お待たせしすぎたかもしれません。

このフレーズを当時耳にした者は、久しぶりに聞いてつい苦笑してしまう。今監督と申せば、長嶋さんではない。晋也サンでもない。井上康生氏であるかもしれないが。ここで言うのは、ババーンのジングルでお馴染み、ネット系の作品の主人公のことである。

瑞々しく、そして確かな演技力を持った若い女優たちの大胆な艶技に目眩を起こしながら、何度も再見するうち、全く突拍子もないが、主人公がヒトラーや麻原彰晃とダブってきた。カリスマで周囲の人間を引き寄せ、彼らにつかの間の富と夢を与えながらも、行動は向こう見ずででたらめで、暴走し脱線し、やがて同志もろとも奈落に墜ちてゆくのだ。

麻原と監督の時代が重なるのは、偶然ではなかった。人々が、24時間戦い、扇子を振り回し、土地を買い漁り、贅沢な建材で実用から乖離した意匠を凝らした建物をずんずん建て、NYのエンパイアステートビルを買い込み、ジャパンアズナンバーワンと酔い痴れていた、ドーパミン出まくりの時代はまた、彼らをも生み出したのだ。

全裸監督は、だがバブルの回顧なのではない。人間の情熱が引き起こす栄光と破滅という、戯曲が古今取り上げてやまない普遍的テーマを取り上げた傑作ドラマである。

それにしても、果敢に挑んだ若い女優達に輝かしい未来よ来たれ。またこれからというときに無念にも亡くなられた主人公の妻役の方の魂よどうか安らいでほしい。はや一周忌である。

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