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so sad so happy

 
  SUMMER SONIC 2024に行って、星野源を見てきた。月末に30歳になるのだが、いわゆるフェスというものに参加するのは初めてである。フェスといえば、なんだか「陽キャ」のもの、というイメージがあるし、暑いし、なんか体力的にもきつそうだし、ということで食わず嫌いをしていた。そんな自分がサマソニに参加することに決めたのは、ひとえに「生で星野源を見たい」ということに尽きる。
 今年の5月に、本当に唐突に星野源の音楽を聴き始めた。もちろん星野源じたいはずっと前から知っていた。「恋」とか「SUN」は聴いたことがあった。エッセイは過去に1冊だけ読んでいた。読んだエッセイは「よみがえる変態」で、星野源がくも膜下出血で闘病していたことはこの文章で初めて知った。エッセイを読むまでは、新垣結衣とのドラマですごい流行った人だよな~といううっすい認識しかなかったが、エッセイを読んで創作並々ならぬ情熱を持っていて、それでいてどことなく厭世的なところのある人なんだな、と知った。とは言え、それだけだったのだ。
 星野源にどはまりしたのは、今年の5月のことだった。経緯を記載するとすこし長い。5月のとある暇な土曜日、散歩ついでに立ち寄った隣駅の本屋でなんの気なしに手にとった漫画「カラオケ行こ!」を読み、あまりの面白さにちょうど映画がやっていたことを思い出して、翌日すぐ配信で見た。見たいものがすぐ見れる、なんて便利な世の中なんだと思う。そこで、ヤクザの狂児演じる綾野剛に心臓を射抜かれ、その勢いで綾野剛の過去作品を見漁っていた。綾野剛のことももちろん認識していたけど、こんなに表情と声で魅せる人だとは知らなかった。綾野剛についてのあれこれを記載すると長くなるので割愛するが、その過去作品の中にTBSのドラマ「MIU404」があった。ざっくり書くと綾野剛と星野源がバディの刑事ドラマである。MIU404について語ろうとするとこれも終わらないのだけど、このドラマにも魂を持っていかれた。全11話をあっという間に見て、DC版Blu-rayやらメモリアルブックやらシナリオブックやらをそろえるまであっという間だった。ちなみにこの間で綾野剛と星野源両方のファンクラブに入会している。ちょうど出張が立て込んでいる時期だったのだが、仕事を終えて出張先のビジネスホテルで夜な夜なMIU404を観ては泣いたり笑ったりしていた。おかげで、そこそこきつい出張続きの日々だったはずなのに、なんとなく良い記憶になっている。感謝。
 で、星野源の楽曲である。MIU404の中では理性的で社交的(と言いながらゴミ箱蹴ったり車をオシャカにしたりする)志摩という刑事を演じている。そのキャラクターに惹かれた流れで、星野源の曲を聴き始めた。前述のとおり、私の星野源はキャッチーでポップで明るくて、それでもってちょっと歌詞の言葉のチョイスが独特だな、くらいの認識だった。だが、いくつか曲を追う中で「地獄でなぜ悪い」を聴いて一気に認識が変わった。

無駄だ ここは元から 楽しい地獄だ
生まれ落ちた時から 出口はないんだ

星野源 地獄でなぜ悪い 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)

