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私が生まれた日わたしがnoteに書く
ホールケーキの上に、66本のろうそくが立てられて、その一本一本に人生の炎が揺らめいています。そんな風に想像すると、私が生きてきたこの66年という歳月が、とても長く貴重な時間だったことが分かります。
今日は私の誕生日です。
私はいつからか、さほど誕生日にこだわらなくなりました。日常の延長だと思うようになったのです。
誰からどんなプレゼントがもらえるのか、想い人からはプレゼントを贈られるのか・・・。
そんなことを考えていた、夢見る夢子ちゃんが、66歳の誕生日を迎えました。そして、今、改めて私は幸せだなーと思っています。
仲の良い両親のもとで、かわいがられて育ちました。大学進学で挫折を味わったり、幸運にも入社できた職場で、それなりに仕事の苦悩もありましたが、大きな病気も無く、定年後の今は楽しくnoteを投稿する毎日を過ごしています。
この平凡な日常を過ごしながら、SNSで発信出来ている自分が、本当に幸せだと思います。
今まで、毎年迎えていた誕生日に、私は大切なことを忘れていたことに気づきました。
両親への感謝です。
66歳、この年になってまたまた、幼い幸子さんのコメントになりますが、私をこの世に運んでくれた父と母に感謝です。
小学生の高学年まで、年に一度は高熱を出して、ひきつけを起こし、両親をとても心配させました。
成人するまで、両親はどれほど娘の成長に気をもんできたのでしょう。私の想像を超えるたくさんの愛を注いでくれていたのだと思います。
そして母は、90歳を迎えた今もなお、娘の私のことを、一番に考えてくれています。
こうして誕生日の節目に文章を綴ってみて、父や母のやさしさと子育ての苦労を改めて感じます。そして、やっと気付いた今から、これまでに受けた愛情を返していこうと思っています。
父には仏壇に手を合わせ、母には、これまで以上に愛を注ぐ日々を過ごさなければと・・・。
今日から私が生まれた日は、父と母に感謝をする日にしたいと思います。
そして、私と係わるすべての人に、愛を注いでいこうと思っています。
私の名前に、幸せの文字を使ってくれた祖父への感謝の気持ちを込めて。
66歳の誕生日の今日は、私が生まれ変わる日になりました。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《あんた私の年まで頑張ってや》
朝食が終わったから、私が誕生日に書いたの記事を音読した後のリビングで会話です。
「あんた、文章を聞いて、目頭が熱くなったわい、あんたの成長までには、いろんなことがあったけんね、小さい頃からひきつけてね、お父さんが山の学校じゃって、病院が近くになかったけん、お父さんがおんぶして病院まで長い距離歩いて・・・思い出したわい」
「大変じゃったねー、ありがとう、ほじゃけど・・・、私の誕生日は年末で、いっつも損したな―と思いよったわい」
「クリスマスと誕生日とお正月をいっつもまとめてプレゼントしよったね、あんたは、いっつも忘れられとる言よったねー」
「そうよ、そうよ、ほんとにそう思いよったよ」
「あんたに、私からのメッセージじゃけど、私くらいまでは頑張りよ、私も出来るだけ元気で頑張るけん」
私は誕生日に、90歳の母からとても心強いメッセージをいただきました。
やっぱり誕生日は、母に感謝しかありません。
【ばあばの俳句】
数え日の娘のバースデイ忘れめや
娘は「こ」と読みます。季語は数え日です。今年もあと幾日と指折り数えるほど暮れが押し迫ったことをいいます。
私が誕生したのは12月30日、みそかの日なので、母は年末の慌ただしさの中で、ついつい忘れがちな私の誕生日を忘れないようにしないといけないと詠みました。
仕方がないとは思うのですが、本当によく忘れられるのです。今年はこの句で忘れないようです。
▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」は毎日、音声配信しています。聞いていただけたらうれしいです。
今日もたくさんの記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただきありがとうございます。明日も配信します。
☆☆☆私のアルバムの中から
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