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たどり着いたのは姨捨伝説の山だった
母と娘が仲良く綴る「やまだのよもだブログ」にようこそ。
”ばあばの俳句””毎日がバトル:山田家の女たち””幸子のチャンネル”の3部構成です。
タイトルにある姨捨伝説の山は”幸子のチャンネル”で、そこは森の中の静寂な場所でした。
最初の画面のイラストは松山市にある萬翠荘(ばんすいそう)です。大正時代のフランス風の洋館でとてもロマンチックな建物です。
萬翠荘は毎年5月に行われるバラ展にたくさんの人が訪れます。バラの愛好家が育てた色鮮やかなバラで館内は甘い香りに包まれます。そこで投句して親子で入選したことがありました。とっても嬉しかったのでご披露しておきます。
「今日一日貴婦人気取り薔薇館」(母)
「貴婦人のバラ咲き競う萬翠荘」(私)
薫り高きバラはまるで貴婦人のような気高さがありました。
今日のばあばの句は街中の夕焼けです。
【ばあばの俳句】
観覧車秋夕焼けの城下町
松山市の中心部にあるデパートの屋上には観覧車が回っています。地上からの高さは85メートルもあって、窓越しに松山城や瀬戸内海を眺めることができます。おすすめは秋の夕日が沈む頃。松山市内が赤とオレンジのグラディエーションで夕焼け色に染まります。
シースルーのゴンドラもあってまるで空中遊泳してるように城下町松山の風景が楽しめるんですよ。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
<思い立ったらすぐやるヒト>
玄関に母のキャリーバッグが準備されているのを見て
「お母さん、どこかに行くの?」と聞くと
「やりたいことがあるんよ、行ってこうわい」と母。
「何をするの?」と聞くと「何でもええがね、することはするんよ」
と目的を伝えないまま、母はいつものように精一杯のおめかしをして出掛けていきました。
3時間後ピンポーンとチャイムが鳴ります。玄関に出てみると
母が乗車してきたタクシーの運転手さんが、大きな袋を手にして玄関に運んでいました。
袋の中身は「真砂土」。5キロ入りを3袋も買ってきたのです。
「こないだから、玄関の庭の土がへこんどったんが気になっとたんよー、真砂土買ってきたけん、これできれいにしょうわい」と言うと、早々に着替えをしてスコップ片手に真砂土を入れる作業を始めました。
「しんどいのに今日せんでええがねー」と私
「気になったことは出来る時にせないかんのよ。これは私の性格じゃけんね、あんたにせいとは言うてないけんね」と母。
いつもながら思いついたら即行動のヒト、母のアクティブさには驚かされます。
アナウンサー時代の経験談、話し方のノウハウなどを書いています。
【幸子のチャンネル】
<たどり着いたのは姨捨伝説の山>
今日の「幸子のチャンネル」は伝説の山のお話です。
映画や小説でしか知ることのない「姨捨伝説」。
それは日本が貧しい時代に、仕事ができなくなったり、病気をした老人を山奥に連れて行って、そのまま置き去りにしたという悲しい伝説です。私は古い新聞記事から愛媛県にも姥捨伝説の山があると知り取材を決めました。
私が当時、担当していたニュース企画の「ふるさとみつけた」で紹介したのです。廃れ行く愛媛の歴史や文化、人物を紹介していたのでコーナーにはぴったりの情報でした。
取材したのは今から36年前の昭和59年春です。
伝説の場所は林業の町、久万高原町から山間に数十キロに入った高知県との県境に近い“ヨラキレ“という場所でした。
役場で地域の歴史に詳しい方を紹介していただき、その人の道案内で伝説の山に入りました。深い森の中、草が生い茂る獣道のようなところを分け入って歩くこと2時間半。
道中「来るんじゃなかった」と何度も思ったのを覚えています。
山の頂上近くで、案内人は立ち止まって
「ちょうどこの辺りになりますね、あそこに鳥居、奥には祠が見えるでしょう」
そう言って指さした場所には苔むした鳥居と祠が見えました。
うっそうと木が茂る森の中の、靄がかかったようなその場所には、かがまなければ潜れないような低い鳥居があり、5メートルほど先には祠がありました。
鳥居から祠までの土の上には雑草が茂っていましたが、確かに人が通った形跡が残されていました。
葉擦れの音だけが聞こえる静寂の森で私たちは不思議な霊気のようなものを感じていました。
あの時の体験は今もその風景とともに私の記憶に深く刻まれています。
その場所でのリポートが終わった後は、スタッフ全員が何かに追われるように急いで山を下りました。
何故か帰り道は早く感じました。
取材だからこそ、知られていない伝説の山に入りましたが、そうでなければ決して足を踏み入れたくない場所でした。
今、その場所は伝説とともに忘れ去られています。
今日も「やまだのよもだブログ」読んでいただいてありがとうございます。明日も更新します。
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