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考えすぎて不安になって動けないとき

今日はシェアハウス家族が入る保育園リサーチのため、区役所に行ってきた。

でも数日前から行くのが憂鬱だった。

今日こそは行かなきゃ。
ネットで色々調べたけどまずは全体像を把握しに行かないと。
区役所の人に話を聞かないと埒が明かない。

そんなこんなで区役所に行く必要があった。

でもモヤモヤが次から次へと出てくる。​

・保育園の選び方がわからないってわざわざ区役所行くようなことじゃないのかな?(対応してもらえるのだろうか。)
・ネットに全て情報はのってあるので、そっち見てくださいって邪険にされやしないかな
・まずは電話して様子見たほうがいいかな
・でも詳しく説明してもらうなら電話より対面の方が絶対良いよな〜
・ていうか区役所にお昼の時間帯に行って担当者不在だったらどうしよ
・詳しい担当者が電話対応してたら、あまり詳しくない人に対応されちゃうかもな

などなど、

「そんなこと心配してもしょうがいないじゃん!」自分でも呆れそうになる。

けれどそのモヤモヤが消えなくて、

結局「行きたくない・・・」に繋がる。


先日読んだ本の内容を思い出しハっとする


そんなとき、こないだ読んだ「7つの習慣」の1節をふと思い出した。

第1章の「関心の輪/影響の輪」のところだ。

もしかして私、関心の輪(自分が関心はあるけどコントロールできないこと)ばかり気にしてない?
わたしがやらないといけないのは影響の輪(自分でコントロールできること)じゃない?


自分に問い直してみた。

そしてベッドに転がって「もう今日は行くのやめようかな(台風も近づいているし)」とそれらしい言い訳を並べてやらない方向に向かいかけてたのを一旦中止した。

そして本を取り、該当の部分を読み直した。

主体的な人は、影響の輪の領域に労力をかけている」というところに赤マーカーを引いていた。

やっぱマーカー引いてるやん、と自分にツッコミをいれた。


不安になって動けないという思考のクセに気づく

わたしはいつも自分でコントロールできない物事の結果とか、相手の反応とか、そういうことを気にして動けなくなっている。

ネガティブな結果を予想して不安になり、行動しないという結果に終わる。


結局わたしは重い腰をあげて、「えいっ」と家を出た。


・わざわざ電車に乗って区役所に行っても大した情報を得られず時間と労力が無駄になるかもしれない。
・できれば親切に対応してもらいたいけど、そういう人に当たらないかもしれない。
・でも、行動すれば良い結果に結びつくかもしれない。


その結果をわたしはコントロールすることはできない。
それなら私は今自分ができることに関心と時間と労力をかたむけよう。


大きく人生を変えることはできない。
こうやって日々のちょっとしたことを少しずつ変えていくしかない。


何も変わらないかもしれない。
でもそうやって自分の中の思い込みや価値観を1度疑ってみる。
そして実験するつもりで新たな考え方を取り入れて試してみる。


そうすることで少しずつ自分の人生が良くなっていくかもしれない。
そうすることで少しずつ自分のことを認められるようになるかもしれない。

そうだ、がんばれ、わたし。
わたしの未来を変えられるのは私しかいないんだ。


区役所に行った結果、めちゃくちゃ良かった


結局区役所に行った結果はどうだったのか。


それを聞いて欲しい。


区役所の保育支援課の人。


めっっっっっっっっっちゃ良い人だった。


びっくりするほど親切な人で、1時間近く時間を割いて丁寧に説明してくれた。
ぶっといマニュアルの見方や、保育園の選考の傾向や実態など担当の人じゃないとわからないようなことをたくさん教えてくれた。


(ちなみに担当のフロアに行ったときは一般客が誰もいなくてシーーーーーーンと静まり返ってたから、あやうく帰りそうになった)


自分が怖がってたことは起きなかった。


なんだ、世界は自分が思ってるより優しいじゃん。


勇気出した行動がいつも良い結果になるとは限らない。
納得する結果がおさめられなくても、大事な教訓を学んだ。

「自分の関心の輪のことを心配してても仕方ない。
それなら私は、私が変えていけることに時間とエネルギーをかけていこう」

自分を変えていけるのはいつだって自分次第なのだから。


よく頑張ったご褒美に、コメダ珈琲でカツパンを食べて帰りました。


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