ただ頷いていただけの女性アナウンサーが今は
私が働いていたテレビの世界での女性たちの役割はここ数十年で大きく変わってきました。業界で43年仕事をしてきて今、振り返るとその変遷に驚きます。かつてはただのうなずきマンだったのに・・・。
このお話はブログの後半でお伝えします。「やまだのよもだブログ」90歳の母と60代の娘が綴っています。"ばあばの俳句””毎日がバトル:山田家の女たち””幸子のチャンネル”の三部構成です。
10月9日から毎日更新しています。この作業はまるで現役時代の番組作りのようです。楽しく、辛く、そして苦しくもやりがいがある。毎週、番組の企画、取材、編集に終われていた頃とあまり変わらないような気がします。
だからこそブログを書くことが母も私も生きがいになっています。
【ばあばの俳句】
隣人と交わす挨拶冬隣
秋も深まり朝晩は肌寒ささえ感じる季節になりました。毎朝、早起きして庭の掃除をしている母は、久々に交わしたお隣さんとのあいさつでココロがほっこりと温かい気持ちになったそうです。
冬隣(ふゆとなり)は晩秋の季語です。とても響きがやさしい気がしますね。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
<かわいいひよこの顔をパクリ>
母が食卓に好物のお菓子を持ってきました。
5角形のかわいい箱に入った福岡の銘菓です。
「ひよこはやっぱりかわいいねー、この形がええわい」とひよこを手のひらに載せて眺めています。
「ひよこ、どこで買うてきたん」と私。
「いつもは、ないんじゃけどデパートに時々あるんよ。昨日みかけたけんね
これはと、思て買うたんよ」と母。
愛くるしいひよこのお菓子を愛おしそうに見て「どこから食べよかなー、顔はかわいそうなけん・・」と、しばらく悩んだ後
母はひよこのしっぽをパクリ。
「松山のお菓子で味が似とんがあろ、ほじゃけどこっち方が好きなんよ」
と言いながら・・・
三口目でいよいよ、ひよこの愛くるしい顔をパクリ!
「あんたも食べんけんよ。美味しいよ~」と子供みたいな笑顔です。
母に譲ってあげようと、私は遠慮しておきました。ひよこに癒されていた母とはいつものバトルにはなりませんでした。
【幸子のチャンネル】
<ただ頷いていただけの女性アナウンサーが今は>
私が働いていたテレビの世界は目ざましい変化です。白黒からカラーへ、ブラウン管からデジタルへ、4K、8Kのクリアーな映像に多チャンネルでコンテンツも豊富になっています。
インターネットの普及で「お茶の間テレビ」は懐かしい昭和の話になりました。私は言いたいです「テレビ頑張れ!」って。
昔を振り返ってアナウンサーのお話をさせていただくと女性アナウンサーの役割は本当に様変わりしました。
夕方のニュースは今、男女2ショットで伝えるスタイルがほとんどだと思いますが私が入社した昭和52年頃は違っていました。
当時は女性アナウンサーがニュースを読むということはほとんどなく、天気予報を読むか情報番組のアシスタントが仕事の中心でした。
私は当時を振り返って「うなずきマンだった」と言っています。男性アナウンサーのお隣で視聴者の皆さんに変わって笑顔でうなずくのがお仕事でなので「うなずきマン」なんです。
これが大きく変わったのはニュースのワイド化です。ニュースの時間が拡大されることによってニュースが「ニュース番組」に変わっていったのです。
ニュースも情報番組のように映像や構成に演出的な要素を加えて、キャスターのトークも交えながら伝える見ごたえがあるものに変わってきました。
その頃から女性と男性が2ショットで交互にニュースを伝える形が主流になってきました。私も「スーパータイム」というニュース番組のローカルキャスターを務めました。
東京のスタジオは幸田シャーミンさんと逸見正孝さんのコンビでした。フジテレビで人気を得たニュース番組です。
うなずきマンからキャスターに、女性アナウンサーの役割も本当に大きく変わりました。今は、女性アナウンサーがメインキャスターとして番組を仕切るスタイルが定着しています。
こうして女性アナウンサーの役割が変わってきたことからも社会の中での女性の立場の変化が見えてくるような気がします。女性たちの活躍はこれからです。
今日も最後までご覧いただきありがとうございました。明日も更新します。
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