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縁ある人からもらった人生の幸せ

人生の中で出会える人の数はそう多くはないでしょう。誰といつ、どこで出会うのかはわかりませんが、出会えた縁を大切に育てていきたいなと思っています。

私の定年退職を機に親子で始めたこのブログを通して懐かしい人たちとの交流が生まれています。母は90歳にして新しい人生の目標を見つけました。

タワー撮影横向き

私は、皆さんの応援で日常に光が差してきました。ブログを書いていると繋がることの大切さを実感します。小さな空間が大きな世界に広がっているからです。母はイラストを描くことや作句活動に夢中になっています。

このブログは「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」「幸子のチャンネル」の3本立てです。スタートは「ばあばの俳句」から。


ばあばの俳句タイトル 001 (2)

【ばあばの俳句】

じゃんけんで今日は決めるか鍋奉行


そろそろ鍋が恋しい季節です。コロナ禍で仲間との会食から遠ざかっている人も多いかもしれませんが、やっぱり一人鍋よりは数人で楽しく食べるのがいいですよね。

かいがいしく鍋のそばで材料の煮え具合を見ながら火加減までチェックして「さーどうぞ!」と号令をかける「鍋奉行」こんな世話焼きがメンバーにいると大助かりです。

本日の鍋奉行はじゃんけんで決める、そんな状況を詠んだそうです。



【毎日がバトル:山田家の女たち】

《ブログが始まる前の親子の会話》

きれいなインポート仕上げ


「お母さん、親子ブログ始めるけど、イラスト描いてくれる?」と私
「えっ、私が何を描くんぞねー、俳句を載せる言よったろ」と母


「俳句は載せるんじゃけど、イラストも得意じゃろ、描いてみたら」と私

「何を言よんぞね、俳句考えるだけで精一杯なんじゃけんね、そんなことまでしよったら死んでしまうがねー」と母

「お母さん、日記にイラスト描きよろ、あれ上手いよ」と私
「あんた、適当なこと言うて、あんなんがええんかねー」と母


イラストを描くことに乗り気ではなかった母でしたが私は気にせず
「描いてもらいたいんはねー、お母さんと私の2人のカットに俳句のコーナーのお母さんの似顔絵と・・・」と話し始めると 

   
「そんなん描けんわい、めんどくさい、ブログなんかせんでええがね」と母はうんざりした表情です。


「それと幸子のチャンネルのテレビの中にいる私、イメージは私が描くけんね」と言うと

「そんなん当たり前よ、どんなんが欲しいかわからんけんねー」と母。


結局なんだかんだ言っても、描いてくれることになりました。

すぐには描かんよ、これから私は出掛けるんじゃけん
 外に出んと俳句も詠めんけん、イラストは帰ってからにしょうわい」
 と言って、出掛けるための洋服を選び始めました。


こんな感じでこのブログは始まったのです。
そして母は今、イラストに夢中です。



【幸子のチャンネル】

《縁ある人からもらった人生の幸せ》

幸子のチャンネル手直し B


 今年の春、定年退職の時に会社に大きな胡蝶蘭が届きました。
プレートに書かれていたのは「感謝」という二文字でした。

送り主は私がディレクターを始めた頃、中継を担当していたアナウンサーです。彼は今、出身地に近い福岡で仕事をしています。

縁あって共に仕事をしたのはもう20年以上も前です。
月に数回あった全国ネットの生中継で愛媛から爪痕が残したいとチームで頑張りました。

天気中継はギターやアコーディオンなどの生演奏をバックに伝え、アジサイ畑から雨音をイメージしてトーンチャイムで「雨にぬれても」を演奏してもらったこともありました。

スポーツ中継を目指していた彼の、切れのいいコメントと、マイペースでちょっと頑固な一面が垣間見える、味のあるリポートが認められて、全国のリポーターの中でも一目置かれていました。

仕事をともにする人との化学反応によって番組の出来上がりは変わってきます。ディレクターとして切磋琢磨していたあの時期に才能があり伸び盛りだった彼に出会って幸せでした。


歳月を経て「一生、僕の師匠です」と労いの花を贈ってくれたこと、そして出会えたことに、こちらこそ感謝です。


私が人生で一番の「師匠」と呼べる人はもうこの世にはいません。

形見としていただいたシルバーの万年筆と後姿で学んだディレクター魂が心に刻まれています。

新聞社で長く仕事をしてテレビの世界にやってきた彼は
博識で人懐っこく、とてもダンディーな人でした。

初めて出会った人にもすぐに打ち解けて、旧知の仲のように話が出来る人間対応力はまねできるものではありませんでした。

人を差別も区別もしないその人柄で、多くの人に愛されていました。

その人は万年筆やバッグにこだわり、たくさんのコレクションを持っていました。出掛ける場所に合わせて、一日に何度もお色直しをするようなお茶目でおしゃれ心がある人でした。

忘れられないのは、私がまだ駆け出しの頃、仕事への取り組みを褒めてくれた愛情いっぱいの手紙を両親に送ってくれたことです。

まだまだ未熟な私なのに、小さな努力をきちんと見てくれていて、今後の仕事への可能性に期待しているという内容でした。今も大切な宝物です。

尊敬する先輩からは、人としてたくさんのことを教わりました。私も後輩に愛情を注げる先輩でいなければと思います。


私が人生で幸せだなと思うのは、こうして縁あって素敵な人たちに巡り合えたことです。その人生の幸せをまた誰かに返していきたいと思っています。

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。明日も更新します。

山田家の人々A


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