9月の推奨香木には『香久山』が登場します♫

9月が香雅堂創業の当月ということで、40周年記念感謝企画の目玉として、歴史に名を残す名香『香久山』(かぐやま)を推奨香木に選びました。

一目で古木とわかる顔立ちに歴史の重みが感じられます
他の古木と同様に竹の皮で包まれていました
竹皮紙が開発される以前に所蔵されていたと思われます

そもそも名香と称えられる香木たちが何年何月に何方によって選定されたのか、正確な記述が現存するのか否かすら存じ上げないのですが、始まりは恐らく室町時代であろうと思われます。 それらの記録は何種類かの香銘録として現代に伝わっていますので、概要を知ることが出来ます。名香の分類のされ方は、例えば次の通りです。 『名香六十一種』・『名香百二十種』・『名香二百種』・『京極導誉所持名香百八十種』・『勅銘香』(天皇が自ら付銘されたもの。最古の例は後嵯峨院〈1220~1272〉の『霞かほり』とされているようです《『香の本』参照》) 他にも東福門院・米川常白・徳川家康・徳川家光など様々な皇族・武将たちが好みの香木に付銘した記録や現物が、現代にまで伝えられています。 『香久山』は、大和三山の一つ天香久山(香具山、賀久山)から採られたとされる銘で「名香百二十種」に分類されており、木所は羅国、味は苦辛甘と記されています。 約500年より以前に渡来したと思われる香木が、写真のような姿・大きさのまま現代にまで伝わっているとすれば奇蹟的と言わざるを得ませんが、一緒に所蔵されていた一木四銘の名香『柴船』が宇和島伊達家所蔵の『柴船(柴舟)』と同木と思われることもあり、その信憑性は極めて高いと判断しています。
(その『柴船』は、『香久山』と共に9月の聞香会で炷き出そうと検討しています)

蔵品目録に記載するためのメモのようにも思えます
残念ながら柴船はごく僅かしか残っていませんでした

存じ上げる範囲内の歴史的名香の羅国としては『枯木』(こぼく)が伽羅と紛うような気品を漂わせる名香であり、高く評価…と言うより「大好きな羅国」なのですが、この『香久山』は全く対照的な持ち味の香木で、例えば武田信玄のような(会ったことがないのでイメージだけですが…)戦国武将が醸し出す「圧」のようなものを鋭い苦・辛から感じます。
甘味は強くはありませんからお好みは分かれるかと思いますが、「甘くない、武士の如き羅国」の貴重な一例として味わっていただければと願い、数量限定で分木いたします。

なお以前にも何かの折に考え方について触れたと記憶していますが、特定の「名香」が真正なものであるか否かを客観的な証拠に拠って断定することは、数少ない例外を除いては極めて困難であると言わざるを得ないと思います。
香雅堂では、【伝来が或る程度判明している場合であっても、真正な名香であると断定することは困難である】と認識しており、だからこそ聞香会などで気軽に勅銘香や名香六十一種に分類される古木を炷き出したり、今回のように名香百二十種に挙げられる古木を分木したりと、占有せずに可能な限り広く共有する方向で、比較的に自由に振舞わせて戴いています。

ついでに「古木」という表現に関しても、香雅堂としての考え方を改めて記しておきます。
「古木」と表現する場合は、日本に伝わったと思われる年代が明治時代以前、すなわち江戸時代か、それよりも前と思われることを意味しています。
聞香会特別会で「古木」を採り上げた際に炷き出した香木たちは、いずれも文政年間に目方を量り直した記録が残されており、香包の素材もそれなりのもので、何よりも香木の様子が如何にも古く、永い歳月の移ろいを感じさせるものばかりでした。
(樹脂化の度合いが低いタイプの場合には、樹脂分の揮発が進行していて、いわば「枯淡」な味わいを醸し出していることが多くなります)
それらのうち、或る程度の分量が残っている場合は創業40周年記念感謝企画の一環として分木しましたが、価格を決めるのに悩みました。稀少過ぎて事例が調べ辛く、相場のようなものが解らなかったからでした。
今回の『香久山』は名香百二十種に挙げられていますが、先ほどの見解に基づいて歴史的名香と断定することは避けて、稀少な古木の一例として扱うことにいたしました。


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