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えぇからついて来ーい

どうも、タイタンというお笑い事務所に所属するネコニスズというコンビのヤマゲンといいます。
6つ下の双子の弟たちとFUTANOGOというCREWで映像作品作ったりもしてます。
俳優と映画監督の弟です。

30分の映画を作りました。
『ブラック』という作品です。
You Tube無料公開してるんでよかったら見て下さい。全て3人だけでやりました。
#フタノゴ でTwitterとかでつぶやいてくれると嬉しいです。

今年の夏は暑い。
毎年毎年そんなことを言うてる気もするが、今年はマスクしてるだけに余計に暑い。
蝉の音が聞こえるとめちゃくちゃ目で蝉を探してしまう癖は子供のころから変わらない。どうしても肉眼で確認したくなる。

暑い夏にいつも思い出す昔の夏の思い出がある。

僕が17歳の時。
高1の夏休み。高校再入学しているので年齢おかしいけど高1の夏。
あることを思い立ち1人準備をしていた。

夜22時頃地元の友達の耕太郎から電話があった。
「明日なにしてんの?」
「明日ばーちゃんの墓参りに行く。」
「家族で?」
「1人」
「俺も行くわ!どこ?」
「泉南」
「遠っ!行くわ!」
「チャリで行こう思ってるねん。」
「そうなん!!!行くわ。雄飛も連れてこ!!」
「行くんや!雄飛も誘おか」
「雄飛にはどこ行くって言わんとこ」
「わかった!明日8時に出るから。」
「わかったー!」

変な奴や。家から泉南まで50〜60キロある。
そんなとこまでチャリで行くっていうのを一瞬で俺も行くって言えるんはそれはもう変な奴。でも、決してわんぱくな感じな奴ではなく、ピアノ上手で誰よりも色白で線が細くメガネ、少林寺拳法の有段者。いや、へんな奴やん。

とりあえず耕太郎と行くことになった。雄飛は来るかわからない。行き先は知らせないことになったから多分来る。

僕は地図を用意して、着ていく服を準備して早めに寝た。

次の朝、僕は白のタンクトップにハーフパンツ、スニーカー、頭にタオルを巻いてママチャリで待ち合わせ場所へ向かった。

耕太郎が待っていた。
耕太郎はいつも通りの服装やった。50キロチャリ漕ぐのに長ズボンやった。
焼けるんが嫌らしい。なんで来たんや。変な奴やん。
雄飛がいなかった。雄飛は途中合流するらしい。雄飛だけ母親の仕事の都合で地元より少し離れたところに住んでいた。

雄飛との待ち合わせ場所に向かった。
雄飛もだいぶ普通の服で待っていた。これから50キロチャリ漕ぐのに。
雄飛がいた。

「おー!今日どこ行くん??」雄飛が言った。
「長居公園のちょっと先や」耕太郎が答えた。日本地図感覚のちょっとで 50キロを言っていた。
そういう捉え方にしたら別に嘘はついていない。
「何すんの?」と雄飛。
「えぇからついて来いー!」と耕太郎。
1番ワクワクする言葉で雄飛を誘導した。
僕はもう既に楽しかった。

3人でチャリを漕ぎ出した。
とにかく暑い日やった。タンクトップで丸だだしの肩がジリジリと焼けてる感じがした。

長居公園を過ぎた辺りで雄飛が

「そろそろ着く??」
「もうちょいや!」と耕太郎。
ここでようやくしっかり嘘ついた。

そこから走り1時間経ったくらいに雄飛が
「え、ちょっとちゃうやん。どこ行っての!これ!!!」
そらそうや遅いくらいや。気使いいのえぇ奴やな。
「えぇからついて来ーい!」と耕太郎と僕。
これはワクワクの誘いやなく、雄飛の断れない性格に漬け込んだ悪魔のような言葉やった。

僕らからしたら序盤。雄飛からしたら終盤。
このメンタルの違いはしんどすぎる。

序盤は歌とか歌いながらチャリ漕いでいた。
何曲も歌った。

SPEEDの大ファンやった僕と耕太郎はSPEEDのアルバム『MOMENT』全曲歌ったんちゃうかくらい歌った。熱帯夜がいつも盛り上がる。
いつも熱帯夜はビックチューン。僕らの知る中で唯一、多香子と仁絵も歌う曲やったから熱があった。MOMENT最高のアルバム。
ソロになってからの絵理子のEriko with Crunchという名前がおもろかった。
ソロになってからの仁絵のHITOE'S 57 MOVE(ヒトエズゴナムーブ)もいう名前は鉄板ワードやった。
すいません。脱線してました。