 曲調じたいは底抜けに明るくてピアノが派手でカチャカチャにぎやかなのに、なんて歌詞だと思った。地獄であることは前提なのかよ、この人はどんな人生観で生きているんだ、と。その感情は決してマイナスではなく、むしろすとんと心に落ちた。そもそもが地獄なら、苦しいのは当たり前なのだ。今自分自身が苦境に陥っているわけではないし、どちらかというと気楽かつ安穏に過ごしているが、それでもきっついなーと思う瞬間がないわけではない。だが、元から地獄ならそれは当然である。その中で、まあどうにかこうにかだましだまし生活を続けていくのだ。なんとなく、自分は当面このフレーズを頭のどこかに鳴らしながら生きていくんだろうな、という予感がある。
 それからというもの、星野源を聴く際には歌詞もじっくり見るようになった。星野源は声がよい。丸くて、なめらかで、質量のある声質だと思う。だから声を聴いているだけで心地よい。また、グルーブ感のあるリズムやジャジーなフレーズ、そして多くの曲で管楽器が使われていて、音じたいが気持ちよい。なのでぼんやり音に浸っているだけでもかなりよいのだけれど、穏やかな曲調やMajorキーの旋律のうえに、ぞっとするような言葉がのっていることがたびたびあった。そのたびに、星野源の頭の中にある世界を想像することになった。
 星野源の楽曲をいろいろ聴く中で、特に好きになった曲がいくつかある。歌詞部門だと、「地獄でなぜ悪い」「くだらないの中に」で、音部門(というのも変だが、歌詞と対比させて)だと「Week End」「Pop Virus」「Ain't Nobody Know」である。どちらかに分類するのが難しいのは「フィルム」「ある車掌」「口づけ」「夜」らへんか。最近の、管楽器やリズム隊が重厚な曲もよいが、昔のアコースティックな曲もよい。アルバムでいうと、スピード感と華やかさが際立つのが「Pop Virus」、スローな曲からアップテンポな曲までとにかく踊れるのが「YELLOW DANCER」、雨の日や夜にずっと聴いていたいのが「Stranger」だと思う。アルバムには、曲1曲の魅力とは独立して、アルバムを通して聴いたときのストーリー性に身体を任せる心地よさがある。
 本当に便利な世の中で、サブスクリプションを活用すれば多くの楽曲を一気に聴くことができる。星野源の楽曲は全曲Youtube MusicにもSpotifyにも入っているし、過去のドームツアー「Pop Virus」のライブ映像はNetflixで見ることができる(ちなみにこのライブはあまりにクオリティが高すぎて2時間半があっという間だった)。そのため、私の1日が星野源で埋まるのにそう時間はかからなかった。朝の身支度をしているときに洗面台で聴き、外を歩くときはイヤホンをしない主義だったのをあっさり変えて通勤時に聴き、ジムで筋トレしながら聴き、風呂でスピーカーから流して聴き、寝る前に聴いた。もともとのめりこむと激しい質ではあるが、それにしても過剰である。あと、当然のように毎週火曜深夜の「星野源のオールナイトニッポン」も聴き始めた。1:00~3:00という時間帯は、健全な社会人がリアタイするにはつらいので、翌日聴いている。毎週水曜はラジオの日である。
 さて、冒頭のSUMMER SONIC 2024である。フェス初心者なのでいろいろググったり、フェスによく参加している友人たちにあれこれ聴いて、装備をそろえた。リュックやバケハやペットボトルホルダーは実家から借り、飲み物を凍らせて、熱中症対策グッズをそろえた。「ふくらはぎの後ろに日焼け止めを塗り忘れるとやばい」という、経験者からしか聞けないかつググっても出てこない貴重な情報をもらい、全身に日焼け止めを塗った。普段は家から駅までの数分の道でさえも日傘が手放せないのに、星野源が出るマリンスタジアムは炎天下だ。スタンドは日傘が使えるし椅子もあって快適そうだったが、せっかくならアリーナで、なるべく近くで見たい。そうそう、通販で星野源のTシャツも購入しておいた。楽しいな。
 星野源の出番は1日目の17:40なので、そこにだけ注力すればそんなにきつくはないのだが、その日の夜23:00から翌朝4:30(!)まで星野源がキュレーションしたオールナイトイベント「so sad so happy 真夜中」がある。もちろんそれも見たい。星野源が歌うわけではないのだけど、星野源が集めたミュージシャンたちの演奏は聴いてみたい。というわけで、炎天下での初フェス参加かつオールナイトというなかなかに過酷な計画であったが、最近は体力もそれなりにあるし、まあいけるだろうという気持ちで向かった。
 当日、あまりの日差しと気温におののきながら、飛んだり跳ねたりできるギリギリの重装備を身につけた自分と夫は、どう見てもフェス参加者というより登山客だった。有楽町線と京葉線を乗り継いで海浜幕張へ。京葉線はイベントや展示会でしか乗らないよなあと思う。星野源の前のバンドからアリーナに入った。終わった瞬間前に進んだら、満員電車もかくやという人口密度だった。時間帯のおかげで日差しこそましだったものの、暑いし周りの人の匂いでなかなか圧迫感がある。快適とは言い難いが、それでもステージ右側の前から30人目くらいのところには入れたので、結構近い。
