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クイズ王に抱かれている誤解を解きたい

『クイズ王』という言葉は、時として皮肉的に使われる。

しかしながら、そこで使われている『クイズ王』という言葉は、実際のクイズ王とは全く異なる存在だと考える。

以下、とある凡庸なクイズプレイヤーが、クイズプレイヤー対してなされる批判をとりあげ、考えていく。


『本質哲学者』によるクイズプレイヤーへの偏見

『知識の詰め込み』でクイズ王にはなれない

哲学者の小川仁志氏の『7日間で突然頭がよくなる本』を読んだ。

これを読んで7日目、皮肉にも、この著者がいかに本質を見逃しているかがわかるようになった。

著者はクイズプレイヤーについて、以下のように著している。

(前略)でも、皆さんもお気づきのように、クイズ番組の優勝者はその知識をそれ以外に使うことはありません。いや、正確にいうならば使えないのです。
クイズのための知識は、Aという質問に対してBと答えるだけであって、AとBの結びつきしかありません。そうではなくて、AとくればそれをBだけでなくC,D,E,F……と無限に、かつ他の要素と有機的に関連させることのできる知識が求められるのです。

小川仁志 7日間で突然頭がよくある本 PHP文庫

これはクイズをやった者あるあるだが、結局クイズに強くなるには、上で著書が主張しているように、有機的に知識を関連づける必要がある。

というのも、そうしないとライバルに差を付けられないからだ。

クイズのベタ問の一つに、「「なぜ山に登るのか」と尋ねられて「そこに山があるからだ」と答えたことでも有名な登山家は誰?」(答.ジョージ・マロリー)というのがある。

強い人は「なぜや/」でボタンを押す。えげつない。クイズというよりも反射神経テストだ。

しかし時々、「イギリスが国威発揚をかけた3度のエベレスト遠征隊に参加したことでも知られるイギリスの登山家で、「なぜ山に~」(略)」のように、マロリーに関するエピソードから始まる問題も出されることがある。こういう問題を作ることで、反射神経テストになるのを防げる。

逆に、そういう問題が作られるゆえ、クイズプレイヤーは、「ジョージ・マロリー」に関する知識を大量に蓄えておく必要がある。

しかし、人間の記憶には限界があるため、効率を考えなくてはいけない。その結果、多くの知識を有機的に関連付ける必要がある。そのためには、マロリーに関する本を読んだり映画を見たりするのが一番効率がいい。ファスト教養的な発想ではあるが、結果論としてクイズが教養につながっていく。

クイズ王が知識を詰め込みで覚えているわけではないと思われるエピソードがある。個人的に軽く感動したので共有したい。

クイズプレイヤーで構成されるウェブメディア・QuizKnock。その人気企画に『朝からそれ正解』というのがある。

詳しくは下動画 2:30あたりをご覧いただきたい。

「「う」ではじまる、キレイなものは?」という質問に対して、ある回答者が『浮世絵』と答えた。

それに対し、クイズ王・伊沢は「浮世絵は浮世のこと、キレイなのも汚いのも描いている。『四ツ谷内藤新宿』なんて馬のケツだぞ」と、具体的な浮世絵を取り上げて反論している。

伊沢がどういう風に知識を蓄えているかは知るよしもないが、一問一答の詰め込み型で覚えていたとすれば、『四ッ谷内藤新宿』が会話ですっとでてくることはないのではないか。

また、伊沢に限らず、この『朝からそれ正解』では、自分の回答に説得力を持たせるために知識が使われる。こういった技も、知識の詰め込みでは到底出来ない。

他にも、元東大クイズ研究会会長で高校生クイズ優勝者の安達光氏も、当時の文化を面白く知れるというのを理由の一つとして、こち亀を全巻所蔵している(出典は、氏が出演していたとあるテレビ番組。詳細は覚えていない。ごめんなさい)。

やはり、クイズで一定以上の実力をつけたいならば、知識を有機的に覚えることが大事だろう。

それは、小川が批判的に見ている『クイズの優勝者』とは真逆の存在である。

クイズプレイヤーへの偏見はいかにして起こるか

『典型的』クイズプレイヤーはむしろ初心者説

なぜ、小川は上記のように、クイズプレイヤーに対して事実と異なる想像をしてしまっているのだろうか。

いくつか考えられることがある。

まず、『知識の詰め込み』をしているクイズプレイヤーに実際に出くわしている説。

クイズ大会では、そこで出題された問題が発売される。その中にはベタ問もあるから、この問題文と答えを覚えれば、当然強くなる。

おそらく、強いプレイヤーは実際そうやっているだろう。問題集を読み込んだり、逆に作問したりする。

実際、自分が大学生時代所属していたサークルでは、『伊藤塾』という、某司法試験予備校と同じ名前の問題集が部員に販売された。それを覚えれば、ある程度は強くなるし、実際クイズの勉強法としては典型的なものだ。だから小川の指摘は完全に間違いとは言えない。

しかし、それが通じるのは、問題文を完全に暗記できるところまでだろう。すなわち、過去の出題を一語一句完璧に覚えられる記憶力の持ち主か、そもそも覚える問題文の分量が少ない場合のみだ。

完全記憶の持ち主はそう多くない。これはクイズ王においても同じだと考えている。実際、上記したクイズ王・伊沢択司には、クイズのルールをすぐ忘れる習性がある。

短期記憶と長期記憶との違いはあるが、とにかくクイズ王といえども記憶力が超絶すぐれているわけではなさそうだ。

となると、上位プレイヤーのクイズは、問題文の丸暗記で乗り切れる世界ではなさそうだ。

逆に言えば、問題文の丸暗記で伸びていくのは、覚える問題が少ない、初心者の段階に限られるかもしれない。

すなわち、小川の指摘は『クイズ番組の優勝者』には当てはまらないが、『クイズプレイヤー』にはあてはまる可能性が高い。

その点を混同して、著しているのかもしれない。

グロタンディーク素数

あるいは、単に小川が『クイズ王』という存在を具体的に想定せず、抽象的に捉えているのかもしれない。

いわば、小川の指摘する『クイズ番組の優勝者』は『ぼくのかんがえたくいずおう』であり、伊沢択司や古川洋平といった具体名はないということだ。

『頭のいい知識人』にありがちなことだが、物事を抽象的に見て具体的に考えない結果、実際の世界と異なることがたびたびある。

有名なのが、グロタンディーク素数だ。

これは、数学者・グロタンディークが素数の性質を説明する際、具体的な例を求められて「例えば57がそうですね」と言ってしまったエピソードに由来する。実際57は素数ではないが、グロタンディークが抽象的に考えすぎて具体的に考えていない証拠だという意見もある。

小川のいう『クイズ番組の優勝者』は、このグロタンディーク素数である可能性がある。すなわち、具体的なものを想定せずに主張した結果、その具体を知る人からすると極めて違和感のある主張になってしまう。


結論として、小川のいう『クイズ番組の優勝者』は、おそらく実際の存在とは異なる可能性が高い。

これは小川にとっては些末なことかもしれないが、氏があまり現実を見ずにものごとを主張している可能性が指摘される。

当記事の読者は、どうか小川などの『知識人』の主張を鵜呑みにして、クイズプレイヤーに変な誤解を抱かないでいただければ幸いだ。

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