医学部生が世界一周してみた
登山と亡き人ーマレーシア①
3月4日の昼ごろ、ぼくと朋也の二人は、急いで荷物の整理と宿のチェックアウトを行っていた。
昨晩はついつい夜更かしをしてしまい、起きるのが遅れてしまったのだ。
12時頃、なんとも味気のない明日香との別れを終えた後、トゥクトゥクに、二人分の大きな荷物を押し込んだ。
まず最初の行き先は、国鉄ファランポーン駅だった。そこから14時45分発、バターワース行きの寝台列車に乗り込んだ。
朋也との純粋な二人旅が始まった。
バンコクにいるときのぼくたちは、比較的に饒舌だったように思える。
きっとお互いに気を遣っていて、沈黙を嫌っていたのだろう。
しかし、列車に乗り込んでからは以前と少し様子が違った。
ぼくたちは静かな車内で向き合って座っていたが、お互いに無言だった。
寝台列車といっても、出発してから日が暮れるまでは、日本の特急列車でもよくあるような対面座席の車内である。
日が暮れると車掌が座席を器用にベッドへと組み立ててくれ、一人につき一つのベッドが割り当てられるようになっている。
―一緒に登山へ行くとなれば、もう気を遣っている場合でもないな
きっと朋也もそう感じていたことだろう。
話すことがあればその時に話せばいいというような、どこか憮然とした顔付きで二人は座っていた。
19時ごろだっただろうか、座席がベッドに変わってからは、特に何を考えるでもなく寝転がっていたが、どうやら寝てしまっていたようだった。
夜中3時
電車の動きに合わせて揺れるカーテンの隙間から蛍光灯の光が差し込んできて眩しい。
盗難防止のために枕の下に差し込んだ貴重品類が、やけに後頭部を押し上げているように感じる。
それは不安の表れだろうか。
いやそうでもないように思う。
自分の過去や旅に出た理由ということについて、洗いざらい打ち明けることができたのは、とても爽快なことだった。
以前まで心の中にあったのは、正体が掴みきれないただ仄暗いだけの物体だったが、今となってそれは輪郭を詳らかにされ、明確な問題意識として存在していた。
大きな親不孝を犯したことは事実だが、それはどうしようも取り返しのつかない過去というよりは、今後なんとか少しずつでも挽回できるものなのではないか、という楽観的な考えを抱く自分の姿があった。
後頭部を押し上げる財布が、ぼくの中の何を代弁しているのだろう、と考えているうちに再度眠っていたようだった。
次に目を開けたとき、すでに蛍光灯由来の人工的な明るさは消え、温かい太陽の光が車内を満たしていた。
まもなく国境の駅に着くと、そのホーム上に税関や検問などが存在し、それを通過してマレーシアに入国した。そこからさらに別の電車の乗り継ぐ。
相変わらずあまり会話のないまま国境を超え、やがて目的地バターワースに着いたところで列車を降りた。
マレーシアの通貨「リンギット」を全く持っていなかったぼくたちは、そこでATMを探す必要があったが、それが思うように見つからず、気付くとなぜか二人は笑っていた。
一日ぶりの笑い声だったように思える。
続く
第1話はこちら
https://note.mu/yamaikun/n/n8157184c5dc1
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