見出し画像

【第61回】アクセス権~私人間効力 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

アクセス権

「送り手」と「受け手」の乖離の問題から、「知る権利」に関する憲法問題について検討してきました。

ことの発端は、巨大メディアの出現でしたから、「知る権利」の主張もメディアに対して向けられることになりました。アクセス権の主張です。

「アクセス権」といった場合、法的な概念としては広狭さまざまな内容を含んでいるのですが、広い意味では、メディアがある見解を伝えたとき、それと異なる意見を持つ人・団体が、自分たちの見解を伝えるように要求する権利を指します。

このシリーズの最初に、公法と私法という話をしました。憲法は、国家と個人、国家と私人の間を規律する公法に属しますから、メディアに対して個人が「知る権利」を主張する、ということになると、憲法が典型的に予定している、「国家権力からの侵害に対して個人を防御する」という局面ではなくなります。いわゆる私人間効力・第三者効力の問題です。

どういう問題か

自分は生まれ、育ちが東京なのですが、地方出身の方が同郷、しかも町村単位で同じだったりしたときの盛り上がりというのはすごいなぁ、と思うことがあります。テンションの上がり方、すごいですよね。

そんなわけで、たとえば、秋田出身のきりたんぽ屋のおやじが、お客さんが
同郷であることに狂喜乱舞してお銚子を一本サービスしたとして、それ以外の客が、法の下の平等に反するみたいなことを言って訴えることはないはずです。いくらなんでも、それは野暮だといわれるでしょう。

ところが、たとえばある大企業が、「キリスト教徒は採用しない」とか、「支持政党いかんによっては採用しない」というようなことをした場合はどうでしょうか。文句を言う方が野暮だ、とは言えないように思われます。

憲法の規定には、私人間にも規定されることが予定されているものもあります。たとえば、第15条第4項は、「私的にも」責任を問われないのだとしていますから、当然に私人間のことを規定したものといえますし、労働基本権の保障についても、会社と労働者の間に関することですから、私人間について、憲法が適用されることを想定しています。

第15条第4項 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に際し公的にも私的にも責任を問はれない。
第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉をする権利は、これを保障する。

日本国憲法

私人間効力(第三者効力)

問題は、このように私人間に適用することが当然に想定されているとは言えない問題をどのように考えるかです。実は、憲法学の難問の一つで、現在多くの学説が提起されています。

最高裁は、三菱樹脂事件判決で、憲法第3章の自由権的基本権は「国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律するものではない」としました(最大判昭48.12.12)。私人間の自由と平等が相互に対立する場合の調整は、「原則として私的自治に委ねられ」るというのです。

そのうえで、「私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、……場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって」「基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る」こともできるのだ、としました。

民法の一般条項

最高裁がいう民法の第1条や第90条は、一般条項といわれるものです。これは、法律効果を発生させるための要件について、具体的に定めるのではなく、法の理念を一般的・抽象的に規定したものです。

第1条第1項 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
第2項 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
第3項 権利の濫用は、これを許さない。
第90条 公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。

民法

そもそも、夜警国家から、福祉国家、社会国家へ転換していますから、私人間の問題であったとしても、「人権上問題がある」と考えられるような類型については、法律で禁止したり、規制したりしているケースも少なくありません。そのような具体的な法律がない場合に、いわば最後の砦となるのが一般条項ということになります。

法律のテクニックとしては、その通りなのですが、憲法学者がこの論法に満足するはずがないですよね。憲法学者というのは、ある法律による人権制限が合憲である、という結論に対して、「なぜ」と問うたところ、「公共の福祉による制限だから」と答えられて納得できないからこそ、素人からは面倒くさがられるような法律の理屈を構成したり、外国の判例を引っ張ってきて、○○の法理などと論じて、結論に対してできるだけ客観性をもたせよう、より納得性のある物差しを提示しようとする生き物です。この人たちが、人権の私人間効力の問題に対して、「公共の福祉に反するから」とか、「そりゃ、権利の濫用でしょ」とか、「信義誠実の原則(信義則)違反」「公序良俗違反」だからなんていう理由で満足することは難しい気がします。

ただ、この問題に関連して、思うところがあるものですから、またわき道にそれて……と思われるかもしれませんが、回を改めて話したいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?