 生で星野源を見て真っ先に出た感想は「本当に存在している、、、」だった。大きな口をあけて笑っていて、花道を走ったりジャンプしたりしていて、最初から最後までずっと楽しさが爆発していた。曲の最後にいちいち決めポーズをするのがお茶目だったし、音が消えるとていねいすぎるくらいに深いお辞儀をするのが印象的だった。フェスだから有名どころかつのりやすい曲が多いのだが、その中でもライブではやったことがない曲が混ざったりしていてびっくりした。前半で「Pop Virus」「喜劇」「Ain't Nobody Know」を3曲続けて演奏していたのだが、テンポ感が近いかつスローめな曲を連続させておいて一切ダレさせないのは、曲とパフォーマンスのクオリティが高いからなんだろうなと思った。私は「Ain't Nobody Know」が本当に好きなので、イントロが始まった瞬間に息が詰まった。星野源がポケットに左手を入れたまま歌っていた姿を忘れないと思う。暑さと人混みで若干くらくらしながら音を浴びて、ああこれを見るたびに来たんだと思った。マリンスタジアムの上には、西日ですこし黄色みがかった晴天が広がっていて、スタンドの上に白い月が見えた。今年見たどんな景色よりも夏を感じた。
 人混みの一部になってゆっくりアリーナを出て、汗の量におののきながらしばらく休憩し、すっかり真っ暗になったスタジアムに戻ってMåneskinを見た。ほぼ初見のバンドだったが、音の大きさと迫力に内臓がびっくりしているのがわかった。ギターってこんな音出るんだなあ、、、と思った。スタンドの一番上から見下ろすスタジアムは暗くて広くて夜の海みたいで、その中で響く爆音とギラギラの照明に五感を奪われた。帰り道にMåneskinの曲を聴きながら帰ったら、あの内臓に響くドラムとベースがまたほしくなってしまった。また日本に来たら聴きに行ってしまうだろうなと思った。
 BEACH STAGEのPUNPEEで踊りつつ目の前で上がった花火を堪能し、幕張メッセへ移動する。スタジアムと違って涼しいし、自販機は多いし、ロッカーもあるしでどえらい快適に感じた。23:00からのso sad so happy 真夜中は、メッセ内のSONIC STAGEで開催される。ステージに出てきた星野源は、昼間よりもリラックスしているようで、にこにこしながらしゃべっていた。何をしていてもいいです、好きに過ごしてください、と言っていた。最初の星野源のDJタイムと石若駿バンドまでは前で立って見ていたけれど、立ちっぱなしでだんだん腰が痛くなってきたので、ステージの隣の飲食ブースでだらだらしては戻って、を繰り返した。音楽が鳴り続ける中、前で立って踊っている人、後ろで飲み物片手に座ってくつろぐ人、はじっこで横になる人、各々が好き勝手に過ごす空間は、びっくりするくらい穏やかだった。深夜2時すぎくらいに眠気のピークが来たので、フロアに背中を預けてメッセのくらい天井を見つめながらゲストDJの回す音楽を聴いていた。メッセの床は固いしちょっと冷たい(そして土足エリアなのできれいではない)けれど、あまり気にならなかった。音だけが空間を端から端まで満たしていて、その中に浸かっている気分だった。
 3時からRobert Glasperのステージが始まった。相変わらずステージの後ろで微睡みながら聴いていたら、途中で突然星野源がステージに出てきて、Glasperの隣に立つ。マイク持ってるじゃん、と気づいたときにはPop Virusの最初のフレーズが始まっていた。一瞬で目が覚め飛び上がり、ステージの前に走った。Glasperのグルービーなピアノの上で歌われるPop Virus、最後はGlasperも歌い始め、ステージ全体の合唱になった。なんと、リハなしぶっつけの演奏だったらしい。とんでもないものを見てしまった。
 Glasperのステージがおわり、星野源がエンディングMCをするころには5時前になっていた。さすがに疲れてゾンビのようになっていたけれど、幸い曇っていたおかげで砂にならずに済んだ(それは吸血鬼かもしれないけど)。当然のように混雑していた京葉線の中でMåneskinを流し、有楽町線はほぼ寝て最寄り駅についた。汗みずくの服やタオルを洗濯機に突っ込んで、自分自身も風呂でじゃぶじゃぶにしてから布団に入った。スタジアムにいたときは一刻も早くシャワーを浴びたかったし、メッセでは眠かったけれど、いざ家につくとアリーナの日差しや湿度だったり、SONIC STAGEの床の固さであったり、そこに満ちていた音たちが恋しいのだった。きっと来年も、状況が許せば足を運んでしまうのだろうと思う。ドラムもベースも、ギターもピアノも声も、身体の奥に浸み込んでずっと奥の方で鳴りつづけている。


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