HIPHOPを振り返る。
HIPHOP、幼い頃はよく父が流してくれた。USも日本語ラップも。
そんな記憶が眠りながらも、中高時代で自らが好んでいた音楽に、それは居なかった。
高校時代、ぼくのりりっくのぼうよみでラップ調の楽曲にはまり、流行りのレペゼン地球やBAD HOP、JP THE WAVYを少し耳にしていたこと。
この数年、創作の世界に踏み入れたことで、偶然にも魅力的な文化に近づいた。
A-MA君との出会い。
高校3年生。映像制作で初めての依頼をくれた、そーいちさん。
彼に「大学の友人がラッパーで、MVを撮れる人を探している」と伝えられる。当時の私は、ラッパーに対する「怖い」「ヤンキー」「犯罪」といった偏見が付き纏っていたが、心優しい彼の友人だ。
彼を信じ依頼を受けることに。6月、川越に向かった。
到着後は、A−MA君の車で移動することに。身長もありモデルとしても活動していた彼は、愛想が良く優しい人間だった。ラッパーに対する偏見を群馬から持ってきてしまった自身に、少し反省をしたのを覚えている。
まず、撮影場所が変更になったことを伝えられた。
そして変更先の撮影箇所で新たな出会いが生まれる。
その登場は輩。
早速、楽曲を流し映像を撮る。風が心地よく、暖色の頬に当たるライトと顔立ちの良い彼の横顔が画になったのをよく覚えている。
そんな時、「ラッパーです」と言わんばかりの見た目をした男性に声をかけられた。
「君ラッパー?」
「!??」
「何してるの?」
「MV撮ってるの?」
絡まれた。
その後、男性は缶コーヒを投げて
「あげるよ。ここら辺でHIPHOPのイベントの主催やってるんだけど..」
「もしよかったら君今度でない?君は撮影に入りなよ?」
DAKAさんと言う男性から唐突に伝えられた誘い。こんな奇跡があるのかと。川越ROTOMという箱で、駆け出しのラッパーとクリエイターのLIVEと撮影が決まった。
その後の繋がり
A-MA君の撮影から月日が経ち、初のライブ撮影へ。
その数ヶ月後、群馬でDAKAさんのMVも撮影。客演は、MCバトルでも活躍するK-rushさんだった。
あの日、DAKAさんが「K-rushはすぐに上行くよ」と語っていたのを覚えている。まさにその通りだ。
今地上波で埼玉代表として戦っているのだから。
そんな撮影が終わり、20歳を迎え気づけば2022年になっていた。
年明け、成人式の日。
K-rushさんが客演の楽曲。今最も親しいラッパーであるKAJAの撮影の日がやってくる。あの日は、二度と忘れない宝物。
私が本当の意味でドロップアウトした日だ。
いや、ドロップインしたのか。
私が映像の道に行かなければ、そーいち君と出会えなかった。
そーいち君と出会っていなければ、A-MA君と出会えなかった。
A-MAのMVを撮影していなければDAKAさん。
DAKAさんのMVを撮影していなければK-rushさん。
K-rushさんのMVを撮影していなければKAJAさん。
彼との出会いがなかったら、私は地元の成人式に行っていただろう。
そして、生半可な覚悟を持ち、ここまで創作に魂を燃やしていなかっただろう。
HIPHOPはときにダサいと思う。理解できないこともある。
だが、時に一番輝いて、最も頼れる音楽なんだ。
ルーツや自らの生き方を表現するのに適していて、熱く、格好良い。
様々な出会いがあり、今はこの音楽ジャンルに心酔している。
この数年で習慣のようにMCバトルも見るようになった。成り立ちまで遡り、このサブスクの素晴らしい時代にかつての名盤をdigっている。
PUNPEEやフレシノ、Nujabesに出逢えたのも創作活動において本当に大きかった。
この文化は正義と悪ではない。カルチャー自体のルーツを大切にしていくのか、それを否定しても自身のルーツを大切にしていくのか?
独自のカルチャーとして確立させていくのか、かつての思想や音楽を継承していくのか?
対立して、自己主張し、痛々しくぶつかり合うこの文化が好きだ。
口だけの者に厳しく、筋を通している者に心優しい。
そんな極端で、すぐ掌返しするヘッズも大好きだ。
HIPHOPのMVを多く撮影したい。
まだ掘っていない楽曲を漁りたい。
出会ってまだ長くもないが、私のアイデンティティーの一部を形成しているこの音楽ジャンル。いや魂の名前を、更に深く知っていこう。
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