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身内の死に立ち会ったことがない


タイトル通りですが私は身内の死に立ち会ったことがありません。

立ち会えなかったとかではなく、単純に私が生まれてから記憶のあるような身近な人がみな健在だということです。

いま30歳なので幸運だといえばそうなのですが、思ったことがあり、表現しづらかったのでnoteを書きます。

親友からの連絡

今朝、地元の親友が連絡をくれました。
久々のLINEに少し驚きつつも、興奮しながら中身を見ると、そこにはこう書かれていました。

S子のとーちゃんが亡くなってお通夜に行ってきた。S子ともちょっと話したけど立派になってたよ。涙ぐんでたけどみんなにしっかり挨拶してた。子ども連れてて、まだ2ヶ月だって。
情けないけどなんて声かければいいか分からなかったし、よく話さなかったけどさ。
そんな姿を見て俺はいつまでも好き勝手遊んでまだまだ子どもだなぁと、悲しい気持ちも相まってちょっと心が落ちた。

文面は少し変えていますがだいたいこんな感じでした。

ほんとに仲の良い親友とのLINEなので意味のない文字や脈略のない言葉があり、私がここでどんな返信をしたかなんて大した意味はありません。

ただ少し思ってしまったのは、何年かに一度思い出されるこんな気持ちです。

何か大切なものが抜け落ちている

30歳にもなると、たいていこんなことは経験してるよねっていうことがみんな横並びになってきます。

・結婚式に2.3回呼ばれたことあるよね
・上司にガチギレされたことあるよね
・介護について真剣に考えたことあるよね

あるかどうかはさておき、とにかくこういうことです。

そして「身内の死」も私にとってはこれにあたります。

なにも経験したいとか、経験してる人が羨ましい、なんて言うつもりはありません。そういう意味ではありません。

ただ人は亡くなるものだし、誰かの死は誰かの人生に大きな影響を与えるものです。
私にはその影響がないままに、今ここに立っていることがなんとなくおかしい気がするのです。

他人の死をそばで感じる仕事

私はこれまでこんな仕事を経験してきました。

・花屋(アルバイト)
・ホテル
・保険代理店

花屋にいた時も、保険の仕事もそうなのですが、人の死がすごく身近で、なんとなくそこに違和感がありました。

花屋ではご葬儀のお花を生けに行って、そのあとご葬儀に立ち会ったり、もしくはごく簡単に手だけ合わせてから片づけに行くのですが、そこにまだご遺体があるのに私はただ淡々と花を取っていきます。

最初はすごく違和感があった仕事でしたがすぐに慣れました。

保険の仕事は、お客さんやお客さんの家族が亡くなると連絡が入り、お通夜やご葬儀に行くことがあります。
その時はご遺族と話をしたりします。

慣れるわけがない

私はホテルで2年ほど働いていたので、自慢ではないですがリアクションが得意です。

お客さんが求めてることであれば、かなしい顔や作り笑顔もすごく自然にすることができます。
もちろん気持ちに寄り添っているからこそ、と言えば聞こえはいいのですが、自分では嫌なやつだなぁと自己嫌悪に陥ることもしばしばあります。

そんな私がお客さんのご葬儀に出向くときには、やっぱり表情について少し考えたりします。

こんな顔をしたら癒されるだろうか。
こんな顔なら遺族に寄り添えるだろうか。

あくまでサービス業なのでこんなちょっとしたことから作り込んでいたりするんです。でも毎回打ちのめされます。

どんなにシミュレーションした状況でも、どんなに練習した表情でも、ご遺体の前では言葉がなくなり、ただ切なさだったり儚さだったりそういう感情でいっぱいになってしまうんです。
親友が言っていた「なんて声かけたらいいかわからない」状況そのものです。

あぁ、私はプロじゃないな…


聞くところによると死が身近な仕事で葬儀屋とか納棺師とかそういう仕事の人は、人の死に慣れてはいけないらしいです。

慣れてはいけないというより私には慣れるわけがない次元の話だと思います。

身近な人の死が与えてくれるもの

とはいえ周りの人で親を亡くしている人などを見ていると、なんだか少し大人っぽく見えたりするんです。

私もいつかくるその時が過ぎると一人前になれるのかなぁとかそんなことを考えてしまいます。

こういうことを口にすれば、人でなしだとか、幸せ者だとか言われることは分かっています。
ただどこかで「幸せボケ」していたくないという思いがあり、モヤモヤする気持ちがあります。

あと何回親の声が聞けるか、そんな普遍的な幸せを大事にしていきたいと思います。

ありがとうございます!先にお礼言っておきます!