やまイケ | 声を使って山形を盛り上げる大学生 - 髙橋優太 -
大学生であるかたわら、ラジオパーソナリティーやイベント運営を務める - 髙橋優太さん - へインタビューしてきました!
どうぞ最後までご覧ください!
--- 髙橋優太 ---
⏹髙橋優太さんにインタビュー!
-- 取材:いのみ
ー なぜラジオをやることになったんですか?
僕自身「地域活動」をよくしてまして、その中でイベントのステージの司会がありました。
その司会をし終わったあと、後ろからその声をかけてくださった方がいたんです。その方が今お世話になっているフリーアナウンサーの方で、声のお仕事をくれるよっていうことで連絡先を交換したのが始まりでしたね。
そこから僕が「お仕事ありませんか?」と声をかけ続けてたら、「ラジオ」の仕事の枠があるということで、そこに入らせていただくという運びになったというわけですね。
ー では地域活動はいつ頃からされてたんですか?
高校3年生の夏頃からずっとしておりましたね。
ー なぜその時期から地域活動をしようと思ったんですか?
本当に不純なんですけれども、
僕は山形大学に推薦入試に入ったので、「何か目立った活動をしなくちゃいけない…」 ということで、高校3年生の夏に遅ればせながら「地域活動」をしてみたんです。
僕の地元が米沢市で、 米沢市の素敵な大人の人々に会ったとたんに米沢と山形のことが大好きになってしまいまして.. ここから ズッポリですね笑
ー 素敵な大人の方っていうのはどこに魅力を感じられたのですか?
"あらゆる人を受け入れる心の広さ" ですかね。
その心の広さで自分たちをもてなし、楽しませてくれて活躍の場を与えてくれたりするところです。
やっぱり学生を大切にしているっていう姿に心惹かれましたね。
ー 米沢って素敵なところなんですね。
そのような、学生主体の活動などは米沢が活発にしている所なんですか?
米沢は学園都市っていうこともあって、まさにその通りです。
そもそもそういう学生を受け入れる風土があり、米沢市に集まった人達の人柄とか、そういったようなものが良かったです。
米沢の環境とマッチしているということかなと思いますね。
ー イベント運営やラジオ、これらの活動に対して、これだけ活動的になった理由とかきっかけとかってあるんですか?
簡潔にいうと "コロナ"ってところですかね。
僕が高校3年生の夏に、そうやって魅力的な大人に出会い、「大学でも地域活動をたくさんしたい!」っていう想いで居ましたが、
コロナが流行してしまって出鼻をくじかれるといいますか.. 地域活動のスタートができなくて、とても悔しい思いをしたんです・・・
でも、そこで立ち止まってしまっては「せっかくの大学もったいない..」とか、「ほかの学生に差をつけたい..」という想いが沸々と沸き上がってきました。
ここで止まれないな!ということで、いろんな活動しようという想いになりましたね。
ー もしこういうコロナがなかったらこういった活動してなかったかもしれないっていうことですかね 。
間違いなく、ラジオと現在しているイベントはしてなかったんじゃないですかね。
ー コロナをきっかけにやる気が失われる学生もいるんじゃないかと思うんですけども、その中で頑張る 『源』となったものっていうのは何ですか?
"僕の性格"なんですかね。
「後悔するくらいならやる」が人生のスローガン的なものでして、 その時僕も受験終わりで残り火があったんですよ。
そういう情熱が着火剤となって、「そのあと後悔するぐらいならその中でもいろいろやってやろう」って思って、そこから邁進してるっていう感じがしますね。
ー そのスローガンはいつからたてられたんですか?
高校受験の時ですかね。
ー そのようなスローガンをたてたきっかけとかってあるんですか?
これに関しては ほんとに浅いんですけど..
高校受験の時に 英語のテキストを見ていて、 そこに詩人の名言みたいなのがあったんです。
外国人が言った偉人の名言の中に「 I’ll to live without regret. 」という、「後悔するくらいならやる」みたいな名言がありまして、その語呂感が好きで、あと普通に共感して、それはやんなくちゃいけないなって・・・
ただ言葉に影響されただけなんですけど、そこから結果的に自分の性格を作ったのかなって思います。
ー 中学校の頃に読んだ名言がずっと心に残っているのはすごいですね。
ー SNSを拝見したところ「声を使って地域を盛り上げる」と掲げているのを見ましたが、地域を盛り上げる手段として声に着目したのはなぜなんですか?
