見出し画像

大煙突がそびえる島の人たちは一つの家族だった。

愛媛県新居浜市沖に浮かぶ四阪島(しさかじま)です。島のシンボルのようにそびえ立っていた大煙突は今は解体され、島には誰も住んでいません。四坂島はかつて銅精錬の島でした。島内で生活する人たちは「一島一家(いっとういっか)」まるで一つの家族のような深い絆で結ばれていました。30年以上も前の取材の記憶をたどります。

タワー撮影横向き

四阪島のイラストを母に頼むと島の存在は知っていましたがイメージが浮かばないようでした。参考に渡した写真を見て映画の「キューポラのある街」みたいじゃねーと言いながら描いていました。遠くから見ると要塞のような島でした。島のお話は「幸子のチャンネル」でこの後でお伝えします。

スタートは母の俳句です。今日は瀬戸内海の風景を詠みました。

ばあばの俳句タイトル 001 (2)

【ばあばの俳句】

   神おわす秋の夕焼け島をのむ


瀬戸内海に沈む夕日は美しく神々しささえ感じます。この句は松山市の高浜観光港から眺めた夕日を詠んだものです。沈む夕日はまるで島をも呑み込み込むかのように一面を赤く染めて、神が海に降り立ったような神秘の世界が広がっていたそうです。その時の感動からこの一句が生まれました。



【毎日がバトル:山田家の女たち】

 《ブログ効果でしばし停戦》

きれいなインポート仕上げ


「ゆっこちゃん、いつもいつも美味しい食事をありがとう」と母
「お母さん、最近なんだか、品格が磨かれてきたんじゃないん」と私
     
「なんか知らんけど、頑張らんといかんように思えてね、ブログありがとう楽しいねー、自分の俳句が出るんもうれしいし、ホントありがとう」と母

「お母さんはブログ始めて良かったねー」と私
「うん、ありがとう、良かったわい似顔絵も使こてくれてありがとう」と母


今日はいったい母に何度ありがとうと言われることやら。(恐ろしい?!)


「あんた、書くんもはよなって、文章もだいぶん読み易くなったねー、たいしたもんじゃ」とお褒めのことばまでいただけました。(恐ろしやー)

いつもは褒めることなどほとんどない母なのに、驚きです。


なんだかんだとバトルの日々が続いていましたが暫し停戦状態です。ブログがつないだ親子の絆「二人三脚ブログ」の効果覿面です。しかし、このまま穏やかな日々がずっと続くはずはないのです・・・。(恐ろしや)



【幸子のチャンネル】

《大煙突がそびえる島の人たちは一島一家だった》

幸子のチャンネル手直し B

 

 船酔いすることなどめったに無い私が、大しけでヘロヘロになり、島に渡ったにもかかわらず、強風のために速攻でUターンし、再度訪ねた場所があります。

新居浜市沖のおよそ20キロの海上、瀬戸内海に浮かぶ四阪島(しさかじま)です。島の入り口にそびえる大煙突と錆びた色合いの工場や建物が産業の島独特の雰囲気を放っていました。

世界遺産に認定された長崎の軍艦島のような厳つい表情の島でした。


かつて、この島では住友金属鉱山の銅の精錬が行われていました。

明治から昭和50年頃までは多い時には社員や家族5500人くらいが
生活していたそうです。


私が取材したのは昭和60年です。
一般の人は上陸することのできない島ですが、会社の了解を得て、企業所有の船で島に渡りました。

その頃、島に住んでいる人は一人もなく、そこで働く人たちはその連絡船で毎日工場に通っていました。

船から見る島は砂漠の砂に覆われたような無機質なイメージで、ところどころにある赤茶けたレンガの色だけが印象に残りました。

そのレンガはからみレンガと呼ばれるもので、銅精錬で出てくる廃棄物を固めて作ったものだそうです。島のいたるところにそのレンガが使われていました。

島内には子どもから大人まで多くの人たちが生活していたことを物語る学校や郵便局、小劇場、来客をもてなす明治風の別邸なども残されていました。

社宅が並んでいたという階段状の跡地にも案内してもらいましたが、かつてにぎやかだった場所に人の気配がまったく感じられないことに何故か寂寥感を覚えました。


その取材で知ったのが「一島一家の会(いっとういっかのかい)」の存在です。

四阪島で暮らしていた人たちは隣近所の絆が強く、まるで島全体が一つの家族のような付き合いをしていたそうです。

社宅に住む人たちは隣同士で子どもの面倒をみたり、調味料も貸し借りしていたと聞きました。そういう人間関係があったからこそ島への想いも強いのでしょう。


島に人が住まなくなってからも、かつての島民たちは1年に一度、桜のシーズンに集まって有志でお花見をするということでした。


その一島一家の会のお花見の様子を是非紹介したいと思った私は数年後に再び四阪島を訪ねました。

4月の四阪島は最初に訪ねた時の荒涼とした印象とは全く違い、桜の木々に囲まれて薄いピンク色に染まった島は海に浮かんだ桃源郷のようでした。


桜の下で、お弁当を広げてお酒を酌み交わし、懐かしい思い出を語り合う一島一家の会の人たちの笑顔から、かつての島での温かい交流が垣間見られる取材になりました。


シンボルの大煙突は2013年に解体されましたが、船から見た四阪島の厳つい姿と島に残る繁栄の名残、島民の強い絆は今も忘れられません。


最後まで読んでいただきありがとうございました。明日も更新します。

親子前向き顔はっきり C





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?