棋は対話なり

「棋は対話なり」とはよく言ったもので、1局の将棋というのは、相手の人とのコミュニケーションという側面もあると思う。
例えば初手合いの人。それまで全く話した事がなければ、将棋を指した後は会話が弾むと思うし、よく話すけれど将棋は指した事ないな。という人と指せば、その人の新たな一面を知れると思う。
そうして何度か指すようになれば、その人との仲も自然に縮まっていくような気がする。それは目に見えないものだし、不思議な種類の距離感だ。三段リーグを共に戦った関西の人と、全然話した事ないのになぜか妙な親近感が湧いたりする。のはそういう事かなと思っている。


この世界にいれば、昔から数え切れないほど指しているけれどその人の事あまり知らない、という事はよくある。しかし中には稀に、盤上以外でも一緒に遊んだり、お互いの事を語り合ったりする人が出てくる。そういう人は貴重で、少ない。大事にしたい。
二重に繋がりがある訳で、それが他の世界にはなかなかない関係性だと思うし、ファンの方から見て面白いのかな?と思ったりする。
ん?誠也? 誰だそいつは?

少しいい話になってしまった。ここからは具体的で、くだらない話をしたい。


江戸時代以来400年を超える歴史の中で、近代の将棋というのは初手▲76歩か▲26歩で始まってきた。長い歴史が私に語りかける。まずは「おはようございます」から始めようね。と
そんな中、私はここ5年近く、初手は▲78飛=「三間飛車の山本と申します。どうかよろしくお願いします!」という挨拶からスタートしているのである。
これは冷静に考えればかなり照れる行為で、私も最初のうちは抵抗があった。指し始めた時は新手ではなくとも珍しい指し方だったので、相手の人が心なしかニコニコしている事が多かった。
最近ではすっかり慣れて、堂々として来た。どういう手つきで指そうか毎回悩んじゃうくらいである。

そして駒組みが進み、仕掛け付近。私の一番自信のある所である。毎局毎局、ドヤ顔で、いわばプレゼンに近い事をしている。


「今日は練りに練った究極の一品です。緻密な構想から繰り出される鮮やかな捌き、どうぞご体感下さい。」
「この手は昨日思い付いたのですが、どうですか!この閃き。面白い手ですよね、そうですよね?」


相手の方は大体「はいはい。笑」符号でいうと△同歩、△同歩という感じだろうか。

終盤になると、情けない手を指してしまうこともある。「あの… この辺りで僕の会心譜ってことにしてもらっちゃダメですかね…?」
深夜の秒読みになんか入ると悲惨だ。
「ひゃー何にもわかんない、許してー。」「もう疲れたー勘弁してー。」
この辺り、棋風がマッスルな先生方、例えば佐藤康光先生なんか一手一手、ただ一言「ふんっ!」「ぬんっ!」という感じで男らしく戦われているイメージである。見習いたい。
私も最近は「ちょっと悪いけど、最後は俺が勝つ。」「美濃囲い美濃囲い。」みたいに戦えることも増えてきた。これからもっと鍛えていきたい。

最近になって感じるのは、初手に自己紹介まがいの一手から入るのは、少し照れるけれど。
ファンの方に自分の棋風をすぐ知って頂けたり、先輩棋士に将棋を教わる時も、感想戦も含めて自分の研究や読み筋をぶつけることで「ああ、山本くんはこういう人なのね。」と受け入れてもらいやすかったり、良いこともあるな。と感じている。


中盤から終盤にかけてさらに強くなって、将棋に奥行きが出ればもっといいのかな、魅力的になれるのではないかなと思っている。例えば藤井聡太さんとかはきっと、将棋にものすごく奥行きがあって、棋風も、話せば話すほど魅力的、みたいな所があるのではないかなと思う。

私もそうなれるよう、精進あるのみだ。

みなさんもぜひ将棋を通じて対話を楽しんで下さいね!
推し棋士との指導対局なんて、そう考えたら凄いことですね。レッツゴー将棋イベント、将棋教室です。

山本博志



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