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アリにもキリギリスにもなれなかったアラサーマーケター

自己紹介をします。
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「お前は器用だな!」
そう言われてここまで来た。
同期・先輩・後輩、限らず色々な人から。
当時は「褒められているのだ」と思っていた。しかし現実は違った。
いや、実際には褒められていたのかもしれないが、僕はその言葉に甘んじて努力をしてこなかった。努力をせずともなんとかなってしまっていたのである。

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小中高と、テストではいつも上の下。
中学時代、学年で片手の指に入るほどの成績を取ったこともあるが、たぶんそれは通っていた中学が市内で片手の指に入るほどだったからだ、もちろん下から数えて。
それでも、市内ではいい方だと言われている進学校に入り、そこでも「上の下」は変わらない。
得意な科目はあったけれど、特に努力もしないため、苦手な科目はてんでダメだった。
大学受験はセンター試験を必要とせず、自分の得意科目だけで受験することができた。
面接もあったが、人前で話すこともそんなに苦手ではなかったので、受かってしまった。
高校時代、得意だった科目も、大学に入ると得意なやつだらけ。
「上の下」でいられなくなった僕は勉強をしなくなった。しなくなったと言っても、成績が実家に送られるので、進級できるほどの点数は取れていた(もちろん、まわりの友人に助けられまくっていたが)。
おかげさまで大学は4年で卒業することができた。
そんな大学時代に出会ったのが音楽である。アカペラサークルだった。ここでも僕は安定の「上の下」ポジションを確立させていた。大学4年生の頃、神戸の小さな芸能事務所に声をかけられ、音楽活動を始めた。
始めたはいいものの、やはりその界隈には凄い奴がゴロゴロいる。またそこで努力を怠った。逃げたのである。
「僕のやりたい音楽はもっと別にある!」と意気込んで、地元に帰り、働きながら音楽を始めた。
芸能事務所での音楽活動は、全県とは言わずとも、そこそこ全国を回らせてもらっており、ステージの経験も多く積んでいたので、周りのやつよりはステージ慣れしていた。だから地元ではちやほやされた。また「上の下」である。
またそれに甘んじてしまった。
夢見るキリギリスは怠ったのである。

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2019年、本記事執筆現在、僕は、店舗ビジネスを展開する会社のマーケティングを担当している。
入社から1年、僕なりに頑張って、ありがたいことに役職もつけてもらった。
会社の明暗を分ける部署でもあるため、怠れない、「上の上」を目指さなくてはいけない。し、目指している。

しかし、そんなことは今までも同じだったのだろう。

売れてる音楽家はキリギリスなんかじゃない。
やるべきことをやって、それが成就しているのだ。

それに、今になってやっと気がついた。僕は器用に甘んじて努力をしなかった「器用貧乏」なキリギリスだった。そして今はキリギリスですらない。

生まれつき器用だからここまでこれていた、と思っていたのだが、中学時代の家庭教師、高校時代の先生や仲間、大学時代の友人、この人たち助けによって僕の「器用」は作られていた、作ってもらっていたのだ。
そして「貧乏」を作ったのは、他の誰でもない、僕である。

そう、今になってやっと気がついたのだ。正直遅い。が、遅すぎるということもないはずだ。
音楽か仕事か、僕はその岐路に立ち、仕事を選んだ。

もう戻ることはできない。仕事で「アリ」になるのだ。

自分の子供には「やりたいことがあるのなら、何か一つでも努力を続けなさい」と伝えるだろう。「それが嫌になっても、逃げるな。キリギリスにもなれずに歳くっちまうぞ」と。


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