あとなぜか何曲かに一回、森山良子のざわわ(さとうきび畑)歌ってた。

雄飛は序盤のSPEEDのゴーゴーヘブンとかボディー&ソウルくらいしか口付さんでなかった。多分無茶苦茶だるかったんやと思う。多分ちゃう。絶対やわ。

長時間チャリこいでると無言でチャリをただ漕いでるだけの変な時間もあった。
雄飛はもちろんしんどいけど、僕と耕太郎もしんどかった。蝉の鳴き声だけが耳に入った。

町並みはすっかり田舎道。
地図を持っている僕が先導していた。
後ろを度々振り返る。しんどいけど、笑顔を作る耕太郎。
しんどいけど引き返すこともできひんどうしたらえぇかわからん、助けてくれの雄飛。今でも焼き付いてる。この凄まじい対比。雄飛ごめんやで。
もちろん雄飛にはまだ行き先を告げていない。
高校生のドッキリ的な企画って無茶先行でかけられてる側なんもおもんない。
素人がやるにはサプライズドッキリに限る。加減わからへん。

最後に無茶長い緩やかな坂がある。
田舎特有のラブホとか釣具屋とかぽつんぽつんとある。
坂に差し掛かったときみんな無言で走った。
後方から
「無理やー!!!!!!!!!!!!!!!!」雄飛の断末魔がこだました。
「待ってや!どこなん!休憩しよや!!!!吐くって!!」休憩しよってラブホの前で叫んでた。
「ほんまもうちょいやから!」と僕。
「嘘や!長居からずっと言うてるやん!!」と雄飛。
「見えてる!そこ!!」
泉南メモリアルパークって書いて海が見えるお墓の写真の看板。
お墓とわかってなんて言ったらえぇかわからん雄飛。
とりあえず進みだした。

やっと到着した。
夕方前くらいになっていたような記憶。曖昧ですいません。

家族は墓参り行ったけど、僕は用があって行けなくてスッキリしてなかったから行くことになった経緯を雄飛に説明した。
「そういうことやったんか!」と雄飛。
むっちゃえぇ奴。なんやねん、普通は知るかー!!言うて怒るやろ。
御先祖さん大事にしよやー。えぇなぁ。

お墓を洗って、お線香立てて、手合わさせてもらって、お墓の前でタバコを吸った。
咽た。一望出来る海を見ながら。

目的は果たした。
引き返すことになり、とりあえず腹ごしらえでガストに入った。
飯が食えない。暑さでやられてドリンクバーでガブガブ水飲んだ。
高校生とは思えない。部活やってたときより飲んだ。

結局何も食べずチャリを漕いだ。
帰りはほぼ無言。
でも、ここで皆が気づいた。
無茶苦茶楽な漕ぎ方があった。全員ママチャリ。
上半身は動かさず、太ももを動かして漕ぐというより、スネの辺りにある筋だけを動かすのを左右繰り返すだけで低カロリーでチャリが進んだ。
帰りはあっという間やった。
気づくと見慣れた町並みに戻ってきた。なんとも言えない気持ちになった。
ほんまは最後うちでお好み焼きを食べるということになっていたが、食べる元気ないと散り散りに帰った。

耕太郎は帰り際に
「次はお前のおっちゃんの産まれた宮崎までちゃりで行こう」言ってきた。
「絶対行こな!」と約束して帰った。

家に帰るとその日の出来事を両親に話した。
お好み焼きの味は覚えていない。やけに清々しく、とんでもないことを成し遂げた気持ちに包まれていた。

この日のタンクトップ焼けは3年近くうっすら残った。
ママチャリは学校が始まってすぐにペダルが折れた。
あの日のダメージがやけに嬉しかった。

ボンボンボボボンボンボボボンボンボーボホン♪
ウェンザーナイ♪ハズカム♪

今思い返すとまぁまぁスタンド・バイ・ミーやな。
スタンド・バイ・ミーがあったからこんなんしたんかな。
えぇ暑い夏に思い返す。最高の思い出。結局宮崎へは行かんかったな。でも、本気で熱くなったな、なんか。
雄飛も耕太郎も元気してるかなー。
この話しながら飲みたいなー。

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