その時は、まぁぁラジオをやり始めた時で盛り上がってますね笑
そういったきっかけというのも、僕が"単純に好きなことだった"っていうのがありました。地域活動をする上で自分の好きなことがないと続かないと思ったんです。
ラジオし始めてテンション上がっていたとき、自分が今好きで、そのとき答えたのが「自分の好きな事 ✖ 街づくり」なんです。
すごい面白いんじゃないかなって思ったんですよね。
ー 確かにそうですね。ラジオをすることは地域を盛り上げる一つの手段になっているかもしれないですね。
なってますね。
やっぱりローカルラジオなんで、地域の人がいちばん聞くと思っていますが、僕が問題視したのは「若者ってラジオ聞かないなー」って思ったんですよ。
そこでこの『ラジオ』っていう媒体で、「昔このラジオ聴いてたな~」とか「大好きだったなあ~」という思い出はローカルラジオだからこそできるものじゃないですか!
まあ他の県も聞けるんですけど山形市を舞台にしてるんですね.. ってことは、もしそれを学生が聴いた場合、聴いた記憶と土地を結びつけられると思います。
ー 山形市での生活風景を思い出すということですか?
そうですね。僕はそういう思いでやってましたね。
ラジオで今やっている "ゲストを呼ぶ" 企画とかは、そういう意味で若者が聴くきっかけを作るためにやってます。
ー 髙橋さん先ほどから声への魅力をおっしゃっていますが、 声への魅力に気付いたのはどうしてなんですか?
声優が好きでですね、オタクやらさせていただいております。声優に救われたんですよ、僕は。
コロナ禍で本当にもう暗い気持ちになってしまって、「何をすればいいのかわかんない」「どう生きていけばいいのかわかんない」
そんな時、初めてしっかりとアニメを見ることになって..
そしたら、ディズニー作品だったりミュージカルとか合唱とか、色々声に携わっていた過去があったので、なおさらその「声」をつかって人々に感動を与える職って本当素晴らしいなって・・・
ー そこまでコロナが繋がってるんですね
そうなんですよ。
それでやっぱり僕自身も「声」で色々 やってみたいなあと思って、滑舌練習や早口言葉といった単純な練習から最初始めて、それがいまラジオをする時に役に立ちましたね。
すべてコロナのおかげで繋がってますし、にくいですけどね…にくいですけど、今の自分は全部 "コロナ"が作ってますね。
ー じゃあラジオをする前から ちょっと滑舌の練習だったり そういうことをされていたということですよね?それはもう、髙橋さんがラジオのお仕事を引き寄せたんですね。
そうですね笑
いつかそういう『"声"を使う仕事』 をしたいと思っていたんですよね。
冒頭に行ったイベントがモンテディオのスタジオでのイベントだったんですけど、その時ちょうど司会をやる人を募集していて自分から名乗り出ました。ここで練習した成果を出してやろうって・・・
初めてなんですけど、スタジアムのナレーション3700人の前で台本を読むという経験を初っ端しまして、そういうところでやはり、本番があったというのもかなりデカかったですね。やっぱり好きだなと思いました。
ー どうして『ZENTOMO』イベントを企画したんですか?
僕、"起業"しようとしていた時がございまして..
起業するときに「必要な力としてイベント運営が必要。自分で起業したときのやり方と似ているから。そういう経験もしといたほうが良いよね。」というアドバイスをいただきました。
じゃあ何しようかな...と考えました。
いま自分たちはコロナ禍で「友達とか作るのが難しかったな」「県外に行けなかったな」「ほんとだったら会える人に会えなかったんだな」… これらは自分たちの課題だと思ったんです。
そこで、コロナで奪われたものも大きいけど、"コロナ禍だからできるコロナ禍だから会えた人を作るイベント" を作ろうと考えました。
そこから、日本全国の同じ苦しみを味わった大学1、2年生を集めて、友達作りをしようと考えたのがきっかけですね。
ー どうして、起業をしようと考えたんですかね。
声と街づくりを考えた時、ただラジオをやってるだけでは「なんか釈然としないな」と思っていた時期があって…
じゃあ、その時に "起業"の手段があるということで、
起業して街に仕事を増やせば、若者が街に残る場所が増えるなと思って.. 小さいことですけど、それが自分で出来ればいいなと思いました。
ー とにかく、山形のために何かをしようという心持ちだったんですね。
そうですね。その時はもう山形に盲目的な恋をしていました。
ー そんなに山形のどこに魅力を感じていたんですか。
山形しか知らないからですかね~。
他の県に行ったことがなかったから・・・
でも、魅力的な人と文化(お祭りとか)と自然に魅力を感じていました。
ー 過去形という事は今はそんなことないという事ですか?
今はそうですね。好きなこといっぱいやらせていただいていて、街づくりにとらわれない生き方をしたいなと思いまして・・・
今は比較的 "好きなキャリア"を思い描いていますね。場所にとらわれない生き方をしようと思っていますね。
ー『ZENTOMO』の広告を拝見したんですが、すごく見やすくて、デザインとか勉強されているんですか。
ありがとうございます!全然していないですね…
もともと美術大学に行こうと思った時期もありますし、絵をかくのも好きなんですよね。
今は絵を描く機会がなくなりましたが、動画編集だったりポスター作りだったり、デジタル系のデザインをすることが増えてきて、それもまた声と同じで好きなことなんですよね。
ー なんで美術大学に行くことを辞めたんですか?
僕、飽きっぽいので・・・
熱中して絵を描いているときはガチなんですけど、そうでもない時期もあって.. それが、たまたま熱中していた時期に重ならなかったんですよね。
ー でもその考えが今のイベントに繋がっているってすごいですよね。
その時、ずっと前からデザインが好きだったので、それが生かされているのはうれしいですね。
ー 髙橋さんは好きなことを活用するのがお上手なんですね。
環境に恵まれて・・・
やっぱりいろんな人に迷惑を掛けましたし、お願いすることだとか、助けてもらうとかたくさんあっての "今" なので、"感謝" は忘れたくないですね。
ー やっぱり、これまでのすべての活動とかで苦労したことってやっぱりあるんですかね。
ありましたね~。やっぱり、僕は一人で活動することが多かったので、人に頼るのが苦手なんですよね。
だいたい一人で抱え込んでしまってそのまま疲れて自爆するということも多々ありましたし・・・
ー 現在はどうですか?
少しずつ仲間も増えまして・・・
イベント運営だと前は二人で運営を回していたんですけど、現在は5人で回すことになっています。
仲間のおかげで少しずつ "人に頼る" ことの抵抗もなくなってきたところですね。"誰かと何かを作る" って素晴らしいなって思います。
ー 活動を続けているということはよかったと思う点があるという事ですか?
いろんな活動を雑多にやっているので、それぞれ違いますが・・・
例えば、イベントだったら全国に "つながり" ができたのは大きいですし、同じ志を持った仲間と出会えたことはとても嬉しいと実感していますね。
ー 「つながり」というものは髙橋さんにとって重要なことなんですか。
かなり重要なキーワードですね。
ー なぜですか?
米沢での経験はかなり大きいと思います。
米沢とか山形とかに僕を引き留めたのは人との"つながり"で、その人たちがいたからこそ米沢にいたいと思ったんですよね。
『人のつながり』って何においても必要なんだなと潜在意識であります。地域活動を始めたのも、米沢の方の "ひとがら" なんですよね
ー 他のこともしてみたいとおっしゃっていましたが、地域活動以外だったら他にどういうことをしたいと思っていますか。
今やっているイベント運営では、「山形県外に出て自分らしさを見つめてみたい」というのも自分のやりたいことではあります。
職業に関してでも、"ヒトと話す"、"心を通じ合わせる"、ことが僕にとっては重要です。将来もやっていきたいと思っているので、人としっかり関わるマーケターとか営業とか.. そういったところで「人と関わり続けたい」という思いはありますね。
― 先ほど自分のことを飽きっぽいとおっしゃられていたじゃないですか…
気が付けば、ハマりが終わっていることが良くありましたね。笑
ー 髙橋さんがこれまでにハマっていたものって何ですか。
たとえば、そうですね.. 自炊とかですね。笑
ー どんな食べ物が得意だったとかありますか。
良く作っていたのが「厚焼き玉子」とかですかね。1週間に4個ぐらいのペースで、2か月くらい作っていたのですが。ことごとく飽きてしまいました。
ー 1週間に4個ですか笑 だいぶはまっていますね笑
致死量の一歩手前ですね笑 危なかった…
ー 危ないですね、それは笑。それも、いつの間にかブームが終わってた感じですか。
さすがに食べるのを抑えようと思ったのが、ターニングポイントですかね..
ー 最後の質問をさせてください!「人生」とはズバリ何ですか!?
▼ ラジオはコチラから聴けます!
⏹取材者いのみの感想
初めての取材記事でしたが、髙橋さんのSNSやラジオを見る・聴くだけではわからない隠れたところまでお伝えできるのではないかと感じ、とても嬉しく思います。
髙橋さんはいろんな事に興味を持ち、本当に自分のしたいことは何なのか知るために色々活動されている方だなと感じました。
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