日本のHIPHOPらしさについて。
HIPHOPの定義なんて、砂の数ほど語られてきたわけで、今さら枠に収めることはできない。MCバトルでも、音源のリリックでも、キャリアでも、多くの人間がHIPHOPを語ってきた。
「これがHIPHOPだ」「お前のはHIPHOPじゃない」
まるで戦場にいるかのように、意見の弾丸が四方八方から流れるこの音楽。
この文化は、リスナーもアーティストも各々「自分なりのHIPHOPの定義」をしっかり持っているからこそ、アンチヘイトや意見の衝突が、他の音楽ジャンルに比べて多く目に見えるもの。賛否はあるが、大きな魅力だと捉える。意見の交わりなしに文化の繁栄はしない。
輪入道が「俺たちは文化を作ってる」「この文化を継承する責任がある」とバトルで放ったよう、今もHIPHOPの音楽やバトルのシーンで活動する彼らは、文化を創造し続け、継承している。
その意識故に今の繁栄がある、必然的だ。
自分と異なる主張に「これがHIPHOP」と名付けて、発信する者を見過ごせないのも、このシーンの住人の特徴かもしれない。しかし、衝突の裏には固い各々の信念や情熱、MOROHAのアフロの言葉を借りると、音楽というよりも魂だから、熱く、魅力的だ。
そんなひとつの文化。
日本のHIPHOPの定義について考えたい。
HIPHOPの成り立ち
たずは成り立ちから触れたい。
1970年代初頭。ストリートギャングばかりのニューヨークのサウス・ブロンクス地区。
そこでの若者達は、金銭的に貧しい状況にあった。
世界的にもディスコがブームだったが、彼らに行ける余裕はなかったので、家のターン・テーブルを持ってきて、音楽を流し公園でパーティーをするようになる。
そんなパーティーはブロック・パーティーと呼ばれ、現在のHIPHOPの4大要素であるラップ、DJプレイ、ブレイクダンス、グラフィティはここで生まれたのだ。
ここでまたHIPHOPとは?について議論が起こる要素がある。
それは、成り立ち。貧しい若者たちがお金を使わずに楽しめる文化だと娯楽であったこと。
以下コラムに記載されているように、成り立ちを考えればこの文章も納得がいく。
https://www.udiscovermusic.jp/columns/what-is-hip-hop-and-what-is-its-definition
すると、YZERRや般若の言葉に納得がいく。成り立ちに沿ったHIPHOP感。ただ池城 美菜子のコラムに書かれていた成り上がり、下克上の文化=貧乏ではあくまでない。
他者との比較ではなく、現在の場所からの成り上がろうとしているか、重要なのはその姿勢ではないか?成り上がりの視点を「裕福でない」と限定してしまうのであれば、KANDYTOWNやZeebraはどうだろうか?Zeebraに関しては複雑かもしれないが、幼少期を成り上がりの始点とすると当てはまらないだろう。現在の場所からの成り上がろうとしている姿勢が、この国で言うHIPHOPらしさではないだろうか?
しかし、それだけではない。共通部分や部分集合もあるだろうが、もう一つのHIPHOPらしさが存在すると考える。
それは、自身のありのまま (リアル)を表現し続ける姿勢。
あまりにも抽象的で広すぎるが、それがまさに日本のHIPHOPらしさ。
まず、上記コラムにある既存の価値観をひっくり返すについて考えたい。
既存の価値観とはなんだろうか?
普通、政治や法律(大麻など)、警察が正義とされる構図、大衆向け(POP)が地位・金銭・名声を手に入れる音楽シーンなど.
ラッパーがアプローチするテーマばかりだ。それをひっくり返してでも、自身のリアルを突き通した者がHIPHOPと呼ばれる。まさに、カウンターカルチャー。
ただ、既存の価値観なんで星の数ほど存在し、それに他するカウンターがHIPHOPだとすると必然的に抽象度や数も多くなる。この国で、HIPHOP論がぶつかり合う理由はこの抽象さだと思う。
❶ 現在の場所からの成り上がろうとしている生き方。
❷ 自身のありのまま (リアル)を表現し続ける生き方。
魂の名前という言葉が好きなので、あえて生き方として並べた。
この二つのHIPHOP感が、要素として複雑に絡み合いスタイルを確立しているのではないか。
Money、Power、Respectは❶
このMaRIのバースは❷
心地よいRyugo Ishidaの茨の道から成り上がりはもちろん❶
名前もだが、PUNPEEのあの脱力スタイルは❷
RAPSTARは構造は❶、評価軸は❶と❷。
GADOROの日常で踏み続ける韻も、SAMやチコのレペゼンも❷
POPYOURSはシーン全体で上に行くという観点で❶、それが自身のリアルの定義に当てはまらず、「アンダーグラウンドなやつを増やしにきた」と言っちゃうRalphは❷
KID FRESINOも舐達磨も、あの確立したスタイルは❷
R指定がヘッズに叩かれないのは、過去の功績もあるだろうが、どちらの要素も持ち合わせているからだろう、KREVAもそうだ。
こうやって、HIPHOPと呼ばれる事柄を要素別に分解すると面白い。
しかし、この❷が厄介。
リアルを表現し続けることがHIPHOPなら、場合によっては❶を否定することもある。
有名だが、LostはMoney・Power・Respectを手にしたZornがそれを否定している。やはり「洗濯物を干すのをHIPHOP」とリリックを描く男には❶のスタイルは似合わなかった。
MOL53は❷の象徴だと思う、どの場面を、リリックを切り取っても一貫性がある。リアルを表現し続けている。
改めてだが、日本におけるHIPHOPらしさは
❶現在の場所からの成り上がろうとしている生き方。
❷自身のありのまま (リアル)を表現し続ける生き方。
簡単にいえば、向上的姿勢または一貫性だと感じている。
一貫性に関しては、星の数ほどスタイルを作れるのでその中でも「流石に」というNGを作っている段階。MU-TONの遅刻然り。
しかし、❷の抽象さが新たなスタイルを確立し、MCバトルでは別々の信念のぶつかり合いを見せてくれる。
今の発展は、その抽象さや曖昧さの恩恵とも取れるだろう。
ただ、このまま❷が増え続けHIPHOPの懐が広くなりすぎると、最終的にはPOPに近い言葉になってしまうのではないかという懸念もある。その時に、POPを嫌うスタイルがリアルなラッパーたちの、カウンターの表現を見るのが楽しみで仕方ない。
時代が変わっていくのもそうだが、この文章は私の疎い知識で書いている。今後このHIPHIP論はまた変わっていくだろう。確立した個々が表現する、曖昧なこのシーンを今後も楽しみたい。
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