藤井先生

※深夜に書きました。気持ち悪いです。なるべく夜に読んでください。


王座戦二次予選で藤井猛先生と対局が決まりました。
B2以上の先生とは数えるほどしか対局していないですし、持ち時間5時間以上の棋戦では初めての事です。そしてその相手が藤井先生。
と考えると、物凄く運がいいですね。デビューから1年半になろうとしていますが、思ったより早かった。
率直に言って、「持ってる」と思います。あはは。
かなり嬉しいんですよね。噛み殺しています。
色んな所でチラホラお話させていただいてるんですが、この機会にnoteを書いてみたいと思います。

僕は小学生の頃、将棋世界を隅から隅まで読む将棋少年だった。
勉強しなさいと買ってもらった将棋年鑑も、棋譜はあまり並べずに後ろの棋士プロフィールから読んだ。
周りのライバルに比べて勉強熱心では無かったけれど、棋士の先生方のエピソードには一番詳しかったと思う。それくらいプロ棋士が好きだった。
あの頃、誌面で活躍するトップ棋士の先生方は1人もれなく憧れだったし、藤井先生もその1人だった。

すくすく育って、中学生に。中学生時代を奨励会員として過ごす事になって、棋士の先生方と直接、接するようになった。
ハッキリ言ってしまうと、対局室のプロ棋士は生身の人間過ぎる。
畏敬の念こそ抱いていたと思うが、僕にとってプロ棋士はヒーローではなくなっていって、倒さなければいけない存在になった。
棋譜を見るときも、ただ感動していた時と違って、なんでこんな手を指すんだ?もっと早い寄せがあるのに。みたいな事を思うようになった。中学生の奨励会員というのはこの世の中でも上位に入る生意気な生き物だと思う。

そして、中学生3年生の時に1級から2級に降級した。初めての挫折だったと思う。愕然とした。もう色々あらゆる全てが終わりに見えた。
将棋仲間だけでなく、学校でも軽い扱いを受けるようになって、どんどん卑屈になっていった。
あの頃は棋士の先生とすれ違っても挨拶もしていなかったと思う。
記録の時も、注意されることが増えた。真っ当な指摘でも、内心物凄く反抗していた。プロ棋士に対して、尊敬の対象だったのが、権威の象徴のような感じ方もするようになっていた。


2012年、僕は高校一年生になってもなお1級に戻れずにもがいていた。
というか、もがくのをやめるようになっていた。奨励会の将棋が苦痛だったし、将棋自体がつまらなくなりそうだった。そして、殆ど将棋の勉強をやめた。ただ不思議な事に、辛うじてモバイル中継は毎日見ていた。心が荒んでも、トップ棋士達の棋譜はやはり輝いて見えた。ただ自分はもうこの人たちにはなれないな、とも思うようになった。

そんな中、中継に奇妙な戦型が増えた。76歩、34歩、26歩、42飛、68玉、88角成。…!?!
88角成とはなんだ。しかもその後、千日手狙いに出るわけでもなく、後手番で一手損してるのに、積極的に揺さぶる。攻める。鮮やかに捌く。
そして戦いが進むとなぜか、居飛車陣は粉々になっていた。不思議でしょうがなかったし、終盤の絶妙手、とかではなく棋譜全体のストーリーで感動したのは久しぶり、いや、初めてに近い感覚だった。

この戦型が増えたといっても指している棋士は1人しかいなかった。そう、藤井先生である。増えたように感じたのは藤井先生がたくさん勝っていたからだ。小学生の頃、バリバリのA級棋士だった藤井先生はその年、B級2組で戦っていた。ただ、あの頃以上にメチャクチャカッコよく見えた。それは凄く久しぶりの感覚だった。アツかった。ヒーロー現る。そこから、藤井先生の将棋が中継されるのが楽しみで仕方なくなった。

藤井先生の棋譜を並べるようになり、新戦法は最初から上手くいっていた訳ではなく、前年度の痛い負けから昇華させて快勝譜に繋がっていることが分かった。
奨励会には、終盤の切れ味が抜群な天才達がいて、序盤の構想を重視する棋風になっていた自分は逆転負けを多く重ねていた。


道を間違えたかな、と思っていた。いくら新手が好き、振り飛車が好き、三間飛車が好き、でも、矢倉を勉強すべきだったな、変な研究よりもっと詰め将棋をやるべきだったな。好きな勉強より勝つ勉強をすべきだった。甘かった。そう思っていた。

ここから、失礼で不遜な表現になってしまうが、
順位戦を降級した後に快進撃を続ける藤井先生を見たとき、もしかして、と思った。
今の自分でも、この人みたいになれる可能性はあるのではないか?羽生先生みたいになれる可能性はもうゼロだと思ったけれど、藤井先生みたいになれる可能性はゼロではないのではないか?そして同年代のライバル達の中でも藤井先生みたいになれる可能性があるのは自分しか居ないのではないか?
藤井先生というのは、将棋界オンリーワンの存在である。おこがましいのは百も承知だ。
ただ、近藤誠也より自分の方が藤井先生に近いと思ったし、佐々木大地よりも自分の方が藤井先生に近いと思った。同年代の誰よりも。

それから、ひたすら序盤の研究をするようになった。最初は角交換振り飛車を真似ていたが、全く指しこなせなかった。難し過ぎた。
ただ、それまでとは違う熱量と確信を持って三間飛車の研究をするようになった。これが上手くいった。確固たる「勝ちパターン」を手にして将棋が楽しくなった。そしてようやく1級に復帰した。
そこからも二段、三段で苦戦はしたが、将棋自体がつまらなくなった事は一度もない。

王位戦の挑戦者決定戦、藤井猛ー渡辺明という将棋があるのだが、是非並べて頂きたい。振り飛車党であの将棋を知らない人なんているんでしょうか?

あの将棋は間違いなく、人生で一番の熱狂をしながら観戦した。華の高校生1年生?だったけれど、モバイル中継の81マスに熱狂した。

…だから、僕は棋譜で人を感動させられるということを知っている。
そして今では藤井先生だけでなく、全ての将棋指しを尊敬の眼差しで見れる。多分、藤井先生のお陰である。
棋士になれたのも、ある意味藤井先生のお陰もあるのだ。

だから、今回5時間の棋戦でじっくり対局出来るというのは凄いことなのだ。こんなに熱い気持ちを持っていたら、今から色々心配だ。変なハプニングを起こさないかな。コロナウイルスにだけはかかっちゃいけない。どのタイミングで髪を切ろうか。スーツはどうしよう。アトピーがなるべく良くなった状態で指したいな。果たして良い将棋を指せるかな…

冷静になろう。ヨーグルトでも食べて。
一番大事なのは、結果、次に内容だ。
作戦を練ることがまず一番で、こんな恥ずかしい文章を書いている場合ではないのだ。
あと、王座戦の二次予選というのは今の自分にとっては大きなチャンス。相手関係なく勝たなければいけない。

うーん、しかし…

あの頃の自分に言ってあげたい。
「ざっと8年近くかかるけど、藤井先生と公式戦で指せるよ。」と。

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