連載 「芸術って何ですか」を考えてみる第3回 ピカソはどこが凄いのか

 1.ピカソについての疑問

 美術、芸術に関するいろんな疑問を調べていると、その中にピカソに対する疑問というのが眼につきます。「意味不明のでたらめ」「あんな子どもの落書きのような絵のどこに価値があるのか」。芸術家の評価は作品のみならず、他へどのような影響を与え、後に何を残したかということによって決まってきます。そんな視点からから今回はピカソを通して「芸術って何ですか」を考えてみましょう。そこには近代における芸術の転換を考えるヒントもあります。 

2.ピカソの作品は「でたらめ」なのか

 ピカソは決して何も考えずにいきあたりばったりのでたらめに描いたわけではありません。また単なる自己満足で描いたということでもありません。

 多視点を用いて対象を捉えるキュビズムの表現は、人間の認識についての理解とセザンヌからの近代絵画の流れを踏まえたものです。また発表当時、身内からも酷評された「アビニョンの娘たち」では、それまで誰も芸術として見ることのなかったアフリカ彫刻の要素を取り入れるという斬新な試みをしました。グローバル化が進む世界で、美術の進むべきひとつの方向をいち早く示したと言えます。

 ピカソの代表作のひとつ「ゲルニカ」は、スペイン内戦でのナチスの空爆を主題とした社会的なメッセージを持つ作品です。近代以降、ともすると作品は個人の視点が重視されて、こうしたモニュメンタルな作品は主流ではありませんでした。そんな中この「ゲルニカ」はその所蔵先が政治的な問題となるほど、美術界に留まらず社会へ大きな影響を及しました。その制作過程は何枚もの写真に記録されており、それらを見ると制作過程で何度も修正が加えられ練り上げられている様子がわかります。

 このように概観してみるとピカソが当時の美術界においていかに革新的であったかが伺われます。ただこうした作品の背景を知らなければ、やはり人々の眼には意味不明のでたらめ、子どもの落書きのような作品に見られても仕方ありません。ところが、もしかしたらピカソがその後の美術のあり方に最も影響を与えたのは、この「意味不明のでたらめ、子どもの落書き」のような表現を芸術として世に認めさせたところにあると言えるかも知れません。

3.芸術は破壊から始まる

 「いかなる創造的活動も最初は破壊的活動である」これはピカソの言葉です。創造の前にまず破壊あり。過去のあらゆる因習、価値観の束縛から解放された真の自由からしか芸術は生まれない、それがピカソの主張です。「自由」とには「自らが基準となる」という意味合いも含まれます。他からの基準ではなく純粋に自分の基準によった活動としての芸術。ですから普通に常識的に暮らしている人から見たら、意味不明ででたらめとしか思えないようなものが生まれるは必然だと言えます。

 ピカソの絵を見て「あんなのならド素人の俺でも描ける」という人がいます。試しに一度やってみてください。「確信をもって」自由に伸び伸びと表現することがどんなに難しいことかわかると思います。

4.ピカソの言葉

 ピカソは自身の芸術についてきちんとした考え方を持っていました。一見でたらめな作品と明快な理論武装、そのギャップというかそのマッチングがピカソのひとつの魅力だと思います。さてそうしたピカソの考え方が、彼の残した言葉にその一旦が伺われます。私なりの解釈を付記して紹介します。「何ごとにつけ意味を見つけようとするのは時代にはびこる病気である」「意味不明」といって拒絶するのは、意味をみつけられることしか受け入れようとしなから。既成概念に捕われず、あなたの感覚が感じるがままを味わえることこそ健全で自由な精神のあり方だ、といった意味合いでしょうか。「人々は何故芸術に限って理解しようとするのか、なぜ鳥の声を理解しようとしないのか」 「鳥の声を理解しようとしない」つまり理解しなくても鳥の声を楽しむことができる。花を愛するのも同じこと。なぜ同じように芸術を愛してくれないのか。「子どもは芸術家だ。問題は、大人になってからも芸術家でいらえるかどうかだ」

 子どもは芸術がどんなものであるべきか、などという理屈にすら邪魔されず、ただただ伸び伸びとその生の発露として絵を描いています。これこそが真に自由な表現だと言えるでしょう。大人になるに連れ、知恵や思考を身につけることで、こうした真の自由から人間を遠ざかっていくのかも知れません。恐らく人類の進歩についても当てはまれることでもあります。「想像できることは全て現実なのだ」

 全ての現実は、想像からはじまるということ。どんどん想像力を逞しくしよう、そうすれば世界も変化しどんどん逞しくなっていく。人間が想像することの重要性を語っているのではないでしょうか。

 ピカソの、「一見意味不明のでたらめ」に見える作品は決してこけおどしではありません。想像してみてください。これらの言葉に込められた思想を作品として具体的に明確に人々に強烈な説得力をもって伝わるように表すとしたら…果たしてあの一見「無意味ででたらめ」に見える作品以外にどんな表現方法の選択肢があったでしょうか。答えはひとつではないと思いますが。

5.ピカソの恩恵

 これらのピカソの言葉を眺めてみた時、ピカソが私たちに与えてくれた最も大きな恩恵は、芸術と人々の距離をぐっと近づけたことにあるのではないかと思います。自分が想像したことを臆せずに自由に堂々と表現すれば良いんだという勇気。難しい知識など不要、誰もが芸術と仲良くなれるんだという親近感。「あんな絵なら俺でも描け」とは否定的な意味で言われることでしょうが、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチのように書けなければ芸術家になれないという時代に比べれば、誰もが芸術のすぐ隣にいると感じられる時代になった、だから世に出ることのできたアーティストも決して少なくないと思います。

ピカソが好きか嫌いか、わかるかわからないかとは関係なく、多くの人々がピカソの切り開いた世界、みんなが芸術と豊かに触れ合える世界を謳歌していると言えないでしょうか